シェアハウス・ロック2408下旬投稿分

【Live】後期高齢者枠に突入0821

 先週の土曜日は、私の誕生日だった。その日、私はめでたく後期高齢者となったのである。
 午前中に、鳥取の婆やを自称する人から「鷹勇」の一升瓶が冷蔵便で届いた。誕生日プレゼントである。ありがとうっ! 早速、冷蔵庫の野菜室に入れる。まあ、幸せだったのはここまで。
 暑いので昼飯は冷やしたぬき蕎麦。島田屋の冷凍蕎麦(5食入り1パック)の3食分を茹で、水にさらし、氷を入れた冷水で締め、皿に盛る。ほうれん草、カニカマをおばさんがトッピングし、揚げ玉は私がトッピングし、おばさんがつゆをかける。おじさんは、食べる人である。ほとんど私がやってるな。
 近所のスーパーでは、冷凍蕎麦は島田屋のものになってしまったが、そうなる前の加ト吉のもののほうがうまかった。島田屋75点に対し、加ト吉80点くらいの差である。
 後片付けは私だ。これは定番。まあ、平穏無事だったのはここまで。
 夜は、毎度おなじみケイコさんと、マエダ(妻)と、おばさんと私で居酒屋へ。ケイコさんは最近職場を辞め、マエダ(妻)は、マエダ(夫)が長期帰郷をしているので、それぞれ無聊をかこっているだろうというおばさんの気遣いからである。
 この居酒屋は、駅からバスで10個目くらいの場所にあるが、「地べたから生えてきた」感が強く、私は気に入っているのである。駅前は人工都市なので、チェーン店がほとんどで、「地べたから生えてきた」ような店はほぼない。
 駅から3個目の停留所でケイコさんが乗ってきて、その次でマエダ(妻)が乗って来て、それから6個目で全員が降りる。
 5時、開店直後なのに、驚いたことに満席。予約をしておいてよかったよ。これは、おばさんのお手柄である。
 マエダ(夫)がいれば毒性は相当弱まるのだが、この日は『マクベス』の三人の魔女状態である。「きれいは汚い。汚いはきれい」。
 注文のとき、「私は今日誕生日なので、冷やっこ頼んでいいでしょうか」と控えめに申し出た。

ケ   冷やっこに爪楊枝立ててやろうか?
マ(妻)火が点けられないよ。
お   75本も使ったら、お店に悪い。

 言いたい放題、三婆叟状態ですな。正しくは三番叟だ。三番叟だから、めでたいことはめでたい。
「地べた居酒屋」では三婆カーニバルの毒気にあてられ、這う這うの体で駅前の立ち飲みバーへ移動。おばさんが、マスターに早速「バースディ冷やっこ」の話をする。
 マスターは、50歳くらいかなあ、同じく50代と見える常連のおばさんと、「この歳になると、誕生日っていっても、あまりおめでたくない」と意見交換。
 私は、年長者として彼らの考え違いを諌めた。
「60代を越えると、『今年も一年生き延びた。めでたい』ってなるよ」
 まあ、「鷹勇」の冷蔵便を除いて、たいした誕生日ではなかったな。
【追記】
「鷹勇」は昨日飲んだ。それまでは、これだけいい酒を飲むような夕食ではなかったのである。昨日は、夕食はそれぞれが用意する日だったので、蕎麦を茹で、ざる蕎麦にし、それをつまみに飲んだのである。蕎麦をつまみに日本酒というのは、マエダ(夫)も気に入り、このごろではよくやるようだ。

