俳句の源流を歩く|酒折の歌③(全8回)
にいばり つくはをすぎて いくよかねつる 倭建
かがなべて よにはここのよ ひにはとおかを 御火焼翁
「筑波の道」ともいう連歌の始めは、このような、他愛もない会話のようなものだった。しかしヤマトタケルは、そこに何かを感じて、翁を東国の造に任命した。
それが何だったのかは、今となっては分からない。恐らく、俳諧の連歌に結びつくような「滑稽」が潜んでいるのであろう。
ある説には、十日夜に結びつけるものがある。十日夜とは、旧暦十月十日に行われる、甲信越から東北地方における収穫祭である。
ただ、旧暦十月に出征したとの記述は日本書紀にあるが、ヤマトタケルがこの日に酒折に滞在したという記録はない。また、異国に生まれて征服に来た者が、異国の行事を楽しむ余裕があるのか、疑問も残る。
「甲斐説」というのもある。「かがなべて」の頭と「ひにはとおか」の頭を繋げて、酒折のある「甲斐(かひ)」を導くという説である。
同様に「数え歌説」もあって、「ここのよ」の「九」と、「とおか」の「十」を誘導するように「つくは」の「は(八)」が働くという。
けれども、いずれの音節も、印象的な結びつきを形成しておらず、取って付けたような説に思えてならない。
(第11回 俳句のさかな了 酒折の歌④へと続く)