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【OPEN!!】村上春樹ライブラリー総まとめ

2021年10月1日「村上春樹ライブラリー(早稲田大学国際文学館)」が開館しました。

開館初日、在学生だけに開放される<12:00-13:00>の時間枠で、私は見学させていただきました。

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公式サイト

村上春樹ライブラリーとは「物語を拓こう、心を語ろう」をコンセプトに設置された、早稲田大学公営の施設です。村上氏の「文学や文化の風通しの良い国際的交流・交換の場になってほしい」という想いから「日本文学の国際化」「文学の翻訳研究」「村上作品の研究」の三つ目標が掲げられ、村上氏によって寄贈・寄託された資料やレコードなどが多数収蔵されています。

目下にノーベルウィーク(文学賞は10月7日、毎年木曜日)が控えているという点はどこか示唆的にも取れますし、大学は村上氏を全面的に「推挙」しているとも取れるでしょう。現役作家の記念館(文学館)など、日本中どこを探しても見当たりません。しかも日本を代表する建築家・隈研吾氏が手がけた地上5階・地下1階の建物として、キャンパス内に大々的に設置されたのです。

今回の記事では「村上春樹ライブラリー」内部の様子を徹底レポートしていきます。後半では設立された経緯や詳しい年表、在学生である私の所感などもまとめてみたので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思っています!

*早稲田キャンパス:早稲田駅から徒歩5分
*在学生を除き予約入館制(10月は予約済み)
*当面は東京,神奈川,埼玉県,千葉県在住の方のみ

外観 - 白の異空間、【トンネル】【窪地】

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村上春樹ライブラリーは早稲田演劇博物館の隣、早稲田大学旧4号館が改修された建物です。かねてから村上氏と交流があり、直々にオファーを受けた隈研吾氏は、村上作品と呼応するような建築を目指しました。

建物全体がまっさらな白に覆われていて、周囲のキャンパスからは浮いた印象を受けます。ここには普段からキャンパスに通う大学生に「異空間」を提供したい、という隈氏の思いが込められています。

特徴的な外観の流線形トンネルはアーチ型のルーバーになっていて、新木場で製木された<アコヤ>という木材と金属が併用されています。元々はニュージーランド産の<アコヤ>は、松などに特殊な加工を施した木材で、雨風に晒されても腐敗しにくく「曲げ」に強い素材となっています。ちなみに植栽はトンネルを際立たせるような低木混植となっていて、自由に伸び伸びと蔦を這わせています。

隈氏が言う通り「トンネル」的な空間は村上作品に通底するモチーフといえるかもしれません。『ねじまき鳥クロニクル』の井戸、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の地下、『海辺のカフカ』の森、『1Q84』の首都高階段、どれも空間と空間を繋ぐトンネルのような舞台装置となっているといえるでしょう。

トンネルについて、隈氏は以下のように述べています。

 村上さんの小説を読み始めると、僕はトンネルの中に吸い込まれていくような感覚を味わう。その体験は突然にやってきて、そのトンネルの入り口は、この見慣れた日常の世界の中に、突然にぽかんとあいている。トンネルは、奥へ奥へといざない、最後のページを閉じると、また突然に日常に放り出される。
 その時の僕は、穴に吸い込まれる前の僕とは全く別の人間になっている。そんなトンネルのような建築を作りたいとずっと考えてきたが、いつも建築がトンネルになれるわけではない。しかし今回は本物のトンネルができた。何しろ、春樹さんとの共同作業だからである。(館内展示、隈研吾)

見慣れた日常の世界の中に、というのが恐らくポイントでしょう。

普段から通い慣れたキャンパスの、とりわけ平凡な成をしていた旧7号館をベースにしていたからこそ、日常と異空間の差が際立っているともいえます。

外部のトンネルはそのまま建物の内部へと続き、地下一階の「窪地」へと開かれます。見学者はこのトンネルを潜ることで、村上文学の異世界に入り込むような感覚を味わうことができるのです。