『老人力のふしぎ』(赤瀬川原平)0822

 以前、表題の本を紹介した。えのきどいちろうの発言に対する編集部注として掲載されていた、武者小路実篤の90代に入ってのエッセイを紹介したのである。このエッセイに関しては二度『シェアハウス・ロック』で紹介している。
・一回目:エア・チェック1031(2023)所収
 この時点では、同じことを何べんも言い、壊れたレコードみたいでおもしろいのでまた読んでみたいと言っている。つまり、記憶だけというか、反芻しただけであった。
・二回目:三度目の小林信彦さん0704所収
 ここで前述のとおり、「また読んでみたい」時点から約半年後に偶然読めたわけである。嬉しかったんで、全文を紹介した。
 さて、「老人力」は赤瀬川原平が考案し、普及活動をしているもので、たとえば「ボケてきた」と言わずに「老人力がついてきた」と言うことによって、なにがしか見えてくるものがあるだろうというあたりが出発点であるようだ。
 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊といった方々が常任会員(笑)である。これは「路上観察学会」の分派であり、藤森照信がヘゲモニーをとると「路上観察学会」になり、赤瀬川原平がヘゲモニーを握ると「老人力学会」になるという、なんともいい加減な(笑)学会である。分派というより、リバーシブルのジャンパーみたいなもんだな。
 ようするに、いい加減な話を、きわめて真面目な手法で分析しようという「いい加減真面目」な学風(笑)である。
 表題の書籍は、この常任会員(笑)と、えのきどいちろう、東海林さだお、種村季弘、日高敏隆各氏という非常勤会員(笑)との対談、鼎談で構成される。
 こういう学風(笑)なので、えのきどいちろう、東海林さだおは秀逸。特に東海林さだおは水を得た魚のようである。
 意外と健闘しているのが種村季弘で、ホフマン、マゾッホの研究、紹介や、錬金術、魔術、神秘学なんかより、こっちのほうが向いているんじゃないかと思わせるところがある。
 日高敏隆は動物行動学者なので、「老人力」と親和性が高いのではないかと期待させるが、意外とダメ。「いい加減さ」が足らない。「老人学」だったらよかったのかもしれないな。
 この本で、一番感心した言説は以下である。ただ、残念なことに、上記のどなたの発言だったかを憶えていない。

 人生観が一個じゃ足らない。人間50年だったころは一個でよかったのかもしれないけれども、一個の耐用年数を25年とすると、いまは二、三個ないとカバーできない。

 そうか。私は、たった一個の人生観で通してきたんで、50歳以降はパッとしないんだな。いまからでも遅くないだろうから、なんか見繕わないといけないな。
 今回、私はめったに使わない(笑)を頻発しているが、「老人力」プロジェクト全体がけっこう(笑)なのである。この関連は何冊か出ているので、お暇なおりにどうぞ。意外とここから、「学」とか「論」に目覚めるかもしれない。

アラン・ドロン死去0823

 アラン・ドロンが亡くなった。8月18日だったという。88歳だった。
 衛星放送、ケーブルテレビ等々でやたら映画を録画する(だが自分では見ない)という不思議な趣味の人がいて、この人から借りたDVDで、アラン・ドロンの出演作はほとんど見ている。そのなかでも、「ひとつだけ見るんならこれ」とお勧めするのは、『地下室のメロディ』である。カンヌのホテルから10億フランを強奪するという話だ。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演というんで、話題になった1963年の映画である。なかなか小味の効いている映画で、けっこうハラハラ、ドキドキさせてくれる。
 ジャン・ギャバンに片岡千恵蔵、アラン・ドロンに大川橋蔵を当てはめた『御金蔵破り』という翻案ものがある。これは1964年。一年後だよ。やってくれますなあ、東映も。否定的な言い方に聞こえるかもしれないが、こちらもまあまあおもしろい。
 アラン・ドロンの出世作は『太陽がいっぱい』であることは言うまでもないだろう。これはパトリシア・ハイスミスの小説『リプリー』が原作で、まあまあの犯罪映画である。この映画が日本では大当たりしたので、一時期、小説のほうのタイトルも『太陽がいっぱい』にされてしまった。現在では、『リプリー』に戻っているはず。
 じつは、私の敬愛する小林信彦先生がパトリシア・ハイスミスの大ファンだ。ハイスミスの特徴は「気持ちの悪さ」である。たとえば、『リプリー』では、大富豪の息子を殺し、彼になりすまして贅沢三昧をしているトム・リプリーのところへ、息子を探している刑事が現れるが、この刑事が真相を知っているようで、知らないようで、この刑事の存在自体がまず気持ちが悪い。
 しかも、読者の側は、どことなくリプリーに自分を仮託して読んでいるわけなので、刑事がなにか言うたびに、「あっ、バレてるのかな」「バレてないよな」といちいち考えてしまう。これも気持ちが悪い。
 一番気持ちが悪いのが、上述のように考えているうちに、自分が犯罪を犯したような気分になってくる。これが最高に気持ちが悪い。
 小林信彦先生のお勧めだから、パトリシア・ハイスミスは何作か読んだのだが、ものすごい悪妻が出て来て、読者は、主人公が「今度こそ殺すか」「まだ殺さないか」とハラハラし、それを読んだ当時、私は離婚前だったので、小説の世界と現実の見境いがつかなくなりそうな気がしてあわてて読むのをやめた。そのくらいパトリシア・ハイスミスは気持ちが悪い。
 アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』は、映画の限界からか、『リプリー』の気持ち悪さはあまり出ていない。
 映画好きの友人と話していて、「アラン・ドロンはヌーベルバーグと言われた作品には一度も出ていない」と言ったところ、彼は頭の中で作品を検索する顔をしばらくしていて「確かにそうだ」と言ったことがあった。
 私はどちらかと言えば、若いころはジャン=リュック・ゴダールとか、そんなのばっかり見ていたので、アラン・ドロンの映画は冒頭でお話ししたようにDVDで見たのは50歳になってからだった。
 だから、残念ながら追悼するほどの親しさは感じない。

