呪縛
いきなりなタイトル。
物語の中のような縁遠いことばのように思うけれど、存外身近なものだとわたしは思っている。
呪いというと大げさだけれど、観念なんて立派な呪いだ。
葛藤を引き起こすものなら余計だ。
わたしが自身のそれに気づいたのは昨年だった。
「ひとの役に立たなければいけない」
そんな呪いを背負って生きてきた。
そうでなければ生きている価値すらないように感じられていた。
でも。
あがいてもあがいても抜けられなかったその観念からふっと抜け出せた。
どうやってだったか。
明確に覚えてはいないけれど、その間ただただ自分の内側の感覚に意識を向けていたように思う。
「誰かに貢献した」という幸せと自分自身の感じる幸せと、違いはあるのか。
本当に誰の役にも立たないなんの得にもならないようなことをやって幸せが生まれうるのか。
なんてこの一文が書けるのはもう呪いから解放されているからだ。
だって、最中にあるときは誰かの役に立たないこと、自分がその瞬間やりたいだけの無益にみえることをやるのにどれだけ罪悪感を感じていただろう。
わたしは言い訳と仲良くして生きていたと思う。
世間への言い訳。
自分への言い訳。
でもある日自分への許可をだした。
出した途端笑えたのか、笑えるような意識の緩みから許可が下りて来たのか。
曖昧な記憶の中、ただ「あぁーーーーーー」と納得の音が渦巻いていたのを覚えている。
ともあれ自由になった。
悩むことは未だに多いけれど、それでも自由になったわたしはインストールしたまま数年放置していたpokekaraにアカウントを登録した。
そして登録した日にあっけなく歌を投稿した。
流石に自分が納得できるクオリティではないものを残し続ける気もなく一日限定にはしたが、これまでの自分には考えられないことだ。
知らぬ間に自分に何かしら大きな変化が起きているかもしれない―――
3日ほど経ってそんな気づきから放置していたnoteアカウントと別に趣味専用アカウントを作って何やかや記録しようと思い立った。
その第1歩がこの記事。
誰かにとって面白い記事でもない。
勿論役立つ記事でもない。
極々個人的な独り言だ。
道端の石ころ、草がただあるみたいなものだ。
ただそんな石でも眺めている方があるかもしれないから一言いおう。
お読みくださってありがとう。
わたしはわたしでただ「ある」けれど、あなたが認識してくださって世界が多角的になると思うから。