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天皇が紐解いた縄文の秘密 ~海外の地名と神代文字~

・身延(みのぶ)や美濃の地名は縄文が由来?

かなり前になりますが、インドネシア語で古事記を解読している古代史研究者と話をしました。その方いわく「縄文は日本だけの文明でなく、海外の地名の由来でもある」と言っていました。
その後ずっと忘れていましたが、先日、山梨県の身延(みのぶ)に行ったことをきっかけに、その方が話されていた「縄文由来の海外の地名」について思いだしました。
身延は仏教の日蓮宗の総本山。縄文遺跡も多く、古代からの聖地。そんな身延の地名の由来は諸説あります。身延の山が蓑をかぶったように見えたことから「みのぶ」という地名になったとか?! あるいは、「みのぶ」とは「みね(峰)」+「のぶ(延)」で、身延山の、尾根筋の伸びた土地を意味している。とも言います。

その中で有力なのが、「みのぶ」は元々「みのべ」であり、「み(水)」+「の(野原)」+「へ(辺)」で、「川沿いの地」を意味する、という古代からの説「水野(みの)」は、川ぞいにある水の豊かな場所をさします。
しかし、「みのべ(水野辺)」は、時代を経るごとに、「みのぶ(身延)」という地名に変わっていきます。

また、岐阜県にも美濃(みの)と言う地名がありますが、こちらも、もとの地名は「みの(水野)」という漢字でした。しかし時代が下るに従い、「水野(みの)」は「美濃(みの)」となっていきます。ちなみに岐阜県の美濃地方は、戦国時代、織田信長や、斎藤道三といった、有名人物が活躍した場所でもあります。
また岐阜県も、山梨県同様に、「みの(美濃・水野」という地名は、「川ぞいにある水の豊かな場所」をさします。

しかし、実は「みのべ(水野辺・身延・美濃部)」という地名は、縄文と深い関わりがありました。


・「べ」という地名は縄文由来?!ドイツとアメリカにある縄文の地名!

さきほど、みのぶ(水野辺・身延・美濃部)という地名を例にとって、「ミノ」の地名の由来が古代の「「川ぞいにある水の豊かな場所」という意味であると書きました。それでは「べ」は何を意味するのでしょうか?

その研究家さんいわく;
①「べ」という地名は縄文から来ている。
②「その証拠に縄文を受け継ぐ、アイヌ民族ゆかりの地である北海道には「べ」という名前の地名が多い」、と教えてくれました。

アイヌの人たちが多く住む北海道。北海道の地名には実際に、「べ(別)」がつくことが多いです。例えば「然別(しかりべつ」」や「登別(のぼりべつ)」など。確かに北海道の多くの地名に「べ(別)」が入っています。
「べ」はアイヌ語では「川」を意味しますが、一方で、人が住む「町」の意味もあるそうです
アイヌ語は縄文系の言語。またアイヌ民族は、縄文人のDNAを約50%~70%を持つ、縄文の直系。それに比べ、本州に住む現代の日本人の縄文DNA率は、約10%と少ないです。だからアイヌ語は、縄文の語源を数多く残している言語。そして縄文でもアイヌ語でも、「べ」が意味するのは、「川」であり、川沿いに発展した「町」のこと。

さらにその研究家は、「べ」という言葉は、ヨーロッパのドイツでも「ブルグ」という地名の由来となった、と教えてくれました。ハンブルグ、ローテンブルク、ハイデルベルク、など、ドイツには「ブルグ」がつく地名が多いです。
ちなみに「ブルグ」はドイツ語で、「個人または、集団の安全を守るために建造された居住可能の”防備施設(城)”」を意味します。ブルグは「お城」を意味することが多いそうですが、ブルグは「町」という意味もあります。
さらに日本語の「べ(別)」は英語で「村」を表すとか?!
どいういうことかというと、「ヴィレッジ(village)」は、英語で「村」をあらわす言葉。そして、村という英単語(ヴィレッジ・village)の語源は、なんと日本語の「べ(別)」が由来なんだそうです!
つまり古代の日本語(べ)が、ドイツ語と英語の「村」をあらわす言葉の元となります。