8月22日の訃報欄0824

 なんだか人が死ぬ話ばっかりしているが、『毎日新聞』8月22日朝刊には松岡正剛、石川好、荒井献各氏の訃報が掲載されていた。
 余談だが、地方に住んでいるそれなりの人士は、地方新聞の訃報欄を最初に読むという話を聞いたことがある。つまり、地方小都市では、「上」のほうの人たちはみんな知り合いで、万が一のことがあったときに失礼のないように、そこから読むということであるらしい。
 前述の三氏は、知り合いではないが、それなりに関心を持ってきた人である。
 私は、松岡正剛が1970年ごろ編集していた『遊』という雑誌の愛読者だった。この雑誌は知識、学問を横断的に扱い、異なる分野を結び付ける編集方針だったが、それに私は相当な刺激を与えられた。それ以降、彼の仕事には関心を持っていたのである。あまり言われることがないが小林啓子が歌った『比叡おろし』は、松岡正剛の作詞作曲である。
 石川好は、ある講演会で知った。そのときの冒頭発言が、「アメリカの移民法は、恐ろしい法律である」というものだった。つまり、移民法は前文だか、第一条だかが「すべて、アメリカ国民たらんとするものは…」で始まっており、国内法であるにも関わらず、全人類を対象にしてしまう「呪力」のようなものを持っている、ということである。別の視点から言えば、これとアメリカ合衆国という国そのものの恐ろしさには、通底するものがあるように思う。つまり、イノセントな強者ということで、これは、恐ろしいものの極北ではないだろうか。
 それを聞き、「おもしろいことを言うやつだなあ」と思い、主著(というか実質のデビュー作)である『ストロベリー・ロード』を皮切りに、何作か読んだのである。
 以上は、私が少なからぬ影響を受けたといった程度の人たちであるが、荒井献さんは、20歳をちょっと過ぎたあたりで『イエスとその時代』を読み、それから数作を読み、相当の影響を受けた。私は、荒井さんによって「史的イエス」という視点を与えられたと言っていい。
 八王子に移住して割合すぐに、奉職されていた恵泉女学園大学で特別講演があり、これは誰でも参加できるもので、ご近所ということもあり、聞きに行ったことがあった。東北大震災がテーマとなっている講演だった。荒井さんは「九条科学者の会」の呼びかけ人の一人であり、どちらかと言えばその立場からの講演だった。
 荒井献さんだから当然聖書の話も出たのだが、私としてはもっと聖書関係の話を聞きたかった。でも、タイトルを知っていて講演に行ったのだから、文句を言う筋合いはまったくない。
 追悼のつもりで、昨日から『ユダとは誰か』を読んでいる。
 この本は冒頭に、「福音書共観表」の一部が掲げられている。
 ちょっと説明すると、まず「共観」は「共観福音書」(マルコ、マタイ、ルカ)中の記事の比較対照を言い、これ自体は『福音書共観表』というタイトルで、岩波書店より2005年に出版されている。上記の「一部」とは、そのうちユダに関わる部分である。
 新聞の訃報欄には、「キリスト教成立時に正統とされた初期教団とグノーシス主義との関連を解明した」とあった。私が、グノーシス主義に興味があるのは、荒井さんの影響が大きい。

【追記】
『ユダとは誰か』は9月1日に読了(再読だけど)。現在は、『トマスによる福音書』を読んでいる。これも再読。これを読み終わったら、『ユダの福音書』を読むつもりである。これは、買うだけ買って、読んでいなかった。

