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秘された神・月読尊⑤ ~12人の后と暦(こよみ)~

先日の続きです。太古の昔、富士山麓に存在したとされる富士山王朝。富士王朝の王は、月読尊の直系と伝えられ、歴代の王は代々『月夜見(つきよみ)』の姓を名乗りました。月読尊は天照大神・スサノオ尊といった縄文期の3貴神の一人ですが、神話の世界でも、ほとんど登場しない謎の神。

「月読」という名前から、「月を読む」=「月(や太陽)など、星の運行に精通」した天文学の神さまだったようで、月を司る、または夜を統べる神として崇められ、かつては、月の運行に基づく太陰暦を用いられたことから、月の暦を数える神と評されていました。 こうした名のもとで、月をツキといい、運を呼び込む神とされることもあります。

月読尊は聖徳太子が信仰したことで知られています。聖徳太子は優れた政治家でしたが、武人でもありました。京都最古の神社と伝えられる松尾大社。松尾大社は701年、聖徳太子のブレーン(側近)だった秦河勝により創建され、その松尾大社の摂社の一つに月読神社があります。
月読神社の境内には聖徳太子社もあり、聖徳太子の月読信仰を今に伝えています。松尾大社は秦氏の京都の氏神神社。秦氏と月読尊はやっぱり関わりがあるみたいです。


天照大神、スサノオ尊をご祭神とする神社は全国にそれぞれ1万以上ありますが、月読命をご祭神とする神社はたった85社しかないそうです。
月読尊は漢字で「月を読む」神さま。これは(こよみ)からきています。
暦は奈良時代の604年に、朝鮮半島から伝わり、そこから日本初の暦が作られたとなっていますが、縄文期、すでに暦は存在しました。

イザナギとイザナミから生まれたアマテルは、この暦を民衆に伝えています。アマテルには12人の妃がいたそうです。
アマテルは自分自身を「日の神(太陽)」とし、12人のお妃を「月」に例えて十二月として、東西南北の四方に配置します。アマテルは12人の妃に「12の月」をあてはめることで、民衆に「12の月を巡る暦」を伝えました。
アマテルの正后はセオリツ姫でしたが、ほかにも美濃(飛騨)王国から嫁いだ「ウリフ姫」がいました。アマテルはこのウリフ姫を『2月』の妃とします。通常、2月は28日までしかありませんが、4年に一度、2月が29日ある年が存在します。うるう年とは、2月29日が存在する年。平年より月日が多い年がうるう年(閏年)です。
日本で2月を「うるう年」というのは、このウリフ姫から来ているとか?!この暦は、海外では太陰暦と呼ばれますが、かつての日本では月読暦と言われていました。

月読尊は「暦」を司ったことから『時間の神』とされ、また満ち欠けを繰り返す月の姿から『死と再生の神」でもありました。同時に闇や聖域の守護を司る『夜の神』でもあり、陰陽師のルーツのような一面も持っていたようです。ほかにも月読尊は驚くべき役割を担っていました。

月読尊は、縄文の高度な文明を伝える存在であり、それゆえ月読尊の活躍は縄文の終焉(しゅうえん)とともに消されていくこととなります。長くなりましたので、次回、さらに詳しく書いていきますね。


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