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外から見ると木製のトンネルは脇の「窪地」へと繋がっていき、庇としての役割も果たしていることがわかります。地下一階には村上氏の書斎を模した「村上さんの書斎」が設営されていて、大学生が運営するカフェ「橙子猫 -Orange Cat」も隣接しています(詳しくは後ほど紹介)。

村上春樹ライブラリーは以上のように、【トンネル】と【窪地】を行き来しながら空間を巡る、という建物全体の仕様になっているのですね。

内観 - 木を基調とした【階段本棚】

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館内に入ると、目の前には「階段本棚」の双璧が聳え立っていて、全身が本に囲まれたかのような体感を得ます。地上1,2階の【トンネル】は外の【トンネル】と一続きになっていて、地下1階の【窪地】に繋ぐような吹き抜け空間を構成しています。

この「階段本棚」も、隈氏が拘り抜いたインテリアになっているそうです。階段本棚は——『羊を巡る冒険』『ノルウェイの森』などの作品で印象的に描かれていた——北海道旭川で製作され、北米産のホワイトオークという木材で成型されています。名前の通り雪国を温めてくれるよう白い暖色をしていて、木目も美しいですね。段違いの踏板も極めて薄く、一見すると耐久性が心配になってしまいますが、下部には見えない鉄骨があり、踏板全体を支えるように組まれているそうです。デザイン性を損なわない、緻密な設計となっているのです。

*10月1日にはオープニングイベントとして、七里圭監督によるイメージ映像「物語を拓こう、心を語ろう」が投影されました。

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よく見ると、本棚の先端が薄くなっていることがわかります。先端が薄いことによって本棚の物質感がなくなり、本自体の存在が際立つ、というような視覚効果が生まれているそうです。

入り口から見て右側の本棚は「村上作品とその結び目」というテーマになっていて、村上作品を紐解く上で重要な「人とAI」「水の中の生き物」「映画館」といったキーワードから連想される津々浦々の本が並んでいます。左側の本棚は「現在から未来に繋ぎたい世界文学作品」をテーマに「境界を超えて」「世界の中の日本文学」「言葉の広がり」といった各カテゴリー毎の名著が並んでいます。

セレクションしたのは村上氏や早稲田大学とも縁が深い小説家や翻訳家、映画監督の方々です[柴田元幸氏、川上未映子氏、古川日出男氏 etc...]。

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階段本棚は、機能的に本の並ぶ一般の図書館とは異なった趣がありますね。

私たちはここで本に触れることで、実際には手が届かない——まるで届かない知の高みにあるような——本の存在や、白いbot人形のような匿名的な他者が思弁に耽っているのを肌身で感じながら、本の世界に没入することができます。

後半でも触れますが、『猫を棄てる 父親について語るとき』で村上氏は

我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実としてみなしているだけのことなのではあるまいか。

という言葉を残しました。

階段本棚は、私たちを【トンネル】の奥へと運ぶ舞台装置です。ただ同時に、どんな読書履歴も大いなる偶然の産物に過ぎず、結局のところ人生は、自らが知っているひとつの事実を唯一無二の事実とみなし、その事実を引き受けながら奥に進むことしか叶わない、という世の真理を提示しているようにも思えます。

どれだけ本を読んでも、本は尽きません。それどころか次々に新冊が刷られ、どれを読めば「正しい偶然」を掴むことができるのか我々を惑わせ、時に無気力にさせます。片やネット社会は、情報が氾濫する野放図と化しています。