エディット・ピアフ0825

 パリ・オリンピックの開会式でのセリーヌ・ディオンの『愛の賛歌』(エディット・ピアフ)を、youtubeでは切れ切れでしか聞けないと書いたが(【Live】パリ・オリンピック0729)、いまでは全曲通して聞くことができる。
 この「切れ切れ」以来、私はなんだかyoutube依存症のようになり、エディット・ピアフ本人の映像付き歌唱を探しては聞いている。探したなかに、『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(2007年、フランス映画)のラストシーンがあった。
 これはエディット・ピアフの伝記映画で、主演のマリオン・コティヤールは、本物よりも本物っぽい。彼女が、第33回セザール賞主演女優賞と第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞したというのもうなづける出来である。
 この映画を見たのはだいぶ昔なので記憶があやふやになっているが、エディット・ピアフは5歳まで売春宿で育ったという出自なので、そのせいもあるのか愛情依存症みたいなところがあり、そのためか正直なところその人生はぐちゃぐちゃである。もっとも、エディット・ピアフの人生、とりわけメジャーデビュー以前は伝説にまみれているので、いま書いたことも、正確なところはわからない。
 有名になった以降も、シャルル・アズナヴールのデビューをサポートし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させるなど、事実上の愛人関係にあったと言われているし、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなども同様の関係にあったらしい。
 そう言えば、ビリー・ホリディも愛情依存症みたいなところがあるな。二人とも麻薬依存症も兼用である。ビリー・ホリディは44歳で亡くなっている。
 アルコール依存症や薬物依存症には治療方法がそれなりに確立していて、しかも脱出プログラムや脱出のための会などもあるが、愛情依存症はそうはいかない。大変なんだろうな。私のyoutube依存症は、電源さえ切れば、それで治るのでどうってことはない。
 上述の映画のラストシーンでは、「女性へのアドヴァイスをいただけますか?」「愛しなさい」「若い娘には?」「愛しなさい」「子どもたちには?」「愛しなさい」というインタビューの声にかぶさり、エディット・ピアフが『水に流して』を歌うのだが、ここは相当の名シーンである。おそらくこれは、オランピア劇場のコンサートで、そのときは立つのもやっとであったはずだ。このシーンでエディット・ピアフが猫背っぽく見えるのも、たぶんそのせいなのだろう。エディット・ピアフは、47歳になってまもなく亡くなった。
 youtube依存症の時期に、都はるみが『イムジン河』を歌っているのを見た。『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』でエディット・ピアフが着ているような黒っぽいドレスを着て、やはりどことなく猫背っぽい。この『イムジン河』は、絶唱といっていい出来である。
「都はるみ、『イムジン河』を歌う」で検索すれば出て来る。歌うのは一番最後だが、歌う前のインタビュー部分も聞くべきである。
 

落語彙10826

 落語でしか聞けない言葉がある。それを「落語彙」と名付けてみた。たとえば、次のようなものである。
・心持
 これは、気持ち、気分というのとほとんど同じに使うが、「心持」と言われるとなにがなし江戸情緒に触れたような心持になる。
・本寸法
 これは、日常語で言えば「本格的」「本格派」に近い。
 柳家喬太郎に『コロッケ蕎麦』というものがあり、これはタイトルでわかるように新作である。
 冷凍コロッケが並んでいるところで、あるコロッケが隣のコロッケに、「ねえねえキミ、どうやって食べられたい?」と聞くところがある。
 いろんな食べられ方をそれぞれが言うが、あるコロッケが「ぼくはねえ、揚げられた後、キャベツの千切りのそばに置かれて、おソースを掛けて食べられたいなあ」と言うのに、質問をしたコロッケが「おっ、本寸法だね」とコメントする。
 これが、本寸法の正しい使い方である。
 ようするに江戸は職人の町だったので、「寸法」という語彙で多くのニュアンスをカバーしたというところなのだろう。
「間尺に合わない」も同じデンだろうなあ。ただ、「間尺に合う」というのは聞いたことがない。世の中、間尺に合わないことだらけで、合うことなんかめったにないんだろう。これは「まじゃく」と読むのが本寸法である。ただ、IМEでは、「ましゃく」でないと出てこない。
・了見
 これは「意見」「ものの見方」「考え方」、果ては「思想」「信条」あたりまでカバーするようである。
 たとえば大工の棟梁が、追廻しの下っ端を呼び出し、
「今日は、ひとつ、おめえの了見てえものを聞かせてもらおうじゃねえか」
なんぞと言う。これは、相当怖い。
 影山民夫に『トラブルバスター』シリーズというものがあり、これはテレビ局のトラブルバスターである宇賀神邦彦が語る一人称小説なのだが、上司の田所局長というのが誰かに説教をするシーンがある。記憶で書くと、

