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黒い歴史の上で成り立つ黒い液体

コーヒーを飲む時に、常に心がけていることがあります。

”私は、どれほど贅沢な人間なのか”

どの指標において考えるかによりますが、
正直に、今の日本社会で経済的に何も心配のない富裕層がどれほどいるでしょうか。若い世代の貧困が深刻な社会問題として台頭したのも、今更感があるくらい、「普通の大学生」は「お金がない」のです。

私も普通の大学生なので、日々の暮らしにおいて「節約と選択、そして妥協」の連続です。夏休みは湘南の海にドライブに出たいものの、ある程度しっかりアルバイトをしなければ翌月の生活が困ります。

それでも私は贅沢な日々を過ごしていると自負できます。
栄養なんて1%もない嗜好品を、これは”花のような香りがする”とか”キャラメルのような甘さがある”とか言いながら楽しんでいるのです。
好きなロースターさんにほぼ毎週通いながら1000円~2000円するコーヒー豆を買っている。コツコツ抽出道具も増やして、色々と試しています。
 
栄養のない極端に言えば、飢え死になる直前に飲んでも助からない飲み物にも関わらず、まさに嗜好しているんです。

コーヒーを追求する際に、必ず向き合わなければならないこと。
それは”コーヒーの歴史”
黒人奴隷によって支えられてきたコーヒーの歴史。

自分はあまり詳しくないので、下手に何も書けませんが
エチオピア、ケニア、ルワンダなどのアフリカを代表するコーヒー産地
他にも代表的な産地の多くは、元ヨーロッパ諸国の植民地であったという事実。

私たちコーヒーの消費者と
生産する彼らの間では、コーヒーに対する感情の温度が違うのかもしれないなと思う時があります。

やっぱり、こうした歴史上の文脈においても、コーヒーは想像力を試される飲み物。。ですね。

嗜好品と向き合い、嗜好品を楽しむというのはそういうことだろうなと。
ご飯代を削って、ラテ練習をする牛乳代とコーヒー豆代に当てるとか、夜は違う業種のアルバイトを掛け持ちするといった、コーヒーを生業に目指す人達は通る大変な時期を、この先もしばらく過ごしそうですが

それでも、まだ自分は贅沢な人間であるという認識は忘れず持ち続けていたいです。


(高校生時、アフリカガーナに訪れた時の写真、この頃の経験は、まだ消化しきれていませんが自分の物事の考え方を根本から変えたなと..思います)


難しいですね。たくさん経験し、たくさん考え続けることしか、できることがありません。。 
ちょっとしたつぶやきでした。

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