電子文字に溺れそうになってしまう現代だからこそ、村上春樹ライブラリーは我々を”拓かれた”思弁へと誘ってくれる、新しい読書空間になりうるのです。

展示:「建築のなかの文学、文学のなかの建築」

期間:2021年10月1日~2022年2月4日
時間:10:00〜17:00(水曜休館)
料金:無料

2階の展示ルームでは「建築のなかの文学、文学のなかの建築」が開催されていました。

企画ではライブラリー制作の過程や図面、国際文学館としてのコンセプトが策定された背景など、様々な専門資料が展示されています。建築に纏わる一般書籍も並べられ、文章においても建築を巡る感覚を味わうことができるのです。

展示全体を通して、いかにして村上作品の世界観を表現し、風通しの良い国際的交流の場として文学と建築を融合できるか——その重要なミッションを課せられた設計に携わった隈氏らの軌跡を辿ることができます。

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(*撮影可能)

隈氏らの軌跡は、大きく分けて以下の4セクションに分かれています。

1. イメージの源泉
2. 使い手の視点、館の在り方
3. 細部に宿る執念
4.空間を構成する

1.イメージの源泉」では【トンネル】や【窪地】等の建築イメージについて、「2. 使い手の視点、館の在り方」では各スペースの間取り(学生が能動的に交流できるラボやスタジオ、読書スペースなど)について説明されています。「3. 細部に宿る執念」では地道かつ拘り抜いた建物の意匠について、「4.空間を構成する諸要素」では館内サインや植栽など、利用者がスムーズかつ心地よく利用できる設計上のディティールについて説明されています。

村上春樹ライブラリーの設計について、公式フライヤーには以下のように記されていました。

本展では、こうした過程に結びついた「コミュニケーション」を探り、数々の製作者たちの作業の痕/製作者一人ひとりの存在を示すことを目指しました。また展示室には、建築と文学にまつわる書籍を展示しています。手に取って、文章のなかの印象的な建築を巡ってみてください。建築の空間を体感して楽しむ「感覚」を思い出すきっかけとなるはずです。



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1階:ギャラリーラウンジ

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メインエントランスを入って左手にあるのが「ギャラリーラウンジ」です。ブックカフェのような空間で、スタイリッシュですね。

設計に関わった奈良さんは以下のように述べています。

 主役はあくまでも来館者の皆さんです。僕らは、主役の気持ちが落ち着いて柔らかなものとなり、自然と心が開かれていくような空間づくりを心掛けたのみ。それを感じていただけるなら大成功です。(中略)
 読書スペースの中央に配置された大きなテーブルは、偶然に隣り合わせた人同士のゆるやかなつながりを生むだろうし、物語について語り合うシーンも大いに想像できる。日常から非日常へと誘う、さながら「読者たちの乗合バス」になることだって夢ではない気がしてくる。

設計者の言葉からも<日常から非日常>へ、来館者が文学を通じて”心を語る”空間を目指していることが伺えますね。

壁に並んでいるのは村上氏の全著作と50言語を超えるその翻訳版、ならびに村上氏が翻訳した外国図書です。ほとんどにブックカバーが付いていて、英語版の題名や受賞情報などが記載されたキャプションも付属されています。

これらの図書はもちろん、手に取って読むことができます。日本語版と外国版を読み比べて翻訳の勉強をしたり、外国における村上文学の受容を研究したりするのにうってつけでしょう。

意外に思われるかもしれませんが、早稲田中央図書館や戸山図書館で閲覧できる村上作品はごく一部で、貸し出し中になっていることも多いのです。だからこそ村上作品を網羅的に、かつ手軽に手に取ることができるこの空間は魅力的なのです。

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壁面には『羊を巡る冒険』の羊男が描かれていて、ちょっとした空間のアクセントになっていますね。手前に並ぶ三つの椅子は、村上氏が寄贈したものらしいですよ。

館内には至るところにはカントリーなコクーンチェアも設置されています。フロア全体が木の温もりに包まれていて、自由で安心のできる読書空間ですね。ちなみにギャラリーラウンジを進んだ奥には、村上氏の作家年譜が掲載されています。

1階:オーディオルーム

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入り口から右手にあるのが「オーディオルーム」です。こちらは電球色の強い、喫茶店のような趣のある空間です。

ホームページによると「村上さんの自室で鳴っているサウンドのエッセンスを伝えるオーディオシステム。文学と音楽の両方を楽しむ空間」として設計されているそうです。

オーディオ機器には、普段から村上氏が使っている機種と同じレコードプレーヤーが設置されています。村上氏は大の音楽好きなことでも知られていますが、彼が大学在学中に経営していたジャズ喫茶・ピーターキャットで実際に使用されていたLPレコード(猫のスタンプが押された)も展示されているようです。

店内で流れているレコードや、その他壁面に飾ってあるレコードの一部は、上記のプレイリストにまとまっています。スタン・ゲッツジョン・コルトレーンなどは私でも知っているジャズ作家だったので、本格的なジャズ喫茶ほどのマニアックなラインナップではないのかもしれませんね。

今後も村上氏からは多数のレコードを寄贈してもらう予定だそうです。「いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです」と村上氏が述べる通り、このオーディオルームで流れる生の音に聴き及ばせながら、読書体験を豊かなものにすると良いのでしょうね。

2階:ラボ・スタジオ

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展示室の他に2階で設置されているのが、ラボスタジオです。ラボでは日常的な学生の交流スペースとして活用するほか、定期的なワークショップや各種のセミナーも開催される予定だそうです。

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早稲田ウィークリーより)

スタジオでは、海外への発信も可能な優れた音響設備が整っています。開館初日(10/1)には、特別顧問を勤めているロバート・キャンベル氏が「国際文学館で何ができるの」と題された企画を、イメージ映像を撮影した七里圭監督が「イメージ映像撮影の裏側」と題された企画をスタジオ生中継しました。

「村上春樹学生応援キャペーン募金」に寄せたロバート・キャンベル氏の発言は以下のようなものです。

学生がライブラリーにあるラボやスタジオを活用して展示やフォーラムを行い、イベントの動画配信などを実施したいと言っています。皆さまのお力を借りて実現させてあげたい。留学生や海外在住の卒業生とも繋がり、ライブラリーに来ることができない方々との交流も可能にする試みを考えているとのことです。文字から人へ、未来へとぜひ一緒に歩み、繋げていきたいと願っています。

B1階:村上さんの書斎

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階段本棚を降りて左手には、村上氏の書斎を再現した「村上さんの書斎」があります。整然として質素で、スタイリッシュな印象を受けます。

ナチュラル色のデスクや家具、白いパソコン・プリンターは村上春樹ライブラリー全体の雰囲気と調和していますね。

通常の時間帯は中まで入れないみたいですが、建物外部やカフェから中を覗き見ることができます。今はまだモデルルームのような装いをしていますが、いつかこの場所でイベントなども企画されるのでしょうか。

B1階:<橙子猫 -Orange Cat>

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最後に紹介するのは<橙子猫 -Orange Cat>です。3月から選考を受けていた早大生3人が「人と物語と触れあう空間」を目指し、独自に運営・経営してきたカフェです。

店の名前は、村上ご夫妻が直々に命名したようです。村上氏が学生時代に経営していたジャズ喫茶「ピーターキャット」と、飼い猫ピーターの種「オレンジキャット」にちなんでいます。

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からっぽのカフェの空間を
あなたの思い出・物語で埋めていく。
ここから新たな「物語」が生まれ、育ちますように。
あなたの将来これからを紡ぐ物語と、
文学の家の「枝折」に
なるようなお店を目指します。

(ウェブサイトより抜粋)

<橙子猫 -Orange Cat>は、ただ機械的に飲み物や食べ物をサーブする場所ではなく、「人/人」「人/文学」を繋ぐ憩いのカフェとしての経営方針を掲げています。

あくまで空間を思い出や物語で埋めていくのは来場者で、カフェやコーヒーはその「枝折」を目指している、ということらしいです。

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ちなみに私はハンド・ドリップコーヒーチョコレート・ドーナツを注文しました。

コーヒーは村上氏も「美味しい」といわしめたように香り高く、仄かにスパイシーかつ緩く甘い余韻が残るブレンドで、ドーナツとの相性も抜群でした。

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コーヒーのブレンドは堀口珈琲とコラボした「ライブラリー・ブレンド」が使用されています。

ライブラリー・ブレンドは【resonance“共振”】というブレンドコンセプトが掲げられ<文学、音楽、空間、人>が互いに“共振”し合う読書空間を大切にしたい、という想いが込められています。

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村上作品の中には多くのフードが登場することで有名ですが、代表的なのがこのドーナツです。私も村上作品は暇さえあればコーヒーとドーナツ(大抵はダンキンドーナツ)を食べている印象があります。

村上氏は「村上RADIO」にて、コロナで経営が危ぶまれているドーナツ・ショップに向けて、ユーモア混じりで以下のように語りました。

ドーナツ、たとえ何があろうと、何が起ころうと、世の中には絶対に必要なものですよね。ドーナツ本体ももちろん素敵ですけど、『ドーナツの穴』という無の比喩も社会には欠かせません。ドーナツはいろんな意味で、世界を癒やします。がんばってドーナツを作り続けてください。僕は常に、ドーナツ・ショップの味方です。

村上氏のドーナツ好きはわかりましたが、一体ドーナツの「無の比喩」とはどのようなものなのでしょうか?

例えば『羊をめぐる冒険』で「僕」は、存在するかもわからない羊を探す旅に出発点する直前、あるスーツの男から以下のようなフレーズを投げかけられます。

(羊は)ドーナツの穴と同じことだ。ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって、それでドーナツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。

つまりドーナツは「無」を巡る「形而上的な問題」を提供しうるフードである、ということです。

この物語でいう<羊がいるかいないか>の差異は、ドーナツの穴が<空白であるか存在であるか>の差異でしかない。同じように我々の人生は<認知/不認知>の形而上的な差異を生きているに過ぎない。

ただ一ついえることは、我々は今も確かに存在しているし、ドーナツの味も存在しているということ。

私はそんな風に解釈しました。たとえどんな不条理や喪失感に満ちた人生でも、大好きなドーナツに喩えてしまえば、一切は無問題になってしまうのでしょうか。

<橙子猫 – Orange Cat – >※予約不要
営業時間】月曜~金曜 10:00〜17:00/土日 10:00〜15:00
【Webサイト】http://orangecat-wihl.com/
Instagram】@wihl_cafe
Twitter】@wihl_cafe

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ちなみに<橙子猫 -Orange Cat>横には大きなラウンジがあります。

写真のグランドピアノは、ピーター・キャットで実際に使用されていたもので、開館にむけて調律されているそうです。

右のオブジェは『舞台・海辺のカフカ』で使用されたネオン管、通称「土星」です。館内をほんのりを照らす赤・青・黄の灯りは、他のスペースとは異なる異様な見栄えがありますね。

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館内の紹介は以上にして、次からは村上春樹ライブラリーが設立された経緯とその周辺の年表、今後の展開についてまとめてみたいと思います。

2018年11月:構想発表

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村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイト

私が大学に入学する直前の2018年11月、早稲田大学では「村上春樹氏所蔵資料の寄贈と文学に関する国際的研究センター構想についての記者発表」が行われました。鎌田薫前総長・田中愛治現総長・村上氏の三名が構想について思いを打ち明けました。

鎌田前総長は以下の3点を根拠に、村上春樹ライブラリーの構想を打ち立てました。

① 村上氏が早稲田大学の卒業生であること
② 本学は日本で一番受入留学生数が多く、そうした留学生の中には村上文学に憧れて入学した学生が多いこと
③ 村上氏の作品は世界50カ国以上で翻訳されていて、世界中の方々に読まれているが、早稲田は坪内逍遙以来翻訳を通じて国境を越える文学を実践してきた伝統を有すること

一方で村上氏は、文学館を風通しの良い「国際的交流=交換の場」になるのを願うのと同時に、セミナーやスカラーシップのような企画も立ち上げたいとしました。また自身が集めたレコードや書籍ストックを積極的に寄贈・寄託したいとも述べました。

レコードや書籍ストックに関して村上氏は、以下のようなことを述べています。

僕は子供がいないので、僕がいなくなったあと、それらがばらばらになってしまわないように、散逸してしまわないように、できるだけひとつにまとめておかなくてはなと考えていたんですが、今回、たまたま僕の母校である早稲田大学がこのような場所を作って、僕関連のアーカイブの管理を引き受けてくださることになり、それは僕にとってすごくありがたいことです。そういう施設が、日本人でも外国人でも、僕の作品を研究したいという人々の役に立つとすれば、またそれが互いの国の文化交流のひとつのきっかけになるとしたら、それに勝る喜びはありません。

加えて村上氏は、自身が集めたレコード・コンサートを開催したい旨を述べました。TOKYO FMの「村上RADIO〜RUN&SONGS〜」が始まったのはその年の8月でしたし、2015年にはHP「村上さんのところ」を開設していました。

近年の村上氏はファンと近しい存在に向かっている、とは言えるのかもしれません。

2019年6月:田中新総長、構想の具現化を進める

私が入学した2019年の6月、就任から半年が経った田中愛治新総長は記者会見を開きました。自身が掲げた大学のヴィジョンを確認をすると共に「国際文学館」の構想をより具体化し、設計を隈研吾氏に委託、開館目処は2021年4月となることが発表されました。(後に2021年10月に延期)

ちなみ2019年は隣接する「演劇博物館(通称”エンパク”)」が90周年を迎えた年でもありました。村上氏は学生時代からエンパクに通い、授業も行かないで映画のシナリオを読みこんだそうです。

村上氏直々の依頼で設計を引き受けた隈氏は、国際文学館を「生きている作家の文学館は希少」と述べ、カジュアルで文化的な国際交流の場を生み出したいと意気込みました。

2019年11月:国際シンポジウム「村上春樹と国際文学」

同年11月には国際シンポジウム「村上春樹と国際文学」が開催されました。村上氏について多角的に検討するのみならず、現在の村上氏が置かれている国際的な立ち位置や世界の文学環境など、多種多様な議論が展開されました。

開会の辞では現・村上春樹ライブラリー館長の十重田裕一氏が務め、演劇パートでは『舞台・海辺のカフカ』が実演されました。名手・蜷川幸雄氏が演出を務める『舞台・海辺のカフカ』は日本のみならず、パリ、ロンドン、シンガポール、ニューヨーク、ソウルといった世界中の公演を成功させました。

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実演後はナカタ役の木場勝己氏と、30年来の村上氏の担当編集をしていた新潮社・寺島哲也氏のアフタートークが開かれました。役者と担当編集、という異色の二人の議論は、自身の体験も交えた稀に示唆に富んだ内容となりました。

続く第2部のトークショーでは「村上春樹と『翻訳』」と題されたパネルディスカッションが催されました。司会は村上氏とも親交が深い翻訳家・柴田元幸氏が務め、作家の川上未映子氏や早稲田大学准教授 マイケル・エメリック氏、同准教授 辛島デイヴィッド氏らが村上文学と彼の翻訳について、多角的な議論を展開しました。

議論の中で川上氏は、村上文学の模倣不可能な独創的な小説手法が用いられていると語り、デイヴィッド氏は村上文学の翻訳の成功が、後続の作家のロールモデルとなっていることを指摘しました。終盤にはエメリック氏が世界文学として読まれるべき「HARUKI MURAKAMI」の検討が必要だと述べ、改めて村上文学の国際的な評価を高まりを確認しました。

2020年4月:『猫を棄てる 父親について語るとき』 

翌年の4月、村上氏は父と猫を巡る回顧的なエッセイ『猫を棄てる 父親について語るとき』 を発表しました。

このエッセイは、これまで家族について多くを語らなかった村上氏が、亡き父親と猫を棄てにいった記憶を頼りに、「歴史」や「記憶」について思い巡らせる内容となっています。村上氏が大の猫好きであることや、猫が幾度も作品に登場してきた経緯は言うに及びません。

父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。歴史というのはそういうものなのだ——無数の仮説の中からもたらされた、たったひとつの冷厳な現実。

父に関しては、大塚で小さな本屋を営む緑の父(『ノルウェイの森』)や、NHKの集金人をしている天吾の父(『1Q84』)の登場が印象に残っていますが、村上氏は自身の作品でという人格を、記憶や時代(多くは近代)を映し出す重要なモチーフとして用いてきました。このエッセイから読み取れるのは作家として一貫して向き合い続けた「父」のモチーフを巡る、村上氏自身の物語です。

『騎士団長殺し』であれ『一人称単数』であれ、村上氏は「自己模倣」という形でキャリア全体を振り返る段階に来ている、と指摘する声も高まってきています。高妍氏が描いた本作の装丁・挿絵も、どこか隔世の感が漂っていますね。

「回顧」などと安易しくノスタルジックな捉え方をするべきではないのでしょうが、本作含め後に紹介する『村上T 僕の愛したTシャツたち』や『古くて素敵なクラシック・レコードたち』の発売、レコード・コレクションのラジオ発信、母校である早稲田大学の訪問、といった各イベントを見ている限り、些かなりとも村上氏が過去を振り返る段階に来ている、というのは確かなのかもしれません。

2020年6月:『村上T 僕の愛したTシャツたち』

2ヶ月後の6月には、村上氏が愛した108枚のTシャツと『POPYE』で連載されたエッセイが一冊にまとまった『村上T 僕の愛したTシャツたち』が発売されました。

先ほども述べた通り、ここにも村上氏が人生で集めてきたTシャツを「回顧」する、という傾向が見られます。本書冒頭には、以下のような文章が載っていました。

ものを集めるということにそれほど興味があるわけではないのだけれど、いろんなものがついつい「集まってしまう」というのが、僕の人生のひとつのモチーフであるみたいだ。聴ききれないほどの量のLPレコードやら、この先読み返すこともたぶんないであろう本やら、雑誌の雑ばくな切り抜きやら、鉛筆削りに入らないくらい短くなった鉛筆やら、とにかくいろんなものが僕のまわりでひしひしと増えてゆく。

2020年6月:『古くて素敵なクラシック・レコードたち』

同じ月、村上氏による音楽エッセイ集『古くて素敵なクラシック・レコードたち』が発売されました。

こちらはLPレコードをこよなく愛する村上氏がまとめた「古くて素敵な」クラシック名盤を巡る、軽い趣味本です。元々はジャズ喫茶を営んでいただけに、村上氏独自の音楽観が披露されています。

レコードを集めるのが趣味で、かれこれ六十年近くせっせとレコード屋に通い続けている。これは趣味というより、もう「宿痾」に近いかもしれない。

宿痾」という言葉は、いかにも古めかしいですね。村上氏はエッセイを通じて60年に渡る宿痾を、追憶的にまとめたのです。

ちなみに最初に紹介されていた『ペトルーシュカ』(ストラヴィンスキー)は、ほとんどクラシックを聴かない私がごく個人的かつ偶然に愛聴していたLPでもありました。激情的かつドライなクラシックの曲調に、大変驚きました。

2020年7月:『一人称単数』

一人称単数』は、文藝春秋に定期的に掲載された(「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」)の7作品が一冊にまとめられた短編集です。

