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すべての”僕”を生きるしあわせ

僕は
ネガティブな感じの文章を書きがちですが、
以前に比べれば、ずいぶん
「しあわせ」に感じます。

そんな僕も、以前は
「しあわせ」の“し”の字もなかったです。

いつもうつ状態で、
人生に晴れ間があるなんて
思いもよらなかったです。

それが今では、
うつ状態になることも少なく、
むしろ「しあわせ」とも感じます。



なぜ
以前より「しあわせ」を感じられるのか?

それは、
自分の人生を
少しは肯定できるようになったからです。


自分を肯定するとは、
どういうことだと思いますか?

多くの人は、
自分のネガティブな部分には目を向けずに、
ポジティブな部分に注目しようとします。

自分の“ない”部分、
ネガティブな部分、
を否定して、

自分の“ある”部分、
ポジティブな部分、
を肯定すれば、

ポジティブな自己肯定感を得られる
と思うのではないでしょうか?

僕も以前はそう考えていました。


けれど、
それでは「しあわせ」になれませんでした。

今考えると当然だと思います。


たとえば自分が
ネガティブな部分50%と
ポジティブな部分50%とで
できているとします。

ポジティブな部分を肯定するのはいいです。

しかし、
ネガティブな部分の否定は、
自分の50%を否定しているのです。

つまり、
人生の50%を肯定できていないのです。


それでは「しあわせ」にはなれない
と思います。



ネガティブな部分を受け入れるのは、
ツライかもしれません。

でも、
ネガティブな部分も含めて“僕”です。

ポジティブな部分だけでなく、
ネガティブな部分もすべて受け入れて、
はじめて本当の“僕”を生きられるのです。


50%の“僕”を生きても
「しあわせ」ではありませんでした。

けれど、ツラくても
ネガティブな部分を含めた
100%の“僕”を生きようとしたとき、
「しあわせ」
を感じられるようになったのです。



実際には、
ネガティブな部分は
50%どころではありません。

むしろ、
自分のほとんどが
ネガティブな部分でできています。

そんな自分の“ない”部分、
ネガティブな部分を受け入れるのは、
悲しいことです。

けれど、
その悲しみがあるからこそ、
人生が美しくもあるのだと思います。



星々が美しく輝くのは、暗闇があるからです。

もし、
むりやりスポットライトを当てて、
暗闇をなくしてしまうと、
美しい輝きが見えなくなってしまいます。

そんな感じで、
ネガティブな部分も含めて、
すべてを受け入れる“覚悟”も持ったとき、
ほんとうの自己肯定感を得られる気がします。



自分をごまかして、
ネガティブな部分を
ないことにして生きることもできます。

しかし、
それで得るのは「ごまかしのしあわせ」です。

「ほんとうのしあわせ」を感じるには、

ネガティブな部分を含めて、
自分のすべてを受け入れる“覚悟”
をもったときだと思います。



自身についてだけではありません。

世界は
ネガティブに見える部分がたくさんあります。

しかし、そんな
世界をすべて受け入れる“覚悟”
を持ったとき、

すべてを愛する“覚悟”をしたとき、

悲しくも美しい
本当の輝きを知ることが出来る
のだと思うのです。


読んで頂いてありがとうございます。





世界は悲しいことや、
ネガティブなことも多いです。

でも、
みんなの”優しさ”や”思いやり”、
そして”みんなの輝き”で補いあえたら、

それこそ
「ほんとうのしあわせ」
になれると思います。

そう願っています。


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