「それは、」と言い、田所局長はその後に続く言葉を頭の中の辞書を繰って探すような顔をしていたが、「間違った了見というものです」と続けた。
 あまりたいした辞書ではなかったようだ。

 影山民夫は落語ファンであり、三笑亭可楽(八代目)のファンだったようだ。なかなかシブい趣味である。これだけでも、落語通であることがわかる。
・わき(へ出かける、に行って)
 これはいろんな噺家で憶えている。
 たとえば、古今亭志ん朝は『酢豆腐』で、伊勢屋の若旦那に腐った豆腐をなんとか食わせようと悪勧めするときに、

 あたしら、わきい行って出されたとき、食いようがわからねえといけねえんで、ここで食って見せておくんなさいな。

と言う。項目では「・わき(へ出かける、に行って)」となっているが、用例で明らかなように、「わきい行って」と発音する。
 今回の項目はすべて、私は日常会話では聞いたことがない。落語の中で聞くか、寄席でしか聞いたことがない言葉である。

落語彙20827

「落語彙」とは言っても、もちろん、かつては日常語として使ってはいただろう言葉である。その意味では、まず「落語彙」は落語に「陸封」されてしまったような言葉だ。とは言っても、いまでこそあまり使われることがなくとも、比較的最近までは使われていた言葉も含まれる。
 たとえば、次の項目は、私が小さいころには、私の母親も使っていた。
・様子(がいい)
 これは、古今亭志ん生の落語によく出て来る。用例は、

 ちょいとそこ行く棟梁、様子がいいよ。
 寄ってきなさいよ。

などと、お女郎さん(志ん生は、「おじょうろさん」と発音する)が言う。私の母は和服の仕立職だったので、「寄ってきなさいよ」とは言わなかったが(あたりまえだね)、「あそこの奥さんは様子がいいね。素人じゃなかったのかね」などと、近所のおばさんと噂をしたりしていたのである。志ん生さんだったら、「あそこ」ではなく、「あすこ」と言うだろう。
・割り前
 これは、割り勘の「割」と、手前、自前の「前」ではないだろうか。用例は、志ん朝の『酢豆腐』にある。町内の若い衆がよさって飲もうというところに運悪く通りかかった「半さん」のセリフである。「よさって」は、現代日用語では「集まって」だが「よさって」は私の語彙にもある。若い人には通じないかもしれないけど。

 どっかの店に、のれんのひとつでもくれてやろうってのか? 割り前出そうじゃねえか。付き合うよ。

 私は、割り前は落語でもここでしか知らない。もちろん、日常語でも聞いたことはない。志ん朝さんは、桂文楽に『酢豆腐』を教えて(おせえて)もらったはずなので、文楽も「割り前」を使っているのかもしれない。今度、機会があったら、気を付けて聴いてみよう。
・近間
 これは、稀ではあるが日常語で使ってはいた。

「亀戸に、餃子食いに行こうぜ」
「近間で済ませようよ」

 私が子どものころは、私がいた地域では、亀戸はけっこう餃子で有名だったのだ。あっ、よけいな話だった。
「間」は、けっこう使われた言葉だ。「間がいい」「間が悪い」など。用例は、