ただ日本の「べ(別)」という地名が、なぜヨーロッパやアメリカの地名の由来になったのかは、その方もわからないと言ってきました。
この謎は、竹内文書を紐解くと説明できるのですが、竹内文書は現在、正史では偽物となっています。またスピリチャル要素も強く、説明が難しいので、ここでは省略しますね。そして偽物と言われる竹内文書は、海外では先史以前の歴史を知る書物として、評価されているようです。
実際に私自身、日本各地の縄文ゆかりの地を、趣味で訪れていますが、竹内文書と関わりのある場所が多くて驚いてしまいます。
これらの縄文スピリチャル?はそのうち、「縄文と異形の世界とのつながり」というテーマ??で書いていけたらいいなと思います。


・縄文は古代世界のスタンダード?神代文字は海外でも見つかっている!

話は戻りますが、さきほど「べ(別)」は縄文由来の地名だと書きました。そこでいきなり飛びますが、縄文時代の文字は「神代文字」です。神代文字は正史では偽物。しかし神代文字は、海外でも見つかっています。ブラジルの ロライマ州で、日本の古代(神代)文字である、アヒルクサ文字で解読できる碑文が発見されたり?!
ヨーロッパの地中海にあるマルタ島の神殿でも、日本の神代文字である、「アワ」を表すシンボル(文字・模様)と酷似したものがあるそうです。もし見つかった文字が、本当に神代文字だとしたら、縄文は日本だけではなく海外にもあったということになります。

・縄文の神代文字の封印を解いたのは、先々代の天皇だった?!

そして何より、縄文の文字である、神代文字の封印を解いたのは、先々代の天皇でした。それは現在の令和天皇のおじいさまにあたる、昭和天皇です。
生前、昭和天皇は伊勢神宮の神宮書庫に赴き、書庫の中から100枚ほど選び、それを知人に記録させ、それらの神代文字の書を世に出してもらうよう、望まれました。
このいきさつは「神代文字で治療師になる(ヒカルランド・片野貴夫)の巻末に書かれています。興味のある方はお手に取ってみてくださいね。
天皇自ら、封印を解かれた神代文字。きっとそこには、何らかの意味があるのだと思います。

まとめると縄文の言語が、海外の地名のルーツと関係ある、ということ。
縄文の「べ(別)」という言葉は、日本語で「町・村」を意味する地名。
それが海外では、ドイツの「ベルグ」という「村・町」を表す地名となり、実際にドイツには、「ベルグ」と名のつく地名がたくさんあります。
次にアメリカなどの英語圏では、この「べ(別)」は英語で「村」を表す、「ヴィレッジ(village)」という英単語となっています。

つまりこの研究家さんの説によれば、「縄文の地名が日本だけでなく、海外のドイツやアメリカにある」。さらに縄文の神代文字に酷似したものが、南米の遺跡や、ヨーロッパの神殿で見つかっている、ということになります。

そして縄文の神代文字の封印を解かれたのは、先々代の天皇。それは現在、偽物と言われている神代文字が、正統である可能性を示します。
長くなりましたが、これらが伝えるのは、縄文には封印された何かがあるということではないのでしょうか?
日本だけでなく、海外にもあったかもしれない縄文文明・・。
そして天皇が知る縄文の秘密。

調べれば調べるほどわからなくなる、縄文ワールド。
最近では、縄文の謎解きにスピリチャルは避けて通れない、と思ってしまうほど・・(←竹内文書など)
縄文を調べていくと、巨人も登場するんです(泣)。
ちなみに旧約聖書にも巨人は登場します。

縄文の謎解きは、はじまったばかり・・。
解けるかどうかわからない謎ですが、ゆっくり紐解いていきたいです。


〈参考サイト・過去の記録〉



本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン