シェアハウス・ロック2402下旬投稿分
2日で一万歩が日課0221
歩行によって、体全体の筋肉の60~80%を使うそうだと前回申しあげたが、これも八王子に移住した68歳で実感した。歩くときに、腹筋を使っている感じがするようになったのである。それまでは、そんなことは皆無だった。まあ、腹筋が弱くなって、そう感じるようになってきたのだろう。
腹筋運動は、私、若いころは無限にできた。だから、回数ではなく、時間でやっていた。今日は15分とか、今日は20分とか決めてやっていたのである。吉永小百合さまは、共演していた高倉健さんに、「腹筋(運動)は何回くらいやれば(現状を)維持できますか?」と聞いたという。健さんの答えは「まあ、百回だね」だったそうだ。我ながら、ヘンなことおぼえているなあ。どこで読んだものやら。
2日で一万歩の日課はなかなか大変で、歩くこと自体はどうっていうこともないけれども、雨の日が続くと出歩くことが嫌になる。去年の梅雨時は、駅前のスーパーが入っているビルの5階まで歩いて登り、歩いて降りたりした。体感では、それだけでほぼ2日で一万歩に相当する。
階段を昇り降りすると、普段の歩行では使わない筋肉を使うことになる。この普段使わない筋肉を使うというのも、衰えをくい止めるためには重要なことのように感じられる。これも体感からである。
階段を降りるだけでも相当な運動になることを知ったのも、ほぼ同じころだった。これを書いている今日、毎日新聞の一面左下の、「毎日サイトのお知らせ」みたいなところに、「階段を降りるほうが、昇るのより運動になる」と書いてあった。ちょっと信じがたいが、まさか嘘はつかないだろうから、たぶん本当なんだろう。サイトと契約していないので、その記事の中身は読めず、「そう書いてあった」としかわからないが、中身を読めば理由も書いてあるのだろう。
まあ、山勘では、これも普段使わない筋肉を使うといったことだな。全体負荷(特に心肺機能への)だけから言えば、当然登るほうが高いはずだ。
ああ、そうそう。本日のような話をしていたら、「スクワットがいい」と勧められた。で、素直なもんでやってみたら、ワッ、やべー、腰が十分に落とせない。仕方ないので、おしりをベッドに乗っけるようにして、スクワットをやっている。笑わないでよ。これだけでも、普段使わない筋肉を使うせいか、一週間くらいで太ももの内側の筋肉が痛くなってきた。しかも、毎日の回数は10回だよ。やだやだ。
それでも、これを続けていれば、普通のスクワットができるようになっていくかもしれない。
だけどさあ、こんなことやってたら、一日の大半を、なんかしらの運動をすることに費やすことになっていくんじゃないかねえ。それはまあいいとしても、それで結果は、少しでも体力が向上するならまだしも、維持するためだけに一日の大半を使うって、なんだかトートロジーみたいな気がするな。「私は、生きるために生きています」なんてね。
歩くにも「準備運動」が必要になる0222
昨日の毎日新聞で山本學さんが、「年を取れば機能が落ちてくるのは当たり前です。努力しないとどんどん老けていっちゃいます」と言っていた。まったくその通りだと同感する。
朝起きて立ち上がる。そうするとまず、腰になにがしか違和感がある。とは言え、痛いほどでもないし、ギックリ腰っぽい感じでもない。あえて言うなら、「ギック」くらい。ギックリ腰寸前のさらにちょっと手前くらいの感じである。
筋肉も、なんだか固まる直前の感じである。タマゴだと半熟くらいの気分。ハードボイルド(固ゆで)ではない。
これは、歩けば治る。調子のいいときは、100歩も歩かないうち普段の調子になる。だが、調子の悪いときは、最寄り駅までの距離の1/4くらい歩かないと普通の調子にはならない。駅までは約3000歩といったところである。
たぶん、朝起きてこんな調子なのは、寝ているときにあまり体を動かしていないからだ。というのは、起きているときでもしばらく座っていると、立ち上がってからすぐにはちゃんと歩けないからである。椅子に座ってなにやらやっていても、バスや電車の座席に座っていても、これは同様。
ああ、ちゃんと歩けないとは言っても、傍から見れば、そこそこちゃんと歩いているように見えるとは思う。これは、自分ではそう思うってだけのことかもしれない。やだやだ。
血流が悪くなっているんだろうな。それで、歩いて血流が多少でもよくなると、やっと普通に動ける感じになる。ああ、そうそう。「準備運動」ってやったでしょ、小学校や中学校で。歩くにも「準備運動」が要るようになってきたっていうことだな、きっと。
歩行に使う筋肉に関しては、だいたいこんな感じである。
ただし、「ギック腰」の事情は若干違うような気がする。
ホラ、よく古くて使い込んだ蝶番で、ガタついているのがあるでしょう。あれは、金属同士が長年の使用でこすり合わされてすり減り、それでガタつくのだろうけど、あんな感じ。あるいは、古い自転車で、チェーンが伸びて、たびたび外れるようなのは、なんだか、カシャカシャいってる感じがするでしょ。あんな感じである。
だから、腰に関しては、蝶番を支える筋肉の血流がよくなり、サポート力が向上し、それですり減っている蝶番を支えるので、調子がよく思えるようになるというメカニズムなのではないか。
筋肉や腱や関節などは、一方でセンサーの役割もする。この説明で最も簡単なのは、ちゃんとしたギックリ腰やった人はわかるだろうけど、タクシーでも、自分の車でも、乗るときに頭の側面を思いっきりぶつけるでしょ。あれは、センサーとしての腰が、もう十分かがんでいると判断している信号を出していて、そのつもりで勢いよく乗り込むから、その勢いで頭の側面をぶつけるのである。つまり、ギックリ腰でセンサーが狂っているわけだ。
年寄りの腰の調子は、前述のように「ギック腰」で、「リ」までは行ってないから、タクシーに乗っても、頭はぶつけないで済むが、それ以外のところでいろいろと不都合が生じるのである。これで、動きが多少ギクシャクしてくるのかもしれない。
足がつる0223
足が弱ったのと関係があるのかどうか、足がつるようになった。それも、ふくらはぎではなく、その反対、前のほう。弁慶さん(脛のことね。むこう脛)の横。「三里」というツボのところの腱である。芭蕉が『奥の細道』ツァーに出る前にお灸をすえたとこである。そこがつる。
ここがつると、ふくらはぎの数倍つらい。夜中にでもつろうものなら、「いててて」とか言いながら起きてしまう。起きても治らないのだが、「寝ても立ってもいられない」のである。
と言っても、これは「芍薬甘草湯」という薬で簡単に治る。つってから飲んでも間に合う。ツムラの「68番」である。医者に言えば、処方してくれる。まだ、2袋残っているので、あと2回痛くなっても大丈夫である。心強い。
この冬は一回もつらなかったし、たぶん、この痛みからは逃げ切ったのだろうなあ。
ほぼ同じころ、足の筋肉が痛くなることがあった。三年ほど前の秋口あたりに、とにかく痛くなり、一キロ歩くのがせいぜいという状態だった。一キロ程度歩くと痛くなり、少し座って休むと少しだけ回復し、また歩くとまた痛くなる。
このときは、駅前クリニックのリウマチの医者に相談したが、医者は「リウマチで筋肉は痛くならない」と言ったきりであった。あーそうですか。ひとつ利口にはなった。
あるとき、畏友その2が、近所の業務スーパーの閉店セールに連れて行ってくれた。そのときにデーツ(乾燥ナツメヤシの実)を買った。これは、横浜に住んでいたころ中華街でよく買い、おやつ代わりにしていたのである。好物だ。
久しぶりに食べたのだが、ホラ、よく傷が治るときにちょっと痒くなることがあるでしょう。痛くなるところの筋肉に、「その感じが来た」のである。
つまり、ミネラル不足で筋肉が痛くなり、デーツに含まれるそれで回復したわけだろう。
たまたま読んでいた『色のない島々へ』(オリヴァー・サックス)に同じような症状が書かれていた。和歌山県の小さな村での話で、そこの飲み水はミネラル分が少なく、筋肉痛や神経痛の症状が出るとあった。ついでに申しあげておくと、オリヴァー・サックスの本はどれもおもしろい。「脳の不思議」が満載されている。
で、思い当たった。その数か月前から、スーパーで水を貰うようになった。これは逆浸透膜というので処理した水であって、これでコーヒーを淹れると、二段階くらいうまくなる。ところが、ミネラル分を逆浸透しちゃうんで、和歌山県の小さな村の村民と同じことになったんだろう。この水は、冷蔵庫で冷やし、常飲しているジャスミン茶、マテ茶を入れるのにも使っている。
それまでは、水道水でコーヒーを淹れていた。石原慎太郎の唯一と言いたい善政で、東京都の水道水はオゾン消毒になり、相当の水準である。だけど、ミネラル分は除去されていない。
ミネラル分っていうのは水に結構大量に入っていて、台所の水切りのステンレスの水受けに白っぽく残るのはミネラル分である。
ああいうカッコいい爺さんになりたい0224
十代のころ、27歳くらいまでのイメージはあった。自分はこうなりたいというイメージである。それはほとんどクリアしたと思っている。だが、その先のイメージはまったくなかった。現在のていたらくの、これが敗着なんだな、たぶん。
40歳のころ、映画『アンタッチャブル』を観た。ショーン・コネリーが、やたらかっこいい爺さん役で出演していた。『アンタッチャブル』は1987年の製作である。37年前だ。レンタルショップで借りて観たので、2年程度のディレイがあって、私は40歳ちょっと前である。
私は、それまでのショーン・コネリーは、あまり好きではなかった。特に、007時代のショーン・コネリーは「なんだ、この野郎、にやけやがって」みたいな感じで、あまり好きではなかったというか、むしろ嫌いだった。
ところが、『アンタッチャブル』のショーン・コネリーは一皮も二皮も剥け、カッコいいの一語だった。それ以来、『アンタッチャブル』のショーン・コネリーが私の目標になった。「ああいうカッコいい爺さんになりたい」と思い、人にも何回かそう言ってきた。
ああいった本はなんと言うんだろう。私は「セミナー本」とか、「自己啓発本」とか呼んでいるんだが、ホラ、「成功を導く10のヒント」とかなんとか電車のなかの広告なんかによくあるじゃないの。アレのことである。
私はああいった類の本は読んだことがないのだが、ああいった類の本が好きな人の話は聞いたことがある。けっこうああいう本好きなヤツ多いんだよ。そういう人に言わせると、「強く願う」「紙に書き出す」「それを机の前に貼っておく」「チャンスがあるたびに人に言う」といったあたりが「成功を導く」コツなんだそうだ。
あまり信じてはいなかったのだが、「紙に書き出す」「それを机の前に貼っておく」こそしないものの、最後の1個は、そのようにした。そのようにしたというか、映画の話になるたびに『アンタッチャブル』を勧め、ついでに今回のような話をしたのである。
願えばかなうというのは本当で、半分は実現したと思っている。カッコよくはなれなかったが、爺さんにはなった。
最近、こういった話を、立ち飲みバーでしていたところ、我がシェアハウスのおばさんが横から口を挟み、「そういうの、半分って言うの?」と言ってきた。ええい、やかましいわ、差し出グチを! 間違いなく半分だろうが、2個のうち1個がかなったんだから。
「半分」じゃなく、「そういうの、かなうって言うの?」だったら、ただただうなだれたかもしれない。気弱だな、爺ちゃん。だけど、自然と爺さんになったんだもんな。なんの努力もしてない。
なお、映画『アンタッチャブル』の監督は、ブライアン・デ・パルマ。若き日のアンディ・ガルシアがチンピラの警官役(警官としてチンピラクラスという意味でなく、この場合、チンピラあがりの警官ということである)で好演している。彼がクライマックスで演じた大階段でのアクションは、大階段自体は『戦艦ポチョムキン』(監督エイゼンシュタイン)のパクリであるが、うまくパクっている。
歯がダメになる0225
俗に、「歯、目、〇〇」という。年取って弱っていく順番である。今回は、そのうちの歯の話題だ。
私はまだ、いまのところ入れ歯も、挿し歯もなく、ちょっと見はまあまあであるが、内実はガタガタである。いつも、少しでも硬いものを食べるたびに、「今日こそ折れるんじゃないか」、あるいは継ぎ足した歯だと「今日こそ外れるんじゃないか」とビクビクしている。
歯っていうのは、ほかの体の部分みたいに、直らないからね。私が知っている限り、歯と腎臓は、悪くなったら本質的な意味では直らない。
以前、年寄りシリーズの主なテーマは、若い人たちに、「年取ったらこんなになっちゃうんだ」と、いやーな気分になっていただくことだと半分冗談で書いたが、連綿と書いてきて、私のほうがいやーな気分になってきた。もうやめるかな、年寄りシリーズは。
そもそも、歯の寿命は50年だという話を聞いたことがある。
歯に関しては、若い人たちには、「とにかく大事にしなさいね」と言っておくしかない。年寄りの繰り言というか、説教じみた年寄りみたいでいやなのだが、食べたらすぐに磨くこと。歯磨き粉はあまり多くしないほうがいいというか、使わなくともいい。歯間ブラシは非常に有効であるようだ。
昔々、「333運動」というのがあった。3食後、3分以内に、3分間かけて歯を磨くということである。これ、ちゃんとやっとけばよかったな。
ちょっと歯が悪くなると、悪くなったところが原因となって、つるべ落としみたいに悪くなるし、よく噛めなくなると、そこからガタガタガタと本体そのものが弱る気がする。
前の日曜日に、毎日新聞に松尾貴志さんが連載している『ちょっと違和感』に、インプラントの何本かは保険適用にしたほうが、結局健康保険が負担する医療費をかえって軽減することになるんじゃないかみたいなことを書いておられたが、まったく同感である。
実用化するのはまだまだ先の話だろうけど、昨年10月ごろに、大阪大学が、歯を再成できるかもしれない研究に取り組んでいると新聞に載っていた。歯が抜けても新しい歯が生えてこないのは、なんとかいう酵素が新しい歯が生えるのを抑制しているためであり、その酵素の生成を抑制する方法が見つかりそうだか、見つかったとかいう話だった。
その酵素を抑制しておいて、iPS細胞を植えたら、歯が生えてくるっていうのは無理なんだろうか。いずれそうなる気がするというか、そうなってほしいものである。
いずれにしても、口の中の小さな土木工事みたいないまの歯科治療は、そうとう野蛮な感じがする。でも、いまのところそれに頼るしかないから、仕方ないけどね。とは言っても、その土木工事に使う素材も、土木工事そのものも、昔に比べたら相当よくなっている感じはする。
8020運動というものがあるそうだ。80歳になっても、自分の歯を20本残すべく頑張りましょうということだそうだが、私は、ちょっと心もとない気がしている。
【Live】新聞の来ない朝0226
目がさめたら階下のキッチンに降り、コーヒーを淹れるところから私の朝は始まる。昨年末のころおばさんが手術をし、血圧が乱高下したあたりから、まずおばさんの部屋に行き、血圧を測り、それを記録する日課が加わった。その後の手順は、それ以前と同一である。
コーヒーを淹れ、バッハを聞きながらそれを飲み、多少正気づいてから新聞を読む。先週の土曜日には、テーブルに新聞がなかった。三連休の中日なので、新聞は休みなのかと思った。
