[旅人A] ー 生と死、出逢い、それらへの想いを旅情に託す心の巡礼 ー

コロナ禍の3年間 狭い生活空間に封じ込められ、移動の自由がことごとく奪われた 自分の半…

[旅人A] ー 生と死、出逢い、それらへの想いを旅情に託す心の巡礼 ー

コロナ禍の3年間 狭い生活空間に封じ込められ、移動の自由がことごとく奪われた 自分の半生がまさしく旅することで成り立ち、旅を糧に生きてきたことを、実感させられる日々でもあった 本ブログでは、旅から得た感懐を咀嚼し反芻しながら、生と死にまつわる想いのかずかずを綴っていくことにしたい

最近の記事

はるか遠くから人種を言い当てる -なぜわかるのか?-

いまイスラム教の国に来ていて 長らくホテルの12階に滞在(生息?)している といっても建物の作りが違うので 日本であれば15階以上の高さに匹敵するだろう 毎日仕事をしながら窓の外を眺める 道を歩く人の姿が小さく目にとまる 不思議なことに 歩いている人がアジア系なのか欧米人なのか、 あるいはインド系なのか、マレー人なのか 即座にわかるのだ 骨格も体躯も違うし、歩き方(英語でgaitというやつ)も違う 何かを本能的に嗅ぎつけて、すぐさま人種を言い当てる むかし、奥さんが幼稚

    • あの頃の香港

      はじめての外国は香港だった まだイギリス領だった時のこと 飛行機も初体験 成田の滑走路を離陸し 飛行機が上を向くと 胸の鼓動が高まった 期待からではなく不安から(笑) エコノミークラスの隣の席には一人の登山家 それなりの高山に初登頂した記録をもつ人のよう 奥さんはスウェーデン人だとか 少し自慢げな響きも 香港に着くと一緒に飛行機を降り 九龍にあるYMCAに彼も部屋をとる 翌朝ふたりで街を散策 立ち食いで朝食を済ませ 牛乳のパックも買って飲んだが、ひどくまずかった記憶が あ

      • 4月が来れば彼女は ・・・

        4月、彼女が僕のもとへ 水をたたえた川が 雨で水かさを増すとき 5月、僕のもとにとどまる いつかのように腕に抱かれて 6月、今までとは違ったふうに 彼女は落ち着きなく夜をさまよう 7月、彼女は僕をおいて飛び立つ 何の前触れもなしに 8月、彼女は死にゆく定め 秋風が立ち 肌寒さを運んでくる 9月、僕は追憶して想う あのときの恋が ついえてしまったことを April come she will When streams are ripe and swelled wit

        • ラマダン明けの街にて

          おとといの夕刻、この国のラマダンが終わった イフタール(夕食)の時間を待ちかねたように街に出た 思いのほか人が繰り出し、少し華やいだ雰囲気も伝わる たくさんの買いもの客の姿も 飲食可能な時刻を迎えるころには、食堂はすでに人で満杯 きのうからはラマダン明けのイード休暇 昼過ぎに街に出かけてみると やはり人、人、人 ・・・ 観光客も混じって市内はごった返している イスラムの専門家でもなんでもないが いろいろ考えてしまう なぜムスリムは1ヶ月間にもわたって 過酷な断食に従うの

          いつまでも どこまでも ♬

          むかし流行った歌のタイトルではないが 外国に出るたび実感させられるこの言葉 いつまで経っても どこまで行っても 日本からの仕事が付いてまわる 以前ならFAXという代物があって 出張先にまで送りつけられ 閉口したものだ いまはメール これまた どこまで行っても どこに逃げても 追いかけてくる このぶんだと地獄の一丁目まで付いてきそう(笑) もっと抽象的には「日本時間」というやつ 日本の就業時間に合わせて連絡ごとを処理する いくら時差があっても 日本時間で対応させられる

          深き河の彼方を想う

          ひとりで散歩に出るたび 人知れず立ち寄る場所がある それは路傍の小さなお寺 通りかかるような順路を選んだり 迂回して寄り道したりする ひそかな祈りを捧げるために コロナによって隔てられた年月 それが永遠の別れを意味したことを だれが予見し得ただろう 2021年6月29日 その人は幽冥を隔てる深い河をわたり 向こう岸に至ってしまった 手のとどかぬところへ 病のすえに たったひとりで いま小さな寺だけが その人とつながる唯一の場所 少なくとも私にとって・・・ 私にとって、

          ゼロになる身体 -生きている不思議 死んでいく不思議-

          呼んでいる胸のどこか奥で いつも心踊る夢を見たい かなしみは数えきれないけれど その向こうできっとあなたに会える 繰り返すあやまちの そのたび ひとは ただ青い空の青さを知る 果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ      覚和歌子「いつも何度でも」(後略) ---------------------------------

          ゼロになる身体 -生きている不思議 死んでいく不思議-

          誰もいない春 -「光の春」から「音の春」へ(季節のうつろいに寄せて)-

          次第に日も長くなり 日射しだけは春のようなうららかさを湛えるようになっている この時季を表現する「光の春」ということばも 春の訪れは「光の春」からはじまり「音の春」へ 雪深い地方では、雪崩の音、雪解けの音、水かさを増したせせらぎの音、鳥のさえずりが春の訪れを告げる 最後に「気温の春」がやってくる これがわれわれが言うところの「春」 つまり、春は三つの段階を経ながら姿をあらわすという 「光の春」の由来はロシアとも 寒さに閉ざされたロシアで、徐々に日が長くなり 空も明るく

