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俳句の源流を歩く|酒折の歌④(全8回)

 この歌に潜む謎。僕はそれを解こうと、酒折に出向いたことがある。
 季節は春。というのも、酒折の項の直前となる、古事記の足柄の坂下での挿話に、このような記述を見たからである。

足柄の坂下に到りまして、御粮きこし食す処に、その坂の神、白き鹿になりて来立ちき。ここにすなはちその咋し遺れる蒜の片端もちて、待ち打ちたまへば、その目に中りて、打ち殺しつ。

 つまり、酒折に向かう途中の足柄の坂下で食事をしていた時、敵が白い鹿となってやってきたというのだ。その時ヤマトタケルは、食べ残してあった蒜(ひる)を、敵の目に打ち付けて死に追いやった。
 ここにいう蒜とは、古来自生している野蒜のこと。食用となる鱗茎は、ピンポン玉のようになる。鱗茎に繋がる葉をつかみ、勢いをつけて敵に投げつけたということだろう。「野蒜」は春が旬で、春の季語となる。
 その野蒜の春に、僕は酒折に降り立ち、舞台となった場所に向かったのである。

(第12回 俳句のさかな了 酒折の歌⑤へと続く)

【画像は酒折宮境内】
酒折宮は、ヤマトタケルの行宮と考えられている。候補地として、当時の甲斐の中心であった笛吹市にある、坂折天神社などが挙げられることもある。有力な候補地である甲府市酒折の酒折宮は、元は、神奈備である月見山の中腹・古天神に鎮座していたとされ、そこには磐座や古墳があり、現在では石祠が置かれている。