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196th_現状維持か、浪費か、パネるか、そしてもう一つは、、、

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  このブログは、
  「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
  ジャーニランという200~500kmを走る
  というクレイジーなレースにおいて、
  その最高峰を目指すとある男の実録である。

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■ 1日の時間の見直しを行う上で、

「何に、どのくらいの時間を使っているか」
を把握することは大事だ。

これがわからないと、見直すもクソもない。


僕は、Google Calendarで、
日ごとにスケジュールが入っているので、
それを元に確認できる。



■ 問題はスケジュールにも書かれていない時間のことだ。

スキマ時間などは何をしているか、わからない(覚えていない)
だから、ある程度は記憶ベースで思い返すしかない。

完全にスキマ時間をなくすのは難しく、
移動やスケジュールが伸びた時のために
余裕は残しておかなければならない。

余談だが、移動は極力なくすほうがいい。
移動する分、余裕を持って時間を見積もらないといけないので、
その余裕の時間がスキマ時間となる。


■「 何に、どれくらいの時間を使っているのか」が分かれば、
次は、その分類だ。

「何に?」は次の3つのうちのどれかに分類される。

「現状維持」「浪費」「パネる」


■ 「現状維持」は、今の生活を維持させるためのもので、
大きくいうと、家事や仕事がそれにあたる。

家事は料理をする、家の掃除をする、洗濯をする、など、
それがないと生きていけない。
人によっては、「現状維持のためにお金が要るので働く」というだろうし、
「人と接することで現状の自分が満たされるから仕事をしている」という人もいるだろう。
程度の差こそあれ、今の自分を維持させる点では同じである。


■ 財ある人は、この一部分を他者に依頼することもできる。

家事はお金を払えばやってくれるサービスがあるし、
食事も、コンビニや外食などを利用すれば自分で作る必要もない。
ウーバーイーツを使えば、家に出る必要さえもなくなる。


また、財というのはお金だけに限らず、
家族も大きな意味で言えば財産と捉えることができる。
家族がやってくれていた家事を、自分でせざるを得なくなって、
初めてその有り難さに気づく。


何気なく存在する現状も、
維持させるのは、大変なことなのだ。


■ 次に、浪費である。

浪費は、マジ無駄なことである。
生産性ゼロ。やる価値はない。
ぐだぐだしているだけの時間である。

たいていの浪費は、
しようと思ってやっているわけではなく、
スキマ時間に入り込んできて、
"なんとなく"やってしまっていることが多い。



■ 「暇なんてない」と思っている人でも、
ちょっとしたスキマ時間に浪費は入り込んでくる。

例えば、食事しているときとか。

子供の時にご飯を食べながらテレビを見ていた人も多いだろう。
ご飯を食べている時だけでなく、
なんなら食べ終わっても2〜3時間ぐらいは、
テレビをつけっぱなしだったのではないだろうか。

あの頃の2〜3時間がどれほどの時間積み上がっていたのか、、、
と考えると、
「小さい頃に言われたテレビ見ながらご飯を食べない!」
と注意された理由を今更ながらわかる気がする。

現代ではテレビではなく、
Youtubeやアマプラなどのツールに変わったが、
やっていることは変わらない。
むしろ、スキマ時間に入り込む方法として、
スマホになった分、より入りやすくなったのではないだろうか。


■ "なんとなくやっていること"というのは、
言い換えれば、習慣化されていることだ。

習慣を変えるには、
環境を変えるのが一番効果的だ。

人間の意思など大して強くはない。
「そうせざるを得ない環境」だと、人は嫌でも行動を変える。

政府が「Youtubeを付けるたびにその場で国に100円を支払う」という法案を可決すれば、観る人はグンと減るだろう。
そんな法案が可決されれば、法改正に猛烈に反対しそうな人もいそうだが。


■ 最後に「パネる」だ。

パネるとは、

"それをやれば自分や周囲が幸福に、裕福になる可能性のあること"で、
一般的にいうと第二領域のことがこれにあたる。

だが、これについては確実なことは言えない。
あくまでも「可能性があること」で、
その可能性も大のものから、小のものまである。

評判のいいマッサージ師に依頼すれば、
幸福感の得る可能性は大だが、
近所のおっさんにマッサージを依頼すれば、
幸福感どころか後悔が生まれる可能性のほうが高い。
(いくらその人のご好意でやってくれたとしても)


■ 勉強にしても同じだ。
弁護士の勉強をすれば、弁護士資格が取れ、
人からも信頼され、食うに困らないようになるかもしれない。

しかし、弁護士資格に代わる弁護士資格・改なるものができ、
それがないと人からの信頼も仕事も来ないとなると、
従来の弁護士資格は紙クズ同然になる。

そもそも、弁護士の勉強をしているだけでは意味がなく、
弁護士資格を取れて初めて意味を成す。
勉強を途中で挫折すると、何も手元に残らない。
それどころか、途中で投げ出す人、というレッテルが貼られてしまう。


■ 実は、先に分類は3つと言いながら、
そのどれにも値しないものがある。

それは今を感じる。ということだ。

時間のない現代では、これが一番の贅沢かもしれない。

ただただ、その時間を感じる。
そこに、良いも悪いもない。
損得勘定もない。
今、ある自分を時間を感じるということである。

そこで何を感じるのか、何を思うのか、何に気づくのか。
それは個人個人のことだから、わからない。

今を感じるのは、
一度や二度ではなく、何度でもすべきことだ。

そう、そして今すぐにでもできるのだ。

難しいことじゃない。
今ある自分自身を、時間を感じるように注意を向ければいいのだ。
それだけだ。

とはいえ、
私たちは、自分を感じることから遠ざかりやすい。
他のことや今じゃないことに意識が行って、
ついつい今あるものに盲目になる。

こう書いている僕自身も、
先に紹介した3つのことに意識が持っていかれるようになるので、
この文章も最後まで書き切ることに全力を投下している。

もうすぐ電車の時間(未来のこと)なので気が気でなく、かつ、
この文章の締め方が見つからないが、
これを読んだ方が自分の時間を見直すきっかけになれば幸いであるm(_ _)m

今日もお読みいただき、ありがとうございました!


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