 いま、一杯(いっぺえ)やろうと思ってたとこだ。間のいい野郎だね、まったく。

 このあたりまでは、いちおう語彙の範囲に収まる。次回お話しすることは、促音化である。

促音化、あるいは訛0828

『そば清』(そばせい)で、金原亭馬生は、主人公を「蕎麦っ食い」と言っている。その弟である古今亭志ん朝は、マクラで、「私はどうも、寒いのは苦手で、どっちかって言えば暑っついほうが好きです」と言っている。つい最近聴いた柳家小三治の『大工調べ』のなかで、小三治は「油っ紙」と言っている。
 たぶん、こういった「っ」の使い方は、江戸弁、下町言葉、場末言葉に馴染みのない方々は違和感をおぼえるところだろうと思う。「こそあど」は、私らは「こっち」「そっち」「あっち」「どっち」になるが、これはあんまり違和感を感じないだろう。それでも、「あっちっかし」になったらどうだろう。「あっちっかし」は、落語にもたまに出て来るが、私らには日常用語であった。
「かし」は「河岸」なんだろうけど、川とは無関係で「場所」にイコールである 。川なんぞどこにもなくても、「向こうっかし」「こっちっかし」である。「河岸」ばかりでなく、「お師匠さん」も「おっしょさん」になる。
「向こうっかし」は、さらに進んで「向こっかし」になる。
 この「う」の脱落は促音化ではないが、同様に、「若い衆」→「若いしゅ」→「若いし」になる。志ん生さんくらいになると、「若いし」である。たぶん私あたりが「若いしゅ」世代のギリギリのところだ。
 誰が言ったかは忘れたが、都市化すると母音が脱落するという。どの言語にもそれは見られるそうだ。だから、いまお話ししてきたようなことも、そういったことなのかもしれない。
 こういったのも訛と言えば、訛である。
 落語で訛と言えば、まず『百川』(ももかわ)だ。ここに出て来る百兵衛さんは、落語のなかでの訛の総本家のような存在である。私の見立てでは、『品川心中』に出て来るお百姓のお大尽がそれに次ぐ。志ん生は、このお大尽に「ひーふになるちゅうて、かたく約束したでねえか」と言わせているが、この「ひーふ(夫婦)」が脱力的におもしろい。でも、「ひーふ」などと訛る地方などありえない。
 三遊亭圓生だったと思うのだが、マクラで、落語に出て来るお百姓さんの言葉は、どこの言葉かわからないように工夫がされていると聞いたことがある。つまり、「おらたつのことを馬鹿にしくさって」みたいなことがないように配慮しているということだ。だから人工田舎弁。アフリカーンスみたいなもんだな。
 あの人(圓生)、講釈が長く、あるときの『火事息子』では、半分くらい江戸の消防の話だったな。雇用主や組織形態の話。私は、寄席で落語を聴いているんじゃなく、大学で歴史の講義を聞いている心持になったものだった。
 よく、落語に出て来る「あたりめえだい(発音は、あったりめーでーになる)、べらぼーめ」みたいなのを江戸言葉だと思っている人がいるが、あれは職人言葉であり、本物の江戸弁というのは日本橋、神田あたりの商家で話されていたものである。だから、これよりはだいぶ丁寧だった。
 以前、吉本隆明さんと小林信彦さんが、『東京人』で対談していることを書き、是非読んでみたいとお話ししたことがあった。それが掲載されている『よろこばしい邂逅』が手に入り、やっと読むことができた。「大川いまむかし」というタイトルで、大川には「すみだがわ」とルビが振ってあった。
 小林信彦さんは、東日本橋の和菓子屋の息子さんであり、「あたりめえだい。べらぼーめ」よりはだいぶ丁寧な言葉を使うはずなのだが、それでも、この対談では高校(教育大付属。山の手にある)でケンカごしになったときに、友人から、「キミ、不思議な言葉を使いますねえ」と言われたと言っていた。正確に言うと、対談ではこのことについて触れているだけで、この友人のセリフは、別の本で読んだのである。

異化について0829

 前回、落語に出て来る田舎言葉はアフリカーンスみたいなものだとお話しした。今回は田舎を離れ、江戸弁に戻る。
 この何回分かを書くために、私は、「この人は江戸弁だなあ」と思う人の噺を、改めて、ちょっと集中して聴いてみた。
 桂文楽、古今亭志ん生、金原亭馬生、志ん朝なんて人は、この目的のためには聞くまでもないので、具体的には、春風亭柳朝(五代目)、桂伸治(二代目)のおふたりである。柳朝のほうは、『江戸前の男: 春風亭柳朝一代記』(吉川潮)などという本もあり、江戸弁であることに疑いはないのだが、桂伸治は記憶だけである。この人の江戸弁のうんちくを高座で聞いた記憶はある。しかし、この人の師匠は、確か関西の人だったと思った。それで、確認したのである。
 youtubeで発見したそれは、桂伸治の襲名披露のもので、終戦間もなくのものだった。膝代りをつとめていたのは、なんと古今亭志ん生である。なんか、得した気分。演目は『お血脈』だった。
 以前、江戸弁をしゃべる人がいなくなったと嘆いたことがある。ちょうど一年ほど前だ。そのとき、「でも、いま、完璧な江戸弁をあやつる人がいたら、奇異な外国語を聞くようで、かえって気持ちが悪いかもしれない」と申しあげた。
 今回のテーマは、そのことと関連する。
 春風亭一之輔の『初天神』では、夜店でさんざっぱらごねて父親にものを買わせる子どもに向かい、店のオヤジが親指を立てる。セリフは「ぼっちゃん、グッジョブ!」である。この間の(こないだ、と言いたくなったな)立川で聴いた一之輔の『百川』では、百兵衛が訛るにこと欠いて(笑)インバウンダーみたいになり、噺のなかでも「なんだかインバウンダーみたいだな」と念押しまでしている。
 こういうのを、古典原理主義者みたいな人たちは、苦々しく思うのだろうな。事実、ネットの感想で、「また悪い癖が出た」みたいに言っている批評を読んだこともある。
 でも、ハナからしまいまで江戸弁、それも完璧な江戸弁で通したらいかがなものか。それにも、私らは違和感を感じるに違いない。なぜなら、聴いている私たちは江戸人ではないからだ。せいぜい、ただ、江戸情緒にひたりたいだけなのである。江戸語の勉強をしたいわけでもない。
 一之輔が、「グッジョブ!」「インバウンダー」などと言うのは、単なるクスグリだけでなく、一種の異化効果を狙ってのことなのではないか。ここで、一之輔は「これは現代の落語なんだぜ」という主張をしているのではないか。つまり、異化である。
 逆に、志ん生が『千早ふる』のなかで、ご隠居さんに「この歌はどういうわけなんです?」と聞くのは、「江戸時代の噺ですよ」という異化効果を狙っているのではないだろうか。「わけ」ではなく、ここで「意味」と言ったら、完全に現代の話になってしまう。
 私の言い方が悪くて、私がなにを言いたいかご理解いただけないかもしれない。
 落語の話ではないが、音曲の都家勝江さんは、「んま(馬)」と言っていた。私が子どものころはまだこの言い方が残っていて、おじいさん、おばあさんはやはりみんな「んま」だった。私は、6、7歳くらいまで、「んま」が正しいのか、「うま」が正しいのか、まったくわからなかった。
 それでも全編「んま」で通したら、わかる噺もわからなくなってしまうだろう。
 つまり、よくできた噺、そしていい噺家は、そこまで厳選して言葉を使っていて、しかも時代の変遷に従って、言葉も更新しているということなのだろう。そう考えると、落語というのはもの凄いものなのだなあと思う。
 あっ、言い忘れた。柳朝さんの前述の本は、とてもいい本である。一之輔は孫弟子にあたるはずだ。

時代の変遷と、それに沿った更新0830

 落語『酢豆腐』は、宝暦13年(1763年)に刊行された『軽口太平楽』に、その原話があると言われている。これを、初代柳家小せんが、明治時代になって落語としてとりあげ、三代目柳家小さん門下の初代柳家小はんが改作し『ちりとてちん』としたという。
 ここまでで落語に造詣の深い方はおわかりだろうが、これが大阪に輸出され、再び東京へ再輸入され、桂文朝が演じ、いまの『酢豆腐』になる。
 私が落語を聴き始めたころは、『酢豆腐』と言えば桂文楽(八代目)だった。古今亭志ん朝さんに『酢豆腐』の稽古をつけたのはその文楽である。それが証拠に、お二人とも、伊勢屋の若旦那の始めのセリフは、「おんや、んまー、こんつわ」だ。
 親父さんの志ん生が、「稽古をつけてやってくれ」と頼んだのだろう。
 ここから先は状況証拠と想像であるが、志ん生と文楽は仲が良く「こうちゃん」「ますちゃん」とファーストネームで呼び合う関係だったし、実子がなかった文楽に志ん生の次女を養女にするという話もあったと聞く。おそらく、志ん生には、自分みたいなゾロッペイな噺ではなく、きちんとした噺でおぼえさせたいといった親心もあったのだろう。
 ここまでは、『酢豆腐』の変遷のお話だ。ここからが、時代の変遷の話になる。
 以前ちらっとお話ししたが、町内の若い衆がよさって暑気払いで酒を飲もうとしているところに、運悪く通りかかった「半さん」が、糠味噌の樽に手をつっこむのが嫌で、代案として、「じゃあ、こうしよう。漬物を買う銭を出すよ」と言う。このときの半さんの最初の提示額が30銭。「いまどき30銭やったって、子どもだって喜ばねえ」と酷評され、最終的に「半さん」は1円50銭で手を打つ。これによって、おそらく志ん朝さんの『酢豆腐』の「現在」は、おおむね大正年間ではないかと見当がつく。
 明治年間でないことは、明治23年の高等文官の初任給が50円という記録があるので、「半さん」から「1円50銭」はなんぼなんでも取りすぎであることからわかる。
 大正9年の蕎麦の値段は10~15銭である。これで計算すると「半さん」は、8~12杯のそば代分を払ったことになる。
 まだよくわからないので、検算をする。富士そばで、かけ蕎麦は420円。だから半さんは3,360円~5,040円を払ったことになる。
 金のない友だちが、10人程度持ち寄りで暑気払いに酒を飲もうというときに、「この金額」を出せよと言われるのは、まあまあ妥当な気がする。これをとんでもないという人は、友だちがいない人だと思う。
 だから、初代柳家小せんが噺をしてたころは、3銭とか、30文とか言っていたのだろうが、それから徐々に値上がりし、桂文楽(八代目)あたりで30銭になって、その後はインフレーションには見舞われてないのだろう。
 落語は、原則、師匠から弟子への口移しである。現在はどうなのかは、実際のところ知らない。でも、口移し(=オーラル)であるからこその、時代の変遷へのビビッドさはあるというものだろう。
 同じ古典でも、文楽(人形のほうね、桂でなく)は本がきちんとあり、浄瑠璃のほうは、本にある譜ではけっこう不完全なので口移しなんだと思う。それでも、テキストがちゃんとあるんで、落語とはだいぶ違うとは思われる。
 この、オーラル、リテラルという伝わり方の違いもだいぶおもしろい。それによって、いろんなことを考えさせてくれるのである。

【Live】台風10号で洪水警報レベル40831

 台風10号は、いったいなにをやっているのか。これを書いている現在、時速は15キロだという。自転車でも、この台風だったら十分に逃げ切れる速度でしか進んでいない。
 九州あたりの人はたまったもんじゃないだろう。居座って、ずっと、雨降らせたり、風吹かせたりしてるんだもんな。ご同情申しあげる。
 こういうと、八王子在住の私らはまったく被害にあってないとお思いかもしれないけど、そんなことはない。
 木曜日は、毎度おなじみケイコさんが我がシェアハウスにやって来て、コーヒーを飲んだあと、おばさん、私の3人でバスを乗り継いでいく商業施設に行ったのだが、帰途、歩いているときに「これでもか」というくらいに降ってきた。どのくらいかと言えば、傘が役に立たないくらい。
 おばさんも、私も、ずぶ濡れで帰ってきた。おそらくケイコさんもそうだろう。
 昨日も、最寄り駅まで行って図書館に借りたものを返却し、ついでに周辺で買い物をして帰ったのだが、同様のドシャ降り。どうも、歩くときに狙われる傾向がある。
 一昨日、短時間で200mm降り、その前後もそこそこ降ったので、昨日は八王子市で洪水警報レベル4が出た。八王子の旧市街地は古い町で、江戸時代から防災には気を配って開発されているのだが(開発責任者は大久保長安である)、それを取り巻く郊外は新開地ということもあり、あまり深刻に防災が考えられているようには見えない。しかも、山間地で、谷戸と名前がつく場所があちらこちらにある。谷戸はアイヌ語起源らしく、低湿地を表すようで、そういったあたりが危ないのだろうと思われる。
 30代のころ、同僚の友人でコンピュータを買いたいという人に付き合って、秋葉原に行ったことを思い出した。この人は、「土」の専門家だった。約40年前、まだまだコンピュータが珍しいときだ。量販店で扱うようになったのは、それから5、6年後である。
「土がご専門って、どういうことですか?」という私の質問に、たぶん頭のいい人なんだな、非常に明瞭、かつ簡潔に答えてくれた。「たとえば新幹線つくりますよね。盛り土をしてその上に線路通すでしょ。ものすごく長い距離でしょ。そういうときに、私らが計算するんですよ」。なるほど。山勘でやるわけにはいかないもんな。山勘じゃ計画立たないもんな。
 もうひとつ質問をした。「山を削って、谷を埋めるでしょ。削ったほうと、埋めたほうと、どちらが安全なんでしょう」「それは、間違いなく埋めたほうです」。私は逆だと思っていた。「なんでですか」「埋めたほうは、それなりの計算をして、それなりの安全を確保するんです。削ったほうは、正直なところ、なにが起こるかわからない。だいたい削りっぱなしだから」。
 つまり、あらぬ表面が露出し、そこから水が入ったりして、なにが起こるかわからないということなんだろう。
 洪水警報レベル4が出ても、私らのところはURなんでそれなりの工事をしているだろうし、やや高台にあるし、だいたい6階だし、洪水は大丈夫だと思う。
 それでも、八王子の新開地は地形的に山間地が多く、前述の「削りっぱなし」風なところも多い。バスで移動していると、あちらこちらに「危ねえなー」みたいなところがある。無事を祈るばかりである。

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