家族を最優先する日常に、一時保育が紡ぐひとり時間の優しさ【子育てエッセイ】
母になってから、知らず知らずのうちに「我慢すること」が当たり前になっている気がする。家族を優先して、自分のことは最後、みたいな。そんな毎日が当たり前だから、一時保育中のひとり時間のスローガンは「自分に優しく」だ。めちゃめちゃ意識して過ごしている。
ここでいう我慢は、正直、ひとつひとつはたいしたことない。
夕飯の献立は子どもが好きな食べ物を、
温かいタイミングで食べられるように配膳して、
自分は最後に冷めてしまったごはんを温めもせずにかきこむ。
だって、子どもたちが待っているから。
とか。
晴れた日は公園に行くからスカートは履かない。
デニムパンツにスニーカーの組み合わせがほとんどで、
お気に入りのワンピースに袖を通した日はいつだっただろうか。
とか。
美容院に行きたい。
でも、子どもたちを預けられないから行けない。
本当はまつ毛パーマもジェルネイルもしたいけど我慢。
とか。
今、掃除機をかけたい。
子どもたちに呼ばれて中断する。
今、お昼ご飯の支度をしたい。
子どもたちの泣き声に中断する。
とか。
子育てしていたら当たり前のように起こる出来事の数々の小さな我慢。
それをすべて「我慢」とひとくくりにして数えていたら、「我慢」だらけの毎日になってしまう。だから、多くのママはきっとカウントしないだろう。そうしているうちに、「我慢」が普通になる。日常になる。
家族が最優先。自分は最後。
それが普通。それが日常。
そんな日常に一時保育中という非日常を意識的に取り入れる。自分の気持ちに耳を傾けて、これでもかってくらい優しくする時間を作っちゃう。家族の大事なスケジュールとして組み込んじゃう。
そしたら、我慢していた小さなアレコレが、広い空の下に出してのびのび動き回る環境を用意するような感覚を覚えた。体がふわっと軽くなるような。
一時保育というひとり時間が約束されているから、
その時に大好きな料理を食べればいいし、
美容院も行っていいし、ワンピースも着てもいい。
そんなふうに思えるから日常の小さな我慢やもやもやを、「次のひとり時間の楽しみ」として受け取れるようになった。
たまには自分に優しく過ごす時間も必要っていうけど、その本当の意味をひしひしと感じているところ。その時間が私の日々のエネルギーになり、家族のためにもプラスになっていくんだろうね。
明日もいい1日になりますように。