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劇場版公開発表記念!『鬼滅の刃』からみるウイルスとの向き合い方

緊急事態宣言が発令し、私も今月の仕事が飛んでしまいました。
仕事ができないことよりも、子供に会えないのが寂しく思います。
私などはまだいい方で、先日、飲食店時代の先輩から心配のLINEが来て、久々にやり取りをしたんですが、岡山は緊急事態宣言は発令していませんが、それでも影響は大きく、売り上げも前年比は大きく下回っているようで、死活問題になっているようです。

こういった現状に、ウイルスは、人類を脅かす「敵」のように見えるのは仕方ありません。でも、物語として見ると、「敵」が強いほど面白いものです。


劇場公開日発表!

春期放送予定だったアニメやドラマの多くが延期される中、先日、『劇場版 鬼滅の刃〜無限列車編〜』の公開情報が解禁されました!

10月16日(金)ということで、その頃には落ち着いていることを願いますが、予定通りに行けば10月には煉獄さんの活躍や上弦の参・猗窩座の登場が観られますね!
注目すべきは、日本映画記録を更新するか?ですかね。『千と千尋の神隠し』『君の名は。』というツートップに割って入ることができるか、それとも超えてしまうのか?そこも気になる所ですね!

というわけで今回は、そんな『鬼滅の刃』を元に、ウイルスとの向き合い方を考えてみたいと思います。

『鬼滅の刃』は、人間の「敵」として鬼が存在し、その鬼を生み出すのが鬼舞辻無惨です。原作はとんでもないことになっていますが、物語において「敵」というのは「役割」であって、物語は「敵」がいてこそ成り立ちます。『鬼滅の刃』が人気なのは、主人公の竈門炭治郎や魅力的な柱の存在はもちろんのこと、豪華声優陣や作画が神懸かっていることも大きな要因ですが、ここまで人気が出て面白いのは、「敵」である鬼や鬼舞辻無惨の存在があってこそだと言えます。鬼がいなければ、鬼殺隊が活躍する場がありませんからね(笑)

ちなみに、2019年度虹見式アワードでは第1位になっており、特集しているので、チェックしてみてください!

鬼殺隊から見たら、鬼舞辻無惨は敵で憎い存在でしかありませんが、その物語を見ている立場で見たら、鬼舞辻無惨は「敵」という役割であり、物語を面白くする為の登場キャラでしかありません。視点を変えるだけで、捉え方は全く変わります。

今の状況も、鬼殺隊のような立場でウイルスを見ているのか、それを第三者の立場で見ているのか。それによって、見え方は大きく変わります。
もちろん、当事者でもあるので、完全に第三者になるわけではないですが、プレイヤー兼監督のように、別の視点も持っておくと、きっと認識が大きく変わるのではないでしょうか。


「せい」にしても「おかげ」にできるか?

身近な人が犠牲になった場合、「せい」にしたくなるのは当然です。そういう方は、鬼殺隊に入って、鬼と戦うように、ウイルスと戦おうとするんだと思います。それを否定するつもりはありません。当然の感情です。

私はまだ身近で犠牲になった人もいないし、被害も大きなものではありません。だからと言って、他人事と考えているわけでもありません。ほとんど外出していないし、重々気をつけていますから。
でも、いつ何時自分の身に降りかかるかはわかりません。そうなったらその時はきっと、私も「せい」にすると思います。でも、「せいをおかげに」と掲げているので、「せい」にしても、いずれ「おかげ」にできるとも思っています。

物語の視点で見たとき、「せい」にして敵を倒そうと鬼殺隊として戦うのも、「敵」の存在も、面白くするものです。「面白い」と言う表現は不謹慎かもしれませんが、私たちがこの世界に生まれて生きている以上、面白くしなければ意味がありません。

敵を倒すのもいいですが、敵を倒すことだけに捉われるのではなく、物語や歴史の視点で観て、この事態がどんな意味をもたらすのか、「せいをおかげに」するのはどういうことなのかを考えていきたいですね。

それが、『鬼滅の刃』を超える、リアルな物語になるのかもしれません。

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