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古代、女王たちの統治は5世紀に終了。同時期に、飛騨王国も滅亡② ~縄文の終焉は新しい時代の幕開け~

縄文を調べていくと、ある時期に突然、各地の縄文王国が消滅したのがわかります。それは奈良時代・・。西暦645年の「大化の改新」以降です。
まず中大兄皇子と藤原鎌足は、大王家をしのぐほどの権勢を誇っていた蘇我家を倒し、その後、大王家を中心とする国家づくりの着手します。
彼らが目指したのは、唐(中国)のような強力な軍事力を持つ中央集権国家。そのためには、各地の縄文王国を滅ぼし、日本をヤマト王権のもとに一つにすることが必須でした。
詳しくは下記に書いています。

しかし、すでに5世紀には神代から続く飛騨王国が滅亡していました
古事記で初代の天皇と記される、神武天皇。神武天皇は古くから続く飛騨王国のウガヤフキアエズ王朝の血統をひく人物でした。
実際、奈良時代、持統天皇が古事記を編集する際、飛騨出身の稗田阿礼(ひえだあれい)を召し出し、古い話を聞き、それをもとに古事記が編集されたと言われています。飛騨と古事記以前の古代史には深い関わりがあります。

飛騨の古い伝承によると、古代、神武天皇がまだ皇子で「サヌ」という名前だった頃、渡来系の民族が日本に押し寄せ、なかにも人食い人種もやってきました。それに危機を抱いた飛騨王朝が、渡来系民族から日本を護るため、日本を統一することを考えます。そこで、王子の「サヌ」にまず九州に行くよう命じ、九州を手中に収めた後、「サヌ」は本州に帰還し、日本全土を統一。初代のヤマト王権の大王として即位したそうです。

さらに古くから、日本では女王が国を治めるケースがありました。
日本はコンビニより古墳の数が多い国ですが、5世紀以前は、女性首長の古墳が多く見られました。しかし5世紀以降、女性首長の古墳はめっきり減っていきます。
女性が国を治めた際、男性の王と決定的に違うのは、武力に頼らない国づくりをしていた、ということ。
女性が持つ、たおやかさと知性、柔和さや聡明さ。
そういったもので、女王は国を平和的に治めていました。
古代の女王の中には邪馬台国の卑弥呼(陽巫女)のように、シャーマニズムに秀でた巫女たちもいました
シャーマニズムといってもおどろおどろしいものでなく、フトマニ(太占)などの占いをしたり、「神」と呼ばれる八百万の神々とつながり、託宣をしたりする巫女だったようです。

しかし、女王による平和な統治は5世紀に終了し、同時期に飛騨王国も滅亡します。そしてこの流れは奈良時代に続き、7世紀にはいると、北関東や東北を除く、ほぼすべての縄文王国が、中大兄皇子や藤原鎌足のめざす「一つの日本(中央国家制度)」という理想の中、消滅していくこととなります。
それでは次回、奈良時代に消滅した日本各地の縄文王国の謎に迫ります。





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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン