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ライバルという存在

あなたには、「ライバル」と言える人はいますか?

学生時代、部活などでスポーツをしていたり、テスト順位などで、分かりやすい「ライバル」というような存在はいたんじゃないかと思いますが、大人になり、仕事をしていて、「ライバル」と言える人は、なかなかいないのではないでしょうか?

事実、私は「ライバル」と呼べる人はいません。

私は個人事業主ということもあり、身近にライバルになり得る人がいないということもありますが、この「ライバル」という存在は、とても重要な存在です。

「ライバル」は、自分を高めてくれる存在であり、お互いを高め合える存在と言えます。

しかし、アニメやドラマのように、そう都合よく「ライバル」という存在が現れるものではありません。

では、「ライバル」がいないとどうであるか。それは、「自分の安泰」を意味します。

ライバルは、自分を高めてくれる存在であると同時に、危機感を抱かせる存在でもあります。

ライバルが活躍していれば、気が抜けず、気を引き締めてくれます。そこで頑張ることが、相手も高めることにもなりますが、そういう相手がおらず、危機感なく順調に進んでいくということは、「安泰」を意味します。なので、必要以上の努力をしなくなります。

だからこそ、「ライバル」という存在は必要なのです。

しかし、「ライバル」はそう都合よく現れませんよね。無理に作れるものでもありません。「安泰」の先に成長はありません。

では、「ライバル」ができない場合はどうしたらいいか?

それは、絶対に実現させたい夢、目標を持つことです。

以前、「消えた天才」についてのコラムにも書きましたが、成功する天才は、未完成であるということが鍵になります。「消えた天才」も、言わば「天才のライバル同士」の話でもあります。消えるか残るかのポイントが、「未完成である」ということです。

未完成のまま、完成を目指して進む。しかし、完成はしない。でも、突き進む。そうして、いつの間にか「天才」と言われるようにもなるのです。

絶対に実現させたい夢を実現させたとしても、それで終わりでは、完全燃焼廃人になってしまうので、「完成しない夢」を抱くということが、「ライバル」がいなくても、人生を高めることです。

私は「ライバル」がいませんが、「完成しない夢」を抱いて、「安泰」にあぐらをかくのではなく、道中を楽しみながら、人生を高めていきたいと思います。

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