見出し画像

鬼の正体は先住民が信じた神と縄文人③ ~戸隠・八咫烏・賀茂氏~

・争いを好まない古代の人々が「鬼」となった!

もともと「鬼」の漢字の語源は、姿が見えないものを意味する漢字「隠(おん)」が転じたそうです。古代、「穏(おん)」と呼ばれた山の民。森に住む彼らは薬草の知識を持ち、木の実や山菜、木材などを、山の麓に暮らす人たちとともに、分かち合っていた縄文人でした。縄文人は、熊やイノシシなど狩る勇猛さを持っていましたが、人との関わりでは、争いを好まず穏やかに暮らしていました。

穏(おん)」は時代の移り変わりとともに「鬼(おに)」と呼ばれるようになります。しかし山の麓に住む人たちは、森の民である、縄文人を「山の神(の使い)」として敬い、平和に暮らしていました。
その語源が残っているのが長野県の戸隠(とがくし)や、奈良県の桜井市東部にある「吉隠(よなばり)」。
戸隠と吉穏の両方とも、鬼の語源となる「穏」の漢字を持っています。
戸隠は山深く、忍者の里として知られ、修験道でも有名です。
また戸隠は、奈良時代の7世紀に滅亡した「鬼無里(きなさ)王国」のすぐそば。そして「吉隠(よなばり)」のある、奈良県の桜井市は、今でも、大和の「穏国の里」と言われているようです。

実は「鬼」が「邪悪」と思われるようになったのは平安時代から。それまで魔物や怨霊は、「物(もの)」や「醜(しこ)」と呼ばれていました。
詳しくは下記で書いています。

〈賀茂氏の始祖・八咫烏(ヤタガラス)と、鬼の本当の気高さ〉

そんな鬼の起源を知る手がかりが、賀茂氏にあります。
縄文の有力氏族である賀茂氏の出自は謎に満ちています。
一説には、賀茂氏は神武天皇の東征とともに、九州の高千穂から奈良に移ってきたとか?! あるいははるか昔から、熊野に住んでいたとも言われています。

その賀茂氏の京都(旧:山背国)での始祖が、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。そう、(賀茂)建角身命という漢字の神さま。
名前通りにイメージすると、角(ツノ)を身(体)に持つ神さまです!

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は別名、八咫烏(ヤタガラス)。
八咫烏は、神武天皇の東征をお手伝いした神さまとしても有名です。

現在、この賀茂建角身命は、京都の下鴨神社│賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)にまつられています。実際にこの神さまに角があったかどうかわかりません。モーゼのようにオーラが光輝いて見えたので、ツノという名前がついた可能性があります。

また、八咫烏は3本足ですが、その三本足は、「天・地・人」を表しています。つまり天の神々、人間、そして地球上の自然や生物は、同じ太陽から生まれた兄弟であり、天も人間も自然もみんな「尊い」を表す、ワンネスの象徴です。

そして賀茂氏の末裔に、修験道の開祖である役小角がおり、役小角に仕えた前鬼、後鬼という鬼たちもいます。役小角も名前にツノ(角)があるので、頭に二本角をもった人物だったのかな?と思ってしまいます。
役小角に仕えた前鬼、後鬼は、奈良県の奥吉野にある「天河大辨財天社」の始祖。天河大辨財天社は今も、「鬼は優しい神さまで、私たちの先祖」とうやまわれ、節分は「鬼はうち」と豆まきをします。


〈天河大辨財天社と宮島を結ぶ、縄文系の山の神「鬼」〉

おもしろいことに縄文期からの聖地である、広島の宮島(厳島)。
その宮島の弥山に、前鬼、後鬼を祀る神社があります。
弥山は弘法大師・空海が修行した場所であり、山頂近くには、大きなストーンサークルがあり、弥山自体が三角の形をしたピラミッド型の山です。
鬼をまつる神社は珍しく、全国でも弥山だけとか?!

そして前鬼、後鬼を祀る天河大辨財天社は、弁財天を祀る神社。
天河大辨財天社は、芸能人の崇敬も高いのですが、雨が多く山奥の険しい場所にあるので、たどり着くのが難しい神社としても有名です。
そして、宮島の大願寺│厳島神社でも、日本三大弁財天の像がまつられています。 天河大辨財天社、そして宮島と、縄文ゆかりの神社で、弁財天という「水の女神」がまつられているのは、何か理由があるのかもしれません。


〈先住民が慕ったのは、「鬼」と呼ばれた神々がもたらす豊穣と優しさ〉

話は変わりましたが、鬼と呼ばれた存在に、本当に角があったのか? 
ギリシャ神話に登場する、二本角を持つ全能神ゼウスをはじめ、エジプト神話やケルト神話にも登場する、角を持つ神々・・。
さらにモーゼやアレクサンダー大王が二本角を持っていたという言い伝え。
そして八咫烏こと、日本の下鴨神社のご祭神の賀茂建角身命。

そこからわかるのは、「鬼」と呼ばれた存在はキリスト以前の神々であり、モーゼやアレクサンダー大王など、気高く尊い存在でした。
角があるかどうかが問題ではなく、支配者階級や教会側が、角を持つ存在は「邪悪」というイメージを作り出し、その結果、鬼はダークな化物となりました。

縄文を調べていくと、この世を動かしているのは権力者でなく、本当は、力を持たない存在であることに気づきます。
支配者階級や権力者たちが隠そうとしたもの・・。
それは「角」に代表される地球の原住民のパワー。
「角」は鹿の角に代表されるように、自然の営みも表します。
鹿の角は、四季が巡る一年の中で、自然に生えて、痛みもなく自然に抜け落ちていく・・。そして「角」が大きな鹿ほど、敵の到来を察知する繊細さも強い。

「角」というシンボルが表すのは、繊細さ。そして自然の営みがもたらす豊穣さと力強さ。
角を持つ存在を尊い、と信じていた先住民たち・・。
頭に角を持つ存在が示しているのは、原始の神々のエネルギーであり、ワンネスの源。
つまり権力者たちは、紀元前から信仰された尊い存在を、わざとそうでないと思わせるようなイメージを作り上げ、同時に、自分たちが信仰する新しい「神」の優位性を高めていきます。

そこから見えるのは、神という存在すら、歴史において変えられてきたということ。信仰は自由のはずだけれど、いつのまにか、信仰する神のイメージが移り変わり、「和」を尊ぶのではなく、競争社会が正しいとされ、弱肉強食の世の中になっていった。

しかし本当は、力を持たない存在こそが世界の中心であり、現実を変えるパワーを内に秘めている。
その象徴がもしかしたら、「鬼」と呼ばれた神々や縄文人。
権力者たちは、「力を持たない普通の人は最弱に見えるが、実は最強だ」ということを知っているのかもしれません。だからこそ目隠しをしたくて、わざと「鬼」は化物というイメージをつくり、先住民のルーツを失わせ、彼らが本来持っているパワーに気づかないよう、「悪」イコール=鬼、という罠をしかけたのかもしれません。


この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,537件

本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン