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もっと本音で生きていいと思います

人生で、「これはなかなかつらいな」と思った時期がなんどかありました。振り返ってみると、それらはすべて「強い暗黙のルール」みたいなものに従わねばならなかったときです。暗黙だから、よくわからない。でもそれを破ったら、ものすごく冷たい扱いをされたりする。人生とはなかなかハードモードだな、と思ったものです。


たとえば、大学生時代のアルバイトです。その頃、できるだけ多様な経験を積みたいと思っていろんなアルバイトにチャレンジしたのですが、そのうちの一つに「新聞社の編集部での雑用」というものがありました。

全国紙は複数本社制を取っていますが、そのうちの一紙の「大阪本社」編集部での学生バイトです。昔からそういう制度があったようで、新聞の早刷りを抱えて編集部内を走り回ったり、他にもいろいろな細かい雑用をこなす仕事です。ちょっとした「徒弟制」みたいなニュアンスもあったのでしょうかね。今でも同じ制度があるのかどうかは知りませんが。

そしてその世界が、まあ古いわけです。「伝統ある新聞社」のしきたりや空気感みたいなものを、学生バイト組織ももろに引きずっている感じです。時代はすでに平成でしたが、完全に昭和のディープな雰囲気を残していました。そして、組織の末端だからこそより始末が悪い。そんな感じでした。

仕事自体は、いろいろな経験もできて面白かったと思っています。社会とはこういうものなのか、と(少しだけですが)理解できた気もしました。しかし、動き方、判断基準、人間関係などにおいて、やはりものすごく暗黙のルールみたいなものが多く、とまどいました。それを経験すること自体が貴重な学びである、ともいえましたが。


たとえば、新入りには必ず「伝統的ないたずら」を仕掛けます。ウソの部署を告げて、あり得ないものを取ってくるよう指示され、新入りを社内で困惑させ、恥をかかせるというものです。

これ、いま書いていても寒くなってきますね。もう何十年も前の経験ですが、よく覚えています。本当に嫌ですねえ、こういうの。これを、留年を重ねた「バイトのボス」みたいなのが仕切って喜んでいるわけですよ。全般的にこういうノリが蔓延している世界でした。しかしだれも、声を上げたり改善しようとはしません。それが「組織の空気」というものでしょう。


逆に、良かったのは「組織の負の側面」みたいなものを垣間見る機会になったということです。この体験が元になり、自分は、大企業に行くのはやめておこうと思うようになりました。まあ、良い面はあまり見ることができず、一面的な判断材料だったという反省もありますが、結果的にはそれで良かったと思ってます。

そして結局このバイトは、やはり短期でやめることになります。心の声に従ったということです。この経験から、「人と組織の関係性」に興味を持つようになりました。その後にHR領域を志望したのも、これがその一つの契機になったと思っています。人生を決めるきっかけというのは面白いものですね。

▶ ささやかでもいいから、変えていくことの大切さ


新聞社でのアルバイトは、経験としては良かったものの、一方で「何も変えることができない」無力さを感じる結果にもなりました。単なる学生バイト、しかも新入りが、「長く続く伝統」みたいなものにはまったく太刀打ちできない、そういう現実を知りました。

そして、日本国内の多くの組織で、同じような思いを持っている若手が多数いると思っています。若手に限りませんよね。どんなベテランだって、「組織のしきたり」や「暗黙のルール」にはどうしたって強い圧力を受けてしまう。

これって、実際は誰と戦っているのですかね?  組織は人からできているので、結局は人と人とがお互いに縛り合い、制限しあっているということになります。これははたして喜劇なのか、悲劇なのか。いずれにせよ、非効率で誰にとってもマイナスなこと、この上ありません。


これは、個々が声を上げなければ変わっていかないでしょう。誰も抵抗せずに「空気」に従い続けているだけでは、その組織の空気はより濃く、重いものになるだけです。

空気を読まずに行動する人は、その瞬間は叩かれたりまわりとの摩擦を生むこともありますが、組織に新しい価値を持ち込むのは結局はそういう人だと思います。そしてそれを一貫してやり続けることにより、まわりからはある種の信頼も持たれるようになる。変革できるリーダーとは、こういう過程で生まれるものだと思います。

「空気の読める優等生」であり続けることは、周囲との摩擦こそないものの、その分、何もインパクトを残せない結果になるともいえます。優等生だけど、言い換えれば「その他大勢」ともいえるのですよね。

日本の教育では、「まわりとの摩擦を起こす」ことをできるだけ避けるように教えられます。今は少しは変わったのかもしれませんが、少なくとも自分の頃は完全にそうでした。


もっと、本音で生きていいと思っています。それを続けると、自分という人間が、まわりにも本当に理解されます。

暗黙の了解や空気に従い続けて、人生の最後に「やりたいことをやれなかった..」と言っても、誰もそれを補償してくれません。自分の心の声をしっかりと聞き、思うように生きていくことこそ、大事なのだと思っています。

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Voicyで、この内容についてさらに掘り下げました。よろしければぜひお聞きください


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