このところ新聞を読んでも、気が滅入るか、気分が悪くなる話題が多い。ガザ、ウクライナの人たちのことを読むと胸が痛くなるし、自民党のていたらくを読むと腹が立つ。だから新聞がないと、心静かにコーヒーを楽しめ、心豊かにバッハを聴ける。これもいいもんだなあと思っていたところ、おじさんが朝のお勤め(駅まで行き、スポーツ新聞を買い、コーヒーを飲みながら競馬欄を検討する)から帰り、テーブルに朝刊を置いてくれた。ただ単に、新聞を取るのを忘れたようだった。
解散命令が出された旧統一教会の所轄官庁の長である盛山正仁文科相は、旧統一教会とズブズブの関係であることが写真等々で明らかになり、追及され、その回答が迷走に次ぐ迷走、それによって盛山の不信任決議が提出されたものの、自民、公明、維新の反対で否決された。例えは悪いが、泥棒を取り締まる総元締めが泥棒であることを問題視したのに対し、自民、公明、維新の議員は、「別にかまわない」と言ったことになる。例えが悪いは、泥棒の方々に対してである。彼らは逮捕されるリスクをかけて泥棒をしている。こいつらは、逮捕されることがまずない。
今週開催される政倫審に関して、自民党は完全非公開を求めている。これは、説明責任は果たしてやらんでもないが、その内容を公にしてもらっては困るということになる。なにを言っているんだと思うが、そもそも、政倫審のメンバー自体が、泥棒が泥棒に意見する構造になっている。あっ、間違えた。問題のある人が、当の問題を審議する仕掛けになっている。
だいたい、パー券裏金問題だって、ああいう不祥事を起こしたら、フツー、ケジメをつけるのは議員辞職でしょ、役職返上じゃなくて。自民党を裏切ったわけじゃなく、選挙民を裏切ったんだからね。しかも、問題が派閥解消にすり替えられている。派閥は単なる舞台で、問題は役者の側にある。
どうも、この方々を拝見していると、「バレなければいい」をとっくに通り越して、バレてもともと「トボケればいい」「居直ればいい」「記憶があいまいになればいい」「自分に(実質)損害がなければいい」「みんなが速やかに忘れてくれればいい」と考えているとしか思えない。なめられたものだ。
私にできることは、選挙に行って投票率をほんの微量であってもあげて、「監視しているぞ」という意思を示すことと、こういうフザけたことをやった連中の名前を忘れないことくらいがせいぜいである。
ガザ、ウクライナの人々は実際に殺されているが、私らも、こういうていたらく、その結果である悪政に「スロー・デス」、ゆるやかに殺されていることも忘れないことである。
【Live】買い物ツアー0227
前回と同じ日、つまり先週の土曜日は買い物ツアーの日だった。買い物ツアーとは言っても、ブランドものを買いあさるなどといった派手なものではなく、年寄りらしく、日用の、しかも食品を買うという地味でつましいものである。
『シェアハウス・ロック大変な一日(1)230728』に登場したケイコさんが、職場の車を借り、おばさんと私が同乗、随行するツアーだ。
回ったのは、「ブンブンベーカリー」(町田市)、「とうふ処 三河屋」(日野市)、「地酒の小山商店」(多摩市)、「ケンちゃん餃子」(多摩市)の四店。四市(出発地点が八王子市だから)にわたる一大ツアーである。
とは言っても、私らが住んでいるあたりは、ベネルクス三国みたいに、それぞれの市境が重なっているところで、それぞれそれほど遠くはない。それでも午前9時半に出発し、途中昼食をとり、帰着は1時。
私らは、今年で6年という新参者だが、ケイコさんは在八王子が30年にはなろうというベテラン在住者で、一日の長どころか、一万日くらいの長がある。それで、よさげな店を教えてもらうという目論見もあったのである。
「三河屋」は特筆ものだった。買ったもののうち、湯葉はその夜に食べたのだが、秀逸。無料でくれるおから(気前がいいね!)は、その日のうちに炒めて水けを飛ばし、翌日、キッシュにした。
「小山商店」では、あれだけの地酒が揃っているのを、私、初めて見た。店というよりも博物館みたい。
