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映画『クライ・マッチョ』感想 (ネタバレ) 本当に大切なものに気づいて、、、


クリント・イーストウッドの最新作『クライ・マッチョ』を観てきました。

ネタバレありです。

まず、全体的に見た印象です。

結論的に言いますと、僕にとってはとても素晴らしい作品でした。

ただ、どうなんでしょう?
激しいアクションもありません。
アッと驚く展開もありません。
ものすごく感動的なエピソードがあるわけでもありません。

全体的にたいした盛り上がりもなく、淡々と流れていく感じでしょうか?
多くの人にとって、少し退屈に感じるのかなと思いました。

それでも、僕はとても心を動かされた映画なのです。



ストーリー


どことなく、さびれてさみしい感じから始まります。
主人公のマイク(イーストウッド)もです。

マイクは、かつてのカウボーイのスター。


けれど、今はケガもあり、落ちぶれ老いて、とてもさびしげ。
仕事も解雇され、テキサスで寂しく暮らしています。


そんなマイクは、友人でもあり、かつての雇い主でもある人物から頼まれごとをします。

その雇い主の別れた元妻と息子・ラファがメキシコにいます。
どうやら息子のラファは虐待されていて、境遇が良くないようなので、連れ戻してきて欲しいと、マイクは頼まれます。

そして、メキシコへ、、、

メキシコでマイクはラファを見つけます。
ラファは虐待もし乱れた生活をする母親から逃げ、路上生活を送っていました。
ラファは、ニワトリの「マッチョ」を相棒に、闘鶏で稼ぎ生活しているようです。



全体に感じるのは、
かつてあったはずの、そして”今はなき、古き良き人の温かさ”みたいなものです。




信じる心


まず、「人を信じる」ということ。

ラファは人を信じないと言います。

父親に捨てられ、母親に虐待され、逃げた先の路上も盗みや暴力の横行する世界。
頼れるのは己の力のみ。
人は信じられません。

だから、闘鶏で敵なしの相棒「マッチョ」だけが信じられる存在。

「人は信じない」とかたくなに言うラファ。

けれど、
マイクとの出会いと旅で、心が開かれていきます。
ラファはマイクとの旅で、人の温かさに触れ、「信じる心」を持ち始めます。

だけど、
裏切られまた心を閉じてしまうことも。

「やっぱり人は信じない」とラファは強がりながら、「信じたい」と「信じられない」のあいだで揺れ動いていくのです。


人を信じるというのは、果たして能動的なことなのでしょうか?
信じようと思って「信じる心」が生まれるのでしょうか?

それとも、信じる心は、人との触れ合いのなかで与えられるものなのでしょうか?
「信じる心」は受動的に育つのでしょうか?

僕は、どちらも必要だと思います。


確信がなくても「信じたい」という能動的な気持ちと、人の温かさに触れて「信じさせられる」受動的な気持ち。

「信じる心」は、そんな“中動態的”なものなのでしょう。


今、僕たちは「信じる心」が足りていないと思うのです。
確信が持てなくて「信じる勇気」がない。
「信じたい」という触れ合いも少ない。


「信じる心」は能動的に「信じる」ものでも、受動的に「信じる」ものでもありません。
“人との触れ合い”のなかで、能動的「信じる」と受動的な「信じる」が折り重なって、いつのまにか育つのが「信じる心」だと思うのです。


そして、
かつてあったかもしれない“古き良き人の触れ合い”を感じられない現代社会へのさみしさを感じるのです。



”マッチョ”が泣いたとき


この映画には3つの“マッチョ(強さ)”が登場します。

かつての“マッチョ”、マイク。
現在の“マッチョ”、闘鶏のチャンピオンであるニワトリのマッチョ。
そして、これから“マッチョ”になろうとするラファ。

現代の資本主義社会のなかで、人々はある種の“マッチョ性”を求められます。

人よりも賢く生産性を高め、
人よりも仕事や勉強ができ、
人に負けない価値を要求され、
“マッチョ”に生きたいと願います。

そんな社会の中で、
3つの“マッチョ”は泣き(鳴き)ます。
そして、泣いた後、目覚めるのです。


マイクは言います。
「かつては強さを求めていたけど、強さに意味はないと気づいた」と、、、

かつての“マッチョ”、
現在の“マッチョ”、
未来の“マッチョ”、

そんな“マッチョ”が泣いたとき、本当に大切なものに気づくのです。

本当に大切なのは、“マッチョ”ではなく、
人の優しさ、思いやり、そして触れ合いなのだと。


多くの人は、この映画を観たあと“温かい気持ち”になるのでしょうか?
けれど、僕は映画館を出たあと感じるのです。

この社会は、僕の生きている現代はどこか狂っているのではないだろうか?


『“マッチョ”だけが求められる社会』

映画の最後にマッチョが鳴いて、目覚めさせられるのです。
本当に大切なのを忘れてはいないかと、、、


そして、想うのです。
そして、願うのです。

現代の“マッチョ”さんたち、ぜひ泣いて欲しいです。
そんなに強がらず泣いて欲しいです。

そして、泣いあとに気づくはずです。
目覚めるはずです。

本当に大切なのは“マッチョ”ではないと。
本当に大切なのは、温かさと思いやりと人との触れ合いなのだと、、、




僕の映画忘備録でしたが、お読みいただいたかたありがとうございました。

ぜひ機会があれば観て欲しいです。
ストーリーとか、意味とかを追求しないで、“感じて”欲しい映画です。


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