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ランボーとターミネーターは兄弟だった! デイヴィッド・マレル『一人だけの軍隊』を読む

 映画ランボーシリーズには『ランボー』『ランボー/怒りの脱出』『ランボー3/怒りのアフガン』『ランボー/最後の戦場』『ランボー ラスト・ブラッド』の五つの作品があるが、この中で原作があるのは一作目の『ランボー』だけで、デイヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊』がそれである。


 デイヴィッド・マレルは1943年生まれ。ホラー作家としても有名で、「吸血鬼ドラキュラ」の作者の名を冠したブラム・ストーカー賞も受賞している。
 1972年、『一人だけの軍隊』を発表し、マレルは一躍、人気作家となるのだが、この小説は彼が初めて書いた長編で、大学院に籍を置いていた二十代の後半に三年の月日を費やして書いたという。

 マレルはこの作品でベトナム帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題を扱っている。ニクソン大統領が「ベトナム戦争の終結」を宣言したのは1973年1月29日。マレルがこの作品を発表した時、まだ戦争は終わっていなかったわけだが、PTSDの問題はすでに顕在化していたのである。

 映画『ランボー』が公開されたのは1982年。小説の発表から映画化までに10年の月日が流れているが、アメリカの社会がこの問題と向き合えるようになるには、それだけの時間が必要だったのだろう。

 さて、今、私の手元にはシリーズ二作目の『ランボー/怒りの脱出』のハヤカワ文庫がある。

 この文庫本の著者もデイヴィッド・マレルで、翻訳者も『一人だけの軍隊』と同じ沢川進である。が、この小説は映画『ランボー/怒りの脱出』の原作ではなく、映画のノベライズ作品である。つまり、『ランボー/怒りの脱出』では映画の方が原作なのだ。

 では、映画『ランボー/怒りの脱出』の物語は誰が作ったのか。
 何を隠そう、この映画の脚本を書いたのは、『エイリアン2』『ターミネーター』の監督として知られるジェイムズ・キャメロンである。キャメロンはランボーにも深く関わっていたのだ。

 話を整理するとこうなる。1972年、デイヴィッド・マレルが小説『一人だけの軍隊』を発表する。その10年後、シルヴェスター・スタローンがマレルの小説を元に映画『ランボー』をつくる。そして、その続編の映画の脚本をジェイムズ・キャメロンが書き、その脚本から生まれた映画『ランボー/怒りの脱出』のノベライズ作品をデイヴィッド・マレルが書いたのだ。

 ジェイムズ・キャメロンが脚本を書いたと知って、私は『ランボー/怒りの脱出』のあるシーンを思い出した。ベトナム軍に捕虜として囚われていたバンクス空軍中尉が収容所を脱出した時のシーンである。「今、何年だ?」と聞くバンクスに、ランボーは例のぶっきらぼうな口調で、「1985年だ」と答える。それを聞いてバンクスはうろたえる。60年代か70年代の初めだと思っていたからだ。バンクスは長い捕虜生活で時間の感覚を失っていたわけだが、その時のバンクスのランボーを見る目は、未来から来たターミネーターを見るジョン・コナーの目と同じだった。

 また、『ランボー/怒りの脱出』には、ランボーとバンクスが無数のベトナム兵に包囲されるシーンがあるが、これを見て、無数の宇宙トカゲが四方八方から迫ってくる『エイリアン2』のシーンを思い出した人も少なくないだろう。

 もう一つ、他の映画との関連でいうと、『ランボー/怒りの脱出』には、ベトナム戦争を描いた先行作品である『地獄の黙示録』を彷彿とさせるシーンがある。若い女性のダンサーが酔っ払って大騒ぎする兵士たちの前で踊るシーンだが、小説にあのシーンはない。あれは映像上の遊びで、文字で表現するようなものではないとマレルは判断したのだろう。

 それにしても、スタローン演じるランボーと、シュワルツェネッガー演じるターミネーターが、同じ親から生まれた兄弟だったとは、世間は狭いとしかいいようがない。

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