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私の作品紹介2 サムライの名言100


漫画の殿堂・芳文社の「週刊漫画TIMES」に連載したコラムをまとめたものである。「週刊漫画TIMES」のコラム欄は、かの大藪春彦先生も連載をされていたという由緒正しいコーナーで、その伝統を汚さぬよう、気合を入れて書いた覚えがある。
その甲斐あってか、当初の予定では「戦国武将の名言」で終わるはずだったのだが、幕末の志士、明治の軍人まで続いた。

登場人物は約100人。こうやって並べてみると壮観である。

第一部 戦国武将
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、明智光秀、本願寺顕如、柴田勝家、蒲生氏郷、山縣昌景、馬場信房、山中鹿之助、高橋紹運、戸次鑑連、立花宗茂、伊達政宗、柳生宗矩、宮本武蔵、太田道灌、北条氏康、細川忠興、島津義久、山本勘助、黒田官兵衛、竹中半兵衛、堀秀政、小早川隆景、前田利家、武田勝頼、明智光春、石田三成、木村重成、後藤又兵衛、福島正則、直江兼続、加藤清正、佐々成政、池田輝政、上杉景勝、直江兼続、真田幸村、吉川元春、藤堂高虎、森蘭丸、滝川一益

第二部 幕末の志士
坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎、武市半平太、中岡慎太郎、西郷隆盛、大久保利通、吉田松陰、藤田東湖、横井小楠、橋本左内、島津斉彬、周布政之助、勝海舟、井伊直弼、今井信郎、榎本対馬、河上彦斎、土方歳三、沖田総司、斉藤一、永倉新八、大村益次郎、板垣退助、大鳥圭介、岩倉具視、近藤勇、団左衛門

第三部 明治の軍人
西郷従道、大山巌、山本権兵衛、東郷平八郎、乃木希典、秋山真之、秋山好古、明石元二郎、石光真清、広瀬武夫、佐藤鉄太郎

コラムの中身も少し紹介しよう。
まずは、武田信玄の名言である。

第4話 武田信玄「戦は勝ちすぎてはいけない」

 江戸時代初期に出版された軍学書『甲陽軍鑑』は、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、織田信長の四人を「当代日本の四大将」とし、それに次ぐものとして、長宗我部元親、吉川元春、小早川隆景、松永久秀、徳川家康など十三人の武将の名を上げている。
 つまり、信玄ら四人は「別格」というわけだが、信玄の次の言葉を知ると、この武将が「別格」とされる理由がよくわかる。
 家臣から「戦に臨むときの心得」を問われたとき、信玄はこう答えたという。
「戦は勝ちすぎてはいけない。そこで、わしは五分の勝ちを上とし、七分の勝ちを中、十分の勝ちを下としている。五分の勝ちは今後の励みになるが、七分だと怠り心が生じ、十分だと驕りが生じるからだ」
 信玄は十六歳のときから戦に参加し、それから三十八年間、常勝の武田軍団を率いた男。信玄にとって「戦に勝つ」のは当たり前のこと。問題は「勝ちすぎない」ことだったのである。

続いて松陰先生の名言。

第63話 吉田松陰「私の三十年にも四季があった」

 靖国神社には吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、橋本左内など、幕末の動乱の中で命を落とした志士たちが「維新殉難者」として祀られているのだが、その「享年」を見て胸を痛めない者はいないだろう。松陰は三十歳、龍馬は三十三歳、晋作は二十九歳、左内は二十六歳と、みな、「青年」のうちにその生を終えているからである。
 が、当の志士たちは自らの死を「早すぎる死」とは考えていなかったようだ。
 安政の大獄(一八五八)で斬首刑に処せられた吉田松陰は、刑が執行される前日、松下村塾の門弟たちに向けて、自らの死についてこう書き残している。
「人の一生には春夏秋冬の四季がある。五十歳で死ぬ者にはその五十年の中に四季があり、十歳で死ぬ者にも十年の中に四季がある。私の三十年にも四季があった。」
 また、松陰はこうも言っている。
「世の中には、生きながら心の死んでいる者もいれば、その身は滅んでも魂の残る者もいる。」

タイトルの写真は、伊達政宗像です。

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