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「タラレバ」を「カラコソ」に

『東京タラレバ娘』

以前、『東京タラレバ娘』というドラマが話題になりました。原作は東村アキコさんで、女性には大人気の作家さんです。他にも『海月姫』や『偽装不倫』など、ドラマ化する作品が多く、安定した視聴率を見込めるなど、言ってみれば女性版池井戸潤、と言える大人気作家さんです。

私も、東村アキコさんの作品は好きで、よくチェックしていますが、特に『東京タラレバ娘』は、自分の人生に影響を与えるものでした。

『東京タラレバ娘』は、アラサー独身女子の悲哀を描いた作品です。事あるごとに女子会を繰り返し、「たられば」を言って来たことで、結婚もできず、生き遅れてしまった・・・。そんなところを、若い美青年に「タラレバ女!」と野次られてしまいます。

正直、人ごとだと思って観ていましたが、ちょっと自分のことを振り返ってみたんです。そこで気付いてしまいました。

「俺、タラレバおっさんやん」

哀れにみていたアラサー独身女子と自分は、何も変わらない。なんならこっちはアラフォーおっさんだ。みっともないのはテレビの中の独身女子じゃない。自分だ、と。

仕事においても、人生においても、どこか自分は誰かや何かをあてにしていたり、どこか言い訳をしていたように思います。尊敬する人や、仲間という聞こえのいい存在に対しても、自分以外の存在ありきだったり、助けてもらうことを前提に考えている所がありました。

そんなことを気付かせてくれたことで、自分にとってはまた人生の方向性が変わることとなりました。


「たられば」は後悔と妄想

どんな時にたらればを使うのでしょうか?

「あの時、こうだったら・・・」
「失敗していなければ・・・」

という「後悔」とか

「この仕事がうまくいったら・・・」
「大金が手に入れば・・・」

という「仮定」「妄想」だったりします。

「たられば」を使う時は、間違いなく「今」を見ていません。過去に捉われていたり、何の保証もない未来に淡い期待を抱いている時です。

仮に、それで上手くいったところで、運が良かっただけで、その後に必ず大失敗するでしょう。「運も実力の内」と言いますが、運だけではラッキーマンでもない限り、幸運が続くことはありません。

少なくとも、「道中を楽しむ」という道楽家ではありません。

いつも誰かが助けてくれて、何の努力をしなくても上手くいっているように見える人っていますよね。例えば、美人であれば、男が手を差し伸べてくれたり、お金も出して足にもなったりします。そうやってぬくぬくと温室で育てられると、子供でもそうですが、最強になったと勘違いしてにワガママに育つこともあります。

はたまた、お金持ちになると、お金や欲に目が眩んだ人がコバンザメのようにすり寄ってきて、お金目当てにヨイショしたりイエスマンばかりが集まったりします。

しかしどうでしょう。美人であれば歳をとり、ワガママが許されなくなってくると、一人二人と、手を差し伸べる人も少なくなるでしょう。お金持ちも、お金がなくなれば、パタッと人が来なくなり、「そして誰もいなくなった」状態になることでしょう。それはとても儚いものです。

代償を払わずに願いだけが叶うことは、手にした物がなくなれば、全てを失うことになってしまいます。


「タラレバ」ではなく「カラコソ」に

「たられば」を言い続けているうちは、過去の栄光にすがり、未来の希望をあてにして、「今」目の前にある大切なものを見失いがちです。

そこで私は、「たられば」の代わりに「からこそ」を推奨したいと思います。

実は、「からこそ」という言葉に至るまでは苦難の道でした(笑)「からても」「からかげ」、「からけど」 とか何かしっくりこなかったんですが、「からこそ」が一番しっくりくる言葉になったので、やっとこのコラムを完成させることができました(笑)
使い方は、

「今までいっぱい失敗したからこそ・・・」
「うまくいかない人生を楽しんでこそ・・・」

という感じです。

「たられば」が後悔と妄想、依存の言葉であるならば、「からこそ」は現実を受け入れ、イマココに生き、自分の力で生きる覚悟の言葉です。

冒頭にも述べましたが、以前の私は、誰かや何かをアテにして、認めたくはないですが現実逃避をしていたようなものです。現実を見ず、きっといずれうまくいく、この人についていけば大丈夫、といった感じでした。

そこには何の保証もありません。それに気付かせてくれた人がいました。正直、その人は私にとっては「悪役」にだったかもしれません。ですが、その人のおかげで、私は人生をゼロから始めることができました。なので、有難いなぁと今では感謝しています。

誰かや何かをアテにせず、例えうまくいかなくてもまずは自分の力で始める。そう決意して、人生をリゼロしてからは、私の世界は全く変わりました。


「からこそ」は人生を変える!かもしれない

「たられば」を言って生きるのではなく、「からこそ」と、自分の力で生きる覚悟をしてから、それまでとは真逆のことが起こりました。

仲間がいなくても、お金がなくても「だからこそやりたい」と思えたからこそ、今の自分があり、道楽家にもなり、道楽舎もできました。

「"せい"を"おかげ"に」と言い続けてますが、「からこそ」も同じような意味です。

過去の自分がダメだったからこそ、

未来には何の保証もないからこそ、

「イマココ」に生きて、道中を楽しむ。

歩んできた今までの道も、先に待ち構えているものも、全て受け入れる。

それが、私の思う道楽家です。

もし、自分の中に「たられば」があったら、「からこそ」に変換してみてください。きっと見える世界が変わり、起こる現象も変わってくると思います。

「あれがあったら・・・」ではなく、「ないからこそ!」と言い換えてみたら、続く言葉は間違いなく変わったきます。

もし「からこそ」に変換して、変化があったら、ぜひ教えてくださいね!

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