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『いだてん』最終回、完走で感動

ついに、一年に渡る大河ドラマ『いだてん』が最終回を迎えました。

私は歴史好きではありますが、あまり大河ドラマは見ないんですよ。今まで観たことがあるのは、『龍馬伝』と、三谷幸喜さんが脚本を書いた『新選組!』でした。私は坂本龍馬が好きなので、『龍馬伝』は楽しんで観られました。『新選組!』も、三谷幸喜さんらしい面白さがあって面白かったです。

そして、今年は私も大好きなクドカンこと宮藤官九郎さんが大河の脚本を担当するということで、楽しみで仕方ありませんでした。
しかし、今までの大河とは違い、歴史の偉人の一生を描いたものではなく、来年開催される「東京オリンピック」を中心に描かれ、第一部では、日本人でオリンピックに初めて出場した「金栗四三さん」、第二部では、初めてアジアにオリンピックを招致した立役者「田畑政治さん」を中心に描かれましたが、この作品の一番の主人公は嘉納治五郎その人であり、裏主人公として「古今亭志ん生」も描かれましたが、本当の主人公は「オリンピック」だとも言えます。


主人公「オリンピック」

日本におけるオリンピックは、1912年に、スウェーデンのストックホルムに初めて出場し、1940年には、嘉納治五郎先生意地の元、東京にオリンピックを招致してものの、戦争を背景に返上し、「幻の東京オリンピック」と呼ばれました。その後も、敗戦国として苦難の道を歩みましたが、1964年、ついにアジアで初となる、「東京オリンピック」が開催されました。

最終回は、ついに開催された「東京オリンピック」が描かれ、1912年から数えて52年の集大成が描かれました。クドカンもタクシー運転手として特別出演し、たけしさんを乗せるシーンが描かれましたが、それが、ジョージアのCMとは逆の立場で描かれ、ネット上でも話題になりました(笑)

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全く意味合いが違う「万歳」の光と闇

最終回は、クドカンらしく、過去の出来事がうまく対比して描かれました。1940年、国立競技場で行われたのは東京オリンピックではなく、豪雨の中での学徒動員の出陣式でした。「お国の為」の、歯を食いしばった「万歳」だったのが、24年の時を経て、世界中の晴天を集めたかのような快晴の下、歓喜の「万歳」は、皆最高の笑顔でした。

金栗さんも、田畑さんも、みんな笑顔の「万歳」は、胸を打たれました。

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1940年の幻のオリンピックは、「戦争」によって残念ながら開催されることもなく、命をかけてオリンピックを招致した嘉納さんの死も、架空キャラではあるもののオリンピックに出るはずだった金栗の弟子、小松の出陣と満州での死も、悲劇であり、辛く苦しいことです。しかし、その全ての悲劇が、1964年の東京オリンピックでひっくり返りました。

闇があってこそ、光は輝くし、光り輝くからこそ、闇もた濃く映るものです。そのどちらもあって、感動が生まれます。クドカンは、その描き方が秀逸なんですよね。表も裏も、全て無駄にしない。どちらも描いて、一つに収束させる。それを、クドカン作品の中でも長く描いた名作『あまちゃん』を超え、一年通して描かれました。明確な誰かではなく、オリンピックという「出来事」を描いたが故に、

「分かりにくい」
「登場人物が多い」
「誰を見ればいいかわからない」

というような声があったんだと思いますが、申し訳ないですが、私はそのどれも、微塵にも感じないほど面白く観られました。

人それぞれ、何を観たいのか、好みは違うので、従来の大河ドラマファンにとっては、合わないのも分かります。私も逆に大河は合わないですから。『あまちゃん』に関しても、従来の朝ドラとは違う描かれ方だったからこそ、私は初めて朝ドラを見ました。他に作品は観ていません。それは、面白くないからではなく、合わないだけなんです。

『いだてん』も、最初から視聴率がどうのこうの言われていたので、より離れてしまった人が多いのも事実だし、「分かりにくい」と離れた人がいるのも事実でしょうけど、クドカン作品として、私は満足して観られました。感動もしました。なんなら「いだてんロス」です(笑)

日本人でありながら、オリンピックにまつわる歴史を全くと言っていいほど知らなかったので、とても勉強にもなったし、「東京オリンピック」に、どれだけの人の思いが込められていたものなのかを知ることができました。『ノーサイド・ゲーム』によってラグビーW杯の盛り上がりに拍車がかかったように、来年の東京オリンピックも、「いだてん効果」で盛り上がるんじゃないかと思います。


金栗四三、55年振りのゴール

最後に、『いだてん』のタイトルの元になった金栗四三さんですが、1912年ストックホルムオリンピックでは、途中でコースを間違えてしまい、途中棄権したのですが、大会に届出を出しておらず、「行方不明」となり、「消えた日本人」としてストックホルムでは有名だそうです。

その金栗さんに、東京オリンピックの3年後の1967年、スウェーデンのオリンピック委員会が

「競技中に失踪し行方不明のため、ゴールされたし」

という旨を書面にして、記念式典に招待したんです。

そして、55年ぶりにストックホルムに訪れ、記念式典にて、ゴールのテープを切りました。そのアナウンスは

「日本の金栗、ただいまゴールイン!
 タイムは54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。
 これをもって、第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」

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粋じゃないですか。これぞ、「平和の祭典」であり、「スポーツマンシップ」ではないでしょうか?

そして、ゴールした金栗さんは

「長い道のりでした。
 この間に妻をめとり、
 6人の子供と10人の孫に恵まれました」

と答え、会場は感動と大歓声に包まれたそうです。

なんとも「道楽的」ではありませんか。初めて参加したストックホルムオリンピックは20歳。そして、ゴールしたのは74歳。その間、世界記録を更新したり、ベルリンオリンピックは戦争で中止となった李、正月の風物詩「箱根駅伝」を生み出したり、アントワープオリンピック、パリオリンピックという二つのオリンピックに出場しました。そして、おじいちゃんになり、念願の東京オリンピックを迎えた後、やっとゴールしました。まさに、人生は「ゴール」することが目的なのではないということを実感しました。

ちなみに、金栗さんのマラソン最高タイムは「2時間19分20秒3」と、当時の世界記録でした。そして、奇しくも「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」という最遅タイムを記録することにもなりました。
金栗さんは、92歳でお亡くなりになり、天寿を全うしたと言えるかと思いますが、走った距離は地球6周と4分の1と言われ、残念ながらオリンピックでメダルを取ることも、嘉納先生との約束である、「東京オリンピック」での聖火ランナーをすることも叶いませんでした。

それでも、とにかく走り続け、道中に生きた方だったんだろうなと強く思います。だから、これだけの成果を成し遂げたのではないかと思います。

まだまだ語り足りませんが(笑)、今回のコラムはひとまずここで終了です。
『いだてん』の制作に携わった方、皆さんに、心からの感謝と、お疲れ様と言わせていただきます。

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