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生まれてから小学生までの生育歴を振り返る

幸せでなかった子供時代

私は首都圏の公立小学校を卒業し、偏差値約70の超難関女子中高で6年間過ごし、医学部に入り、医師となった。そういう経歴だと、頭良くていいねとか何不自由なく過ごしてきたんだねと思われることがあるが、表の素晴らしい経歴とは裏腹に暗黒で綱渡りの人生だったと思う。幸せだったかと聞かれたら、全く幸せではなかったと答えてしまう。特に子供時代、楽しいこともあったけれど、嫌だったことの数々。親との関係性を中心に幼少期のことを振り返ってみたい。

幼稚園時代

虫や花が好きだった

首都圏は首都圏だが、田舎で育ったので、田んぼや畑が広がり、幼稚園児の頃も小学生の頃も、虫や花が大好きな少女だった。小学生になってからはマンションに引っ越したが、それまでは庭付きの戸建てに住んでいて、庭や公園の虫や花と戯れていた。幼稚園時代は、庭に来た虫をよく触っていたが、黒い蝶だと思って触ったらハチかアブだったのか刺されて泣いた記憶がある。父は登山が趣味で、一緒に山登りをしていたので、高山植物にも詳しくなった。花の図鑑を読むのが好きで花に詳しく、幼い頃の夢は植物学者だった。

運動神経が悪い

公園で遊ぶときこともあったが、私はよく転んで膝小僧を擦りむいていた。親はそれを心配しており、なんでこの子はよく転ぶのだろう、運動神経が悪いと言っていたのを覚えている。確かに体操もできないし走るのも遅いし運動神経は悪かったと思うが、親がよく「あなたは運動神経が悪いから」と言っていた言葉を覚えており、私の中で自分は運動はできないんだと植え付けられていたように思う。親は私にスポーツをやらせなかったし、私も運動はできないからしないとやる気が全くなかった。

不器用さ

不器用さがあり、親に「あなたは不器用だから」と言われていたので、それもまた私の中で自分は不器用だと頑なに信じて器用になろうと一切思わなかった。運動神経が悪くて不器用でかわいくなくて内向的な子は勉強を頑張るしかない。私は幼児期から親の言う通りに勉強に励んだ。

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