運動が嫌いになった話(小学生時代)①

noteを始めるときは「毎日更新しよう!」と意気込んでみたものの
早々に更新が停滞しておりました・・・

今日は生い立ち記事になります!
よかったら前回のものにも目を通していただけると幸いです!


勉強は得意!華々しい小学校デビュー

2年間の幼稚園生活を経て、小学校へ入学!
ど田舎生活のため片道3km徒歩通学するという苦行が
6歳のおかき少年に降りかかりる・・・

通学はへとへとだったものの、授業はすこぶる順調で
調子に乗って積極的に発表するタイプの子どもでした
このころから何となく図工と体育はやや苦手なのかも?と思いつつも
まだ入学して間もないので周囲との差も誤差の範囲だと思ってました

なんなら勉強ができていればそれ以外の科目について頑張る必要なし!
なんて思いながら生活していたのをふんわりと覚えております・・・笑

通知表もかなり良い感じの成績が並んでいたため
余計にそんなことを思っていたのかもしれません

差が出始めた3年生

体育で周囲との差が如実になってきたのが3年生になったあたりから・・・
毎年長距離走を走らされるのですが
3年生から距離が1km→1.5kmへ随分とハードルを上げられるのです
1kmレベルだと大きく差が出なくとも1.5kmも走らされると
走れる人との差は雲泥のもの!!!

こうなってくると周囲からも
「あいつ遅くね?」
と印象を持たれてしまうわけです・・・!

それでもお勉強がそれなりにできるという自負があり
小学生ながらもプライドが富士山レベルになっているおかき少年は
「運動ができて将来なんになるわけ?」
と強がり始めてしまうのでした・・・

初めての男性担任という壁

そんなこんなで4年生を迎えたおかき少年。
この頃には勉強と音楽はとても楽しく調子よく取り組んでいたのですが
体育と図工は捨てておりました・・・
(図工に関しては絵のセンスが壊滅的なので
 今でも触れないようにしております・・・笑)

体育の授業に関してはできてもできなくても
テキトーに済ませていました。3年生までは。

4年生に上がり担任が変わり初めての男性担任!!
正直、大人の男の人に対して苦手意識の強かった私は
「無理だわ~」くらいに思いながら過ごしていました

元々先生と関りを持ちたいとか話したいという欲が皆無だったので
必要以上に関わらないように生活をしていたのですが
この担任、年齢も若かったこともあり
『全員巻き込んで青春!!!』みたいな空気を持ち込み始めたのです・・・

そういった空気を薄ら寒いとすら感じていた私は
担任との距離をさらに取るようになりました


屈辱の跳び箱、中2病へ・・・

そんなこんなで全大人と距離を取り始めていた私に
とんでもない試練が舞い込んでくるのです

体育の授業で跳び箱に取り組む期間があったのですが
体育に対しての熱量が0%の私は4段すら飛べずにおりました
ただ、飛べないことに対して何も思うことはなく
早く授業おわんねーかなくらいに思っておりました

そして迎えた跳び箱の授業最終日
「やっと解放されるわ~」くらいに気持ちを躍らせていたおかき少年
そんな気持ちも束の間、地獄の時間が待っておりました・・・

授業が終わるチャイムがなり、みんなで片付けようとしたその時
「これじゃあ終われないな」
そう熱血担任が言い放ったのです

片づける手を止め話を聞いていると
「うちのクラスはみんなで頑張って全員4段飛べるまで
 今日の授業は体育を続けよう!」
最初何を言っているのかよくわかりませんでした

私のクラスは30人学級だったのですが
そのうち私を入れて4人が跳び箱4段をクリアしておりませんでした
担任からの提案は
①この4人が跳び箱を飛べるまで体育の授業を続行すること
②他のクラスメイトは4人の応援をすること

これに飛べていない4人以外は大賛成
早速4人が飛べるまで応援するムードへ変わっていったのです・・・!


調子に乗って文字を書いていたら1500文字を超えていたので
続きは次回にします!よろしくお願いします!

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