          誰もいない春 -「光の春」から「音の春」へ(季節のうつろいに寄せて)-

          ダッチワイフと「谷間」を考える-類似度と親密度の不可解な関係-

          中国では女性の数が足りず、ダッチワイフが進化を遂げているという。 一人っ子政策によって男の子が好まれ、女性が何百万人も少ないのだとか。 そこで大進化を遂げているのがダッチワイフ(最近はラブドールというそうですが・・・)。 ワギナに似た感触すら再現されていて、レンタルの場合、使用後その部分を念入りに洗浄して次の客に回すのだそう。 引っ張りだこの人気のようです。 そこで出てくるのが「不気味の谷」の問題。 ダッチワイフのバスト(谷間)のことではありません。 なんでもロボットの外見

          ダッチワイフと「谷間」を考える-類似度と親密度の不可解な関係-

          橋のうえの出逢いと別れ

          橋は出逢いと別れを演出する絶好の場所である 古い映画だが佐田啓二と岸惠子が主演した「君の名は」でも、数寄屋橋が、二人の運命的な出逢いと悲劇的な別れの舞台になっている ドラマチックではないが、わたしにも橋にまつわる小さな想い出がある 高校生のころ  歩いて学校に通う道に橋が架かっていて その上で きまった女子生徒とすれ違った ほぼ毎朝 髪が長く 少しきゃしゃな おとなしそうな子 ちょっと可愛かった記憶 彼女が通う女子高は端の手前 私の男子校は端をわたった先 遅刻すれすれの

          出逢う神秘 出逢わない神秘

          ひとの出逢いってむずかしい とくに男女の こっちがどんなに好意をいだいていても  想いが伝わるとはかぎらない いや 伝わらないことのほうが圧倒的に多いだろう いろんな原因が無限に絡みあい、相互に作用しあって、「出逢い」という一つの事象が実を結ぶ たぶん別離も同じ 想いの強さとは別の何かが背後に働いていて  ものごとの帰趨を支配し  ひとの定めを采配している その「何か」は 永遠にわからない 神かもしれないし  単なるめぐり合わせの所産かもしれない わたしたちは そ

          暖房のない時間 -冬の桎梏から逃れる贅沢(やせ我慢?)-

          暖房をつけないまま 部屋でこの文を綴っている 少し寒いが 少し無理して 暖房のない時間を楽しみたいから 冬の桎梏から放たれようとする気分を味わいたいから きょうは風がなかった そのぶん 暖かさを実感できた 街路を足早に歩けば  心なしか汗ばむ感じも 夏が来れば来たで こんどは暑さの桎梏が待つ 冬が去りきらない今 とりあえずは、冬から解放される自由を 先取りして感じる贅沢な時間があっていいのではないか

          暖房のない時間 -冬の桎梏から逃れる贅沢(やせ我慢?)-

          3歳から19歳までが結婚適齢の国 − いちおう数年前までですが −

          先日インドネシア人の青年が我が家を訪れました。外国人を呼んでの夕食会のようなもの。(といっても大したものは出しません。)実際のところはもろもろの情報収集、ていのいい諜報活動。この「おにいさん」(むしろ「坊や」という感じ)はスマトラ島出身の十代。ハイティーンですね。男ですけど。 女性の結婚年齢に話が及びました。シメシメ、関心ある話題・・・。インドネシアの独身女性は、25歳にもなると俄然焦り出すそうです。ハンパないプレッシャー。30歳は完全に危険水域。何が「危険」かというと、親

          3歳から19歳までが結婚適齢の国 − いちおう数年前までですが −

          閉経を機に変態する女性 −瀬戸内寂聴さんの言葉に想う−

          瀬戸内寂聴さんの女性に寄り添う言葉が あらためて注目されている とくに印象深いのは、閉経後こそ女性としての本番、みたいな発言 理由がふるっている もう妊娠しないので 憂いなく性を満喫できるから、という なるほど、わかる気がする 良くも悪くも女性を縛ってきたのは 「妊娠」という事実・現象なのかもしれない 妊娠は女性に 幸福とともに不幸をも与えてきた 瀬戸内さんは 月経、妊娠、出産という女性特有の生理から解放されてからが 女の本領発揮だというのだ たしかにそうなのだろう そ

          閉経を機に変態する女性 −瀬戸内寂聴さんの言葉に想う−

          時よ移ろえ 君は美しい -四季のめぐりに寄せて-

          コロナ禍の最中、有名人の自死が相次いだ 志村けんが亡くなったあたりからの現象 その「後遺症」が今も社会に残っているように思う コロナが直接間接に人々の心をむしばみ、さいなみ 患者だけでなく多くの人びとを死の淵に追いやった 大震災について「震災関連死」というのがあるが コロナに関しても「コロナ関連死」という用語さえ生まれた わたしは幸いにも感染を免れ、ことなきを得たが ただ、コロナによって少し生死への考えが変わった というか、生や死のことを自分のこととして意識するようになっ

          タイムマシンのある家 -[旅人A]のタイムトラベル(?)-

          きのう朝に洗濯をした ドラム式の洗濯機を回したままトイレに入った 入る時に見たら、洗濯終了まで残り「7分」とあった 数分後にトイレを出ると、数字は「10分」に ん? 何かがおかしい トイレ内にいるうちに時間が逆戻りしているではないか たかが数分とはいえ・・・ 我が家のトイレはタイムマシンだったのか? トイレで水は流したが、時間までも逆流したのか? でも 考えてみると 洗濯機のほうがタイムマシンなのかもしれない ウォッシングマシン でなくて タイムマシン・・・? Panas

          タイムマシンのある家 -[旅人A]のタイムトラベル(?)-