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俳句のさかな

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俳句の「こころ」は、神々が歌った太古から受け継がれてきたものなのだろうか?日本酒を酌み交わしながら綴る、現代酒場の俳諧譚。「俳家の酒」8本「酒折の歌」8回、合わせて全16回。
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記事一覧

俳家の酒 其の一「龍」

 店の隅っこに腰を下ろした客が、「龍」を注文した。この酒は、九頭竜川の伏流水を使用し、透…

情句百物語
8か月前
158

俳家の酒 其の二「世捨酒」

 酒造の神とされるオオヤマツミの娘に、絶世の美女コノハナサクヤビメと、醜女イワナガヒメが…

情句百物語
7か月前
94

俳家の酒 其の三「餘波」

 この穢土に生きるということは、苦しみを味わうこと。苦しみは天罰などではなく、喜怒哀楽の…

情句百物語
7か月前
87

俳家の酒 其の四「獺祭」

 帰宅後、酔いの醒めぬままパソコンを開いた。俳句と俳諧の違いを知りたかったが、酔いもあっ…

情句百物語
7か月前
95

俳家の酒 其の五「男山」

「大将、よく知っているね。」 「なに、うけうりだよ。」  あいつの言っていることだから信憑…

情句百物語
7か月前
90

俳家の酒 其の六「白雪」

 鰯雲ひとに告ぐべきことならず 楸邨  俳句の歴史は、試行錯誤の連続だ。子規の唱えた写生…

情句百物語
6か月前
91

俳家の酒 其の七「三文字」

 ところで、かつて日本一の酒どころであった伊丹の地は、伊丹風俳諧が起こったことでも知られている。池田宗旦が開いた也雲軒が核となり、裕福な酒造家を中心に文芸が盛んになった。  そのような中から、「東の芭蕉、西の鬼貫」とも讃えられた上島鬼貫が生まれている。鬼貫の生家は油谷の屋号で知られ、今はなき「三文字」を醸す大きな酒造だったという。  夏の日のうかんで水の底にさへ  これは鬼貫の句。それをなぞれば、連綿と現代に繋がる精神に触れられよう。心の内が鮮やかに浮きあがってくる。 「

俳家の酒 其の八「白鷹」

 だが待てよ。これでは答えになってはいない。神々の歌には言霊に寄せるものがあるが、果たし…

情句百物語
6か月前
86

これからはじまる物語の序に代えて

情句百物語
6か月前
71

俳句の源流を歩く|酒折の歌①(全8回)

 俳句を詠めば、「縛られた人ね」と笑うひと。理由を聞くと、「ありのままの美しさを受け入れ…

情句百物語
6か月前
106

俳句の源流を歩く|酒折の歌②(全8回)

 甲府で普通列車に乗り換え、一駅戻る。住宅地の中に小さな駅があり、酒折という。酒折は「さ…

情句百物語
6か月前
111

俳句の源流を歩く|酒折の歌③(全8回)

にいばり つくはをすぎて いくよかねつる 倭建 かがなべて よにはここのよ ひにはとおかを …

情句百物語
5か月前
98

俳句の源流を歩く|酒折の歌④(全8回)

 この歌に潜む謎。僕はそれを解こうと、酒折に出向いたことがある。  季節は春。というのも…

情句百物語
5か月前
97

俳句の源流を歩く|酒折の歌⑤(全8回)

 古事記にいう「酒折の宮」――― 二千年を隔てた現在では所在不明であるが、最有力とされる場所が、酒折駅近くにある。  その名も「酒折宮」。ヤマトタケルを主祭神とする神社で、その御神体は、焼津で命の窮地を救った火打嚢。伝承では、東国の造に任命された御火焼翁がここに留まり、この宮を中心として東国を開拓したという。  その日は雨であったが、春らしい優しい雨。境内の所々に咲く小さな花々を撫でるようにして、雨は参道を潤していた。  それにしても、清々しい場所。観光地らしさというものは