「ブンブンベーカリー」は、まずまずといったところだったが、そこのすぐそばに農家が出している即売所が安く、品質がよく、感激。「のらぼう菜」というものを初めて買った。これはどうも、八王子の特産であるらしい。どう食べるのか聞いたところ、「茹でて、かつお節、醤油でたべてもいいし、ベーコンと炒めてもいい」という答えだったので後者を採用。ただし、ベーコンではなく、豚バラと炒めた。
通常、私はホウレンソウとベーコンの炒め物にはオイスターソースを使うのだが、「クセがない」と言うんでオイスターソースに負けてしまうんじゃないかと思い、塩、コショーでまず豚バラを炒め「のらぼう菜」を投入後、オイスターソースと甜面醤を半々にして使い、カイエンペッパーを少々、最後に酒で溶いた鶏ガラスープをかけ回した。成功。これも、土曜日の夜の食卓に載った。
「ケンちゃん餃子」は、実はケイコさんよりも、我がシェアハウスのほうが先遣隊であり、おばさんが折り込み広告で発見したものである。クセがなく、素直な味で、なかなかよろしい。勧めた人は、みんなファンになる。本社は日野市にあるのだが、私らは八王子の支店から取り寄せていた。そこは配達してくれたのである。ところが八王子支店が閉じてしまい、途方に暮れていたところ、ケイコさんが自分の職場近くにあるのを発見し、私らに教えてくれたのである。
聞けば、その支店が閉じてしまい、やはり途方に暮れた人が自宅を改造し、そこで売ることにしたのだという。なかなかいい話で、「ケンちゃん」も本望だろうなあ。
【Live】「流しの新ちゃん」ツアー0228
今週の月曜日は、期せずして「流しの新ちゃん」ツアーになった。ツアーづいてるな。新ちゃんに関しては、『流れて、流しの新太郎0209』をご参照くださいな。
同書にチラッと出てくる山本大さんという津軽三味線奏者のライブを、この3月23日に四谷の「461」というバーで計画している。それに誘おうと、マスダさんという人に電話をかけたところ、糖尿病が悪化したとかで、なんだか元気がない。で、あわてて、マスダさんに会いに行ったわけである。我がシェアハウスのメダカは、マスダさんからいただいたものだ。
浮浪児だった新ちゃんは「木村さん」というヤクザの親分に拾われ、衣食住に不自由しないようになったのだったが、この親分のフルネームは「木村秀次」といい、音羽会系のかなりの実力者だったと教えてくれたのはマスダさんである。マスダさんは警察関係の人で、しかも捜査4課(暴対)が長かった人なのだ。同書をマスダさんも読んでくれて、それで教えてくれたのである。新ちゃんのその本を書いていたころには既にマスダさんとは知り合いだったのだが、私がうかつだったんだな。同書にはフルネームを書けなかった。
マスダさんたちは、練馬の市民農園を借りていて、農作業後、そこのログハウスで毎日曜日宴会をやっており、そこへ「人間カラオケマシーン」として駆り出されたのが私だったのである。その話をなんかの加減で新ちゃんにしたところ、「僕も行く」と言って、ギター2台で流しをやったこともあった。流しといっても流さないけどね。新ちゃんも私も、採れたての野菜をお礼に山ほどもらって帰ってきた。
そんなことを話しているうちに、マスダさんはだいぶ元気になったみたいだった。もしかしたら、ライブに来てくれるかもしれない。
マスダさんとは再会を約し、私は四谷に向かった。四谷の用事は、毎度おなじみの焼酎バー「寛永」でなかよくなった、ヒロシというヤツにお線香をあげるためである。数日前に亡くなったのだ。
新ちゃんは、15、6のころ、新宿二丁目でぶいぶい言わせていたことがあり、その話も同書では、一章を割いている。ところが、新ちゃんは字が読めなかったので、旅館の名前の漢字を教えてもらったり、当時のバーの名前の「裏」をとったりしたときに、ヒロシにはだいぶお世話になったのである。
