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『noteに見る定点観測の大切さについて考えた』11月24日の日記

みなさん、おはようございます。東京には一気に冬が来た感覚。寒さにめっぽう弱い私は冬籠したいと毎年繰り返し思うのです。

私の部屋にはぬくぬくできるよう、暖かな布がそこら中に置いてあります。なるべく帰ってきたら温かな気持ちになれるように。

冬眠という言葉に人間ながら憧れます。たくさん食べて、冬を越すためのエネルギーを蓄え、冬の間は最低限のエネルギーで過ごす。生きる。羨ましい。

しかし今日は湿気がすごい。81%の湿度を温度計が示していました。お肌はしっとり。

ところで、私noteを2年続けているものの、気の向いた時に書く、程度でした。しかしつい最近、突然継続したいと思ったんですね。こういう感覚を大事にしています。そして、こう言うのは続くってわかっている私です。

そしてそれはなぜか?ある友人が、一年近くnoteを継続して毎日書いていることに敬服し、そしてそれは定点観測になり、自分を客観的に見ることができるよと教えてもらったことからでした。

心が少し弱ると、なぜそうなったか?について考えます。私の場合。一旦立ち止まり、一人の時間を待つように心がけます。

対人関係からか、病気なのか、はたまた、季節なのか?そんな原因が見えて、腹落ちし、そこに対する対処をしやすくなるツールとして、このnoteは良きものなのだと思います。

一年前の今頃、こんな風に考えていたんだな。こんな状態だったんだな。変わっていたり、いなかったり。

そう捉えると同じ自分はこの世界にはいないのかもしれません。今これを書いている私は、既に違う自分の過去があるだけ。

そして新しい自分を自ら"創っている"のだと感じます。未来に続く、大きな可能性がある自分。

人生、人の人生やこの世界は、今なるようになるべく動いている。

だから、立ち止まることも当然で、そこにこそ、人の成長が熟成される時間があるんだと思います。

悩むこと、落ち込むことは、他人あってのもの。ありがたく受け入れる。そしてそれができると、自分と人とを客観的に捉えることが、少しだけ、楽にできる気がします。

自分が自分でいて、自由であることが、人間の幸せなのです。誰にとらわれてもいけない。

今日はある地域の首都圏会。去年初めて参加したのですが、その一年の間に私も、周りもきっと変わっていて、それはそれで定点観測になるのだと思います。

一年間、どうされていましたか?お元気でしたか?ご挨拶できますように。


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