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Tatsumi Diary ~ 書く、読む、話す。~

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タツミが不定期で、自分の思考を公開しています。 Note本編やブログでは話せない、ちょっとしたトピックや気づきなどを最低限のデザインで発信。 エッセイ感覚で読んでいただけると嬉…
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#思考

【AI文字起こし】自分が瞬間に感じたこと、思ったことを言葉にするという習慣

こんにちは。生き方エンジニアのタツミです。 この記事は、Stand.fmで収録した音声をSummary.FMというStand.FM公式の文字起こしツールを用いて、文字起こし・及びテキストの調整をしてもらい、それをもとに手動で一部文言などを調整して出来上がった記事です。 AIでどれくらいの精度の記事が出来上がるのか、どれくらい使えそうなのかお試し的に使ってみました! いい感じにできたら今後も使っていこうと思いますので、よろしくお願いします〜! 実際のラジオ音声はこちら!

自分を出してもいい?発信に迷った時に自分をうまく使うコツ

こんにちは。生き方エンジニアのタツミです。 これまでNoteでの記事を100記事以上書いたり、YouTubeの動画を50本以上投稿したりしているのですが、 発信をしているとふと、自分がどういう姿勢で発信に向き合えばいいのかわからなくなる時があります。 Noteはこちら YouTubeはこちら 発信をやらされている感 自分の意思で、自分の思いで「発信をしている」と思っていたのに、どこか「発信をやらされている」かのような気持ちが出てくるんです。 そして、だんだんと発信

「理想を追い求めることは幻想なんじゃないの?」モヤモヤから考える。

こんにちはタツミです。 僕は普段から、物事や人をいろんな視点から捉えて、そこにどんな意図があるのか、どんな解釈の可能性があるのか、見方を変えるとどうなるのか? といったことに注目して思考を巡らせています。 それ自体楽しいし、そうある自分自身が基本的には好きではあるのですが。 可能性に目を向ければ向けるほど、理想を目指していろんな選択肢を見つけてニマニマすればするほど、嫌ほど現実が見えてきて。 「理想を追い求めることは幻想なんじゃないの?」 って声が僕の頭の中に浮かぶ

どうして「書く」に触れる時間が少なくなってしまったんだろう?2つの致命的な特徴とは?

この記事での主張 最近はYouTubeに一番力を入れているのですが、今日は久しぶりに「書く」ということに向き合ってみました。 僕たちは、日々、何かしらの形で言葉に触れています。 話すことはもちろんそうですし、「書く」「聞く」といった形で言葉によるコミュニケーションを試みていますよね。 だが、この3つを比べてみたときに圧倒的に割合が少ないのは「書く」によって言葉に触れている時間ではないだろうか? 世の中を生きているほとんどの人は「書く」ということを1日に大量にこなす

同じ場所に行っても、自分の状態や感覚は全然違う

今僕は雲の上にいる。福岡行きの飛行機の中。離陸して10分経ったくらいなので、今はきっと岐阜県の上くらいにいるのかな。どうだろう。 とこんな書き出しで初めてしまったけれど、この表現は既に人によって使われているもので、その人は僕の現コーチだったりする。 ⬇️詳しくは下記記事参照 今回の旅の1番の目的は、福岡に住むコーチに会いに行くこと。 回数にしておよそ3回目になる。 初めは電車で。 2回目は羽田空港からの飛行機で。 そして今回はまつもと空港からの飛行機で福岡の地に降り立

葛藤の8月。9月からまた歩む。

こんにちは、タツミです。 いきなりこんな記事を見つけてびっくりした人もいるかもしれません。 そういえばせっかくフリーランスとして活動しているのに、全然活動報告とか活動目標とか述べていなかったな、と思いました。 特に、僕の場合は大学在学中からフリーランスのエンジニアとして活動を始め、後にフリーランスになった新卒フリーランスという珍しい生き物です。 今や5人に1人はフリーランスと言われている時代。 脱サラしてフリーランスになりましたという人はたくさんみても、新卒でフリー

内省をすることで世界観を作っていく

毎日楽しく生きられているかな、と思った。 なぜなら、自分の記事が鬱々しいとか、元気がないとか言われてきたからだ。言われてびっくりした。自分ではそんなこと思っていなかったから。 むしろ、ここ最近はいい感じの記事をかけていると思っていた。 たまには「いいね!」がいつもより多くつく記事もあったりして。 ちょっとだけ日常で感じる感謝やポジティブなエネルギーの量が増えたような気がして。 以前よりは成長したのかな?なんてなんとなく思っていた自分もいたりして。 それなのに、他の

名前の由来から生き方を考える。

こんにちは! 突然ですが、僕の名前は伊藤達洋と言います。 苗字の方は簡単に読むことができると思いますが、下の名前はどうでしょう? なんて読むのかわかりますか? いや、普段記事を読んでくれてくださっている方は簡単かも知れません。 そう、「タツミ」と読みます。 ですが、悲しいかな。 今まで親族以外で、漢字を正しく一発で読んでもらえたことが1回しかありません。 その一回は高校生時代、世界史担当の50歳くらいの男の先生。 普段間違えられることに慣れすぎて、逆にしばらく呆けて

物語を書いて、記憶を残していく。

数ヶ月に1回祖父母に電話することを決めている。 僕は現在東京に住んでいて、祖父母は長野県の松本市に住んでいる。新幹線で2時間強の距離だ。 頑張ればいけない距離ではないのだけれど、かと言って近くもないので、そうしている。 目的はお互いの生存報告をするためと、祖父母の話を聞くことだ。 特に祖母は現役で美容師をやっているので、面白い話を聞くことが多く、電話でも頻繁に笑わせてくれる。 最近はもっぱらコロナ関連の話題が多いそう。 百円ショップでこんな便利がグッズを買ったとか

君は君だよ。僕は僕だよ。

あの時違った選択をしていたら、どうなっただろう? 時々考えることがある。 もし、中学の部活でバレーボール部じゃなかったら? もし、国立大学にストレートで受かっていたら? もし、集団に流されて就活をしていたら? 僕はどうなっていただろうか? 僕という存在は変わらなくても、やっぱり今の自分とは少し色が違った僕のはずだ。 「今振り返ってみればよかった」という言葉があまり好きではない。 理由は、なんとなく過去を否定しているような気がするからだ。 今振り返ればよかった、とい

自分を好きになってくれる人に出会うために鳴き続ける。

フリーランスをやっていると、「日曜日だったんだ!」とふと思うことがあります。つい時間の間隔が狂ってしまうんです。 今日はここから記事を始めてみましょう。 後がどうな自分を好きになってくれる人に出会うために。るかはわかりません。とにかく今日の自分が「日曜だと気づいた」ことを伝えたいと心から思ったのです。 僕が素直に「〇〇したい」と感じることは結構少ないので、この気持ちは、思いは絶対に見逃してはいけない。そう思いつつ少し思考を巡らせて見ます。 8月が始まってからもう1週間

どのような楽しみ方をしてもいいし、どう攻略してもいい。

毎日文章を書いている。 一応記事という形で公開するのをひとまずのゴールとしているのだが、そこに辿り着くまでにはいろんなルートがある。 思い切って「書くぞ!」っと奮起して一息でぱぱっと仕上げてしまう記事。 逆に、意気込んだのになかなかかけずに、ヤキモキしながら仕上げた記事。 いつもの家とは違うカフェの中で書いた記事。 どれも自分の記事だけれど、公開というゴールに辿り着くまでには別々の道を経ている。 不思議のダンジョンみたいだな。と思いました。 最近の密かな趣味でスキマ

それっぽい言葉で感情を流さない。

「杉並区に引っ越された伊藤さん」 役所の人と話していて、こう呼ばれたことがある。 「伊藤」というのは、もちろん僕の名字だ。 とある日。保険のことについて聞きたいことがあって、 区役所の問い合わせセンターに電話をかけた。 時刻は朝9時。 太陽がさんさんと輝くほどの快晴で。僕の気分も快晴だった。 話を戻そう。 「杉並区に引っ越された」と言う僕を説明することばについてだった。 当然目的ははっきりしている。 個人を特定するためにあえてつけた言葉だ。 それでも、何か言葉に