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なにをめざして生きるのか?

僕は
「どういう人間でありたいか?」
を考えるようにしています。



人は
いろいろな目標や、
「こうであったらいいな」
という願いをこころに抱きます。

「お金持ちになりたい」
「恋人をつくりたい」
「スキをいっぱいもらいたい」
「しあわせになりたい」
「もう傷つきたくない」

こうだったらいいなと願います。


目標がはっきりしているほど、
そのための方法を
考えたり調べたりすると思います。

「お金持ちになるためにあれをしよう」
「しあわせになるためにこう考えよう」
「傷つかないためにこれをやめよう」

などなど、
目標や願いを達成したり叶えるために
“何か”
を探し求めます。


僕もそうです。

“何か”を見つけられていないから
目標を達成できないのかな?
とか、
“何か”が間違っているから
願いが叶わないのかな?

そんなふうに考えがちです。





でも最近、思うようになりました。
「結果は、それを
 受け取る準備ができている人に訪れる」

そう思うのです。


思い通りにいかないとき、
願いを叶えるための“方法”など
“何か”が足りないと考えがちです。

けれど、
“何か”が足りないのではなく、
僕がまだ、
その願いが叶った結果を
受け取るだけの人間に育っていないのだと
思うようになったのです。

まだ僕の準備ができていないのです。
まだそこまで成長できていないのです。



なので最近、
僕は、
その結果を受け取るだけの
ふさわしい人間になりたい
と思っています。

目標や願いを叶えることや
結果を出すことをめざすのではなく、

目標や願いを叶えるにふさわしく、
結果を出すことのできる
“人間”をめざすのです。



きれいごとを言えば、
少しでも
”人のちからになれるような人間”
になりたいです。

誰かを助けたいとか、救いたいとか、
そんな大それたことは考えません。

ちょっとした“ちから”になりたいのです。
理想を言えば、
お互いに
支え合えるような人間になれればと思います。

誰かの“ちから”になるために
「ああしよう」とか
「こうしよう」と考える前に、
”誰かのちからになれるような人間”
をめざしたいのです。



結果が得られなくても、
それはそこまで自分が
成長できていなかっただけです。
けれど、
自分を責めているわけでもありません。
まだ成長できていないだけです。



「どういう人間でありたいか?」

結果は得られないかもしれませんが、
”人のちからになれるよう生きる人間”
でありたい
と想っています。




読んで頂いてありがとうございます。

目の前の結果や現状がどうであれ、
自分がどう生きたか?
が大事だと思うのですが
いかがでしょうか?

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