ヒロシの母親は新宿二丁目で呉服屋を手広くやっていた。ヒロシはそこの生まれ育ちである。いまでは新宿二丁目は、世界的なゲイタウンになっているが、当時は赤線があり、そこで働くお姐さんたちがヒロシの母親の顧客だったのだろう。
だから、ぶいぶい言わせている新ちゃんを、洟を垂らしたヒロシが眺めたこともあったかもしれない。
ヒロシは、新宿で「開拓地」というバーをやっていた。そこはどういうわけか芸能人のたまり場だった。私の知っている範囲で言うと、70年代の初めころ、『週刊ポスト』だったと思うが、「芸能人相関図」とか、「芸能人大麻汚染」とか騒がれたことがあった。それは「開拓地」が舞台だった。
ヒロシは、相当デタラメなヤツだったが、いいヤツではあった。冥福を祈る。
年寄りが流行っている0229
先週だか、先々週だかの毎日新聞の下八(したやつ)の話である。
下八は業界用語で、それも新聞関係、出版関係でしか使われない言葉だと思う。新聞の一面の下の欄は通常八つに区切られ、そこに通常書籍広告が掲載される。伝統的にそうである。これを、上記関係者は下八と呼ぶ。私などはいまだに、そこに書籍広告以外のものがあると、違和感をおぼえるくらいである。
ある日の毎日新聞の下八のうち、4つが以下の老人関係の書籍広告であった。
・60歳のトリセツ(黒川伊保子)
・六十代と七十代の心と体の整え方(和田秀樹)
・血糖を下げるすぐ効く食べ方食べ物(石原結實)
・おひとりさま日和(オムニバス)
年寄り本が流行ってるんだなあ。もっとも、三つ目と四つ目は必ずしも老人対象ではない。糖尿病は、「若年性」というかわいそうな人たちもいるが、通常は老人がかかる病気であると思われている。「おひとりさま」も同様ではあるが、解説めいたところで、「48歳から84歳の女性」と書かれていた。48歳を老人と言ったら、ちょっとかわいそうである。でも、48歳は例外なんだろうと思う。
私のことを言うと、私の母の兄弟は6人であるが、私の母のすぐ下の叔母を除いて、糖尿病では全滅である。糖尿病は、遺伝病と言っていい。だから、私もいずれは…と恐れてはいた。昨年の秋口の健康診断で、「黄信号」が出た。とは言っても、数値から言えば、「黄信号」までは行かず、その手前くらいである。
もっとも、糖尿病の前駆たる低血糖症状はよく出る。最初に出たのは30代の後半だった。
私の低血糖症状についてお話しする。
まず、胸のあたりに「いやーな感じ」が来る。これはそう言うしかない。ちょっと違うが「不安感」「不快感」と言っても、まあそれほどは外れていない。しばらく経つと、つぎに指先に震えが来る。これはやがて、手全体になっていく。これをさらに我慢していると、体が熱い感じになり、大量の汗をかくようになる。
本当は、「いやーな感じ」あたりで、ジュースを飲むなり、飴玉をなめるなりして、糖分を補給したほうがいいようだ。放置しておくと、昏倒することがあり、命にかかわることすらあるらしい。
「大量の汗」にまで至ったのは、当時、2時間かけて通勤していたので、何回目かの発症時に電車内なので打つ手がなく、2時間近く放置しておいたからである。
いまは、ディバッグの底に飴玉のケースを忍ばせ、「いやーな感じ」段階でそれをなめるようにしている。
私の母は、50代に入るあたりで立派な糖尿病だったし、叔母は晩年、インシュリンの自己注射をしていた。それに比べれば74歳で「黄信号」は、よく頑張ったほうだと思う。
月曜日にお会いしたときに、マスダさんから糖尿病スクワットというのを教えてもらった。手を前に出し、5秒かけてももが水平になるところまで腰を落とし、そのまま2秒我慢し、それから立ち上がるというものである。キツそう。いまの不精なスクワットが楽にできるようになったら、やってみるつもりである。
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