私は最初『一人称単数』を読んだ時、何ら新しさのない村上作品の既視感の連続のように思えてしまい、部分的にしか読みませんでした。ただ後に雑誌『文芸界・9月号』に寄稿された沼田充義・東大教授の書評を読み、認識が変わりました。

沼田氏は村上作品が初期の「僕」から徐々に「三人称」へ変化している経緯を踏まえ、意識的に初期の「一人称単数」を活用している本作について、以下のように総括しました。

いま私たちが目撃している一人称は、当然のことながら、初期の一人称への単純な回帰ではない。それは一人称の語りを通じて、自伝的回想の枠を作りながら、そこに自由に虚構をはめこみ、回想と虚構を交錯させる手法になっている。『文藝界・9月号』

沼田氏曰く「自伝的回想」というのが本作のキーなのです。

村上文学の歴史的なファクターは、もはや読者にも村上氏自身にも「自伝」として共有されてしまっていて、焦げ付いた印象さえあります。村上氏は本作で「僕」「ヤクルトスワローズ」「神戸の高校」「早稲田大学」「ジャズ・レコード」といったあからさまな自伝的な要素を——それを単純な過去への回帰ではなく——回想と虚構を交錯させてみせることで、新たな小説の手法に挑戦していたのです。

加えて沼田氏は「年老いた作家が老人によくある『回想モード』に入ったのだと早合点する読者」の存在を規定し、村上氏はあまりにポピュラーで成熟した物語作家であるからこそ、『一人称単数』のような新しい文学的境地に達することができたのだと分析しています。

(↓沼田氏の論考は以下よりご覧いただけます。)

2020年8月:『心は孤独な狩人』翻訳

翌月、村上氏はマッカラーズ原作の『心は孤独な狩人』を翻訳しました。村上氏は翻訳家としても有名で、デビュー以来と同時期から40年余り、かなりバラエティーに富んだ本を翻訳してきているといってよいでしょう。

『心は孤独な狩人』における村上氏の思いは「あとがき」に全て網羅されています。

僕が初めてこの『心は孤独な狩人』を読んだのは、大学生のときだ。二十歳くらいだったと思う。そして読み終えて、とても深く心を打たれた。もう半世紀も前のことだが、以来この本は僕にとっての大切な愛読書になった。他のマッカラーズ作品も、手に入るものはすべて読破した。そのようにしてマッカラーズは僕にとって、大事な意味を持つ作家になった。古今東西、女性作家の中では僕が個人的にいちばん心を惹かれる人かもしれない。

また村上氏が『心は孤独な狩人』の翻訳を最後までとっておいたのには、以下のような理由があるからだそうです。

僕がこの作品の翻訳を、いちばん最後までとっておいたのには(最後まで金庫に大事にしまっておいたのには)、いくつかの理由がある。ひとつには、それが今の時代の日本の読者に(とくに年若い読者に)、どれほどの共感をもって受け入れられるか、そのことに今ひとつ確信が持てなかったからだ

この『心は孤独な狩人』が年若い読者にどのような共感をもたらしたのか、あるいはもたらさなかったのか、私にはわかりません。

ただ少なくともこう言うことはできるでしょう。

多少はやとちりだったかもしれないにせよ、この時代に翻訳されたことの意味は必ずある。

2020年9月:ライブラリー施工開始

9月には、いよいよ村上春樹ライブラリーの施工が始まりました。改めて詳細を記述することはしませんが、開館の経緯は以下のTBSの独占取材によっても確認することができます。

ちなみに隈氏のインタビュアーを務めているのは、大の村上春樹好きとしても知られる小川彩佳アナウンサーです。

2020年10月:『「グレート・ギャツビー」を追え』翻訳

『心は孤独な狩人』の翻訳に引き続き、2ヶ月後には『「グレート・ギャツビー」を追え』(グリシャム)が発売されました。村上氏は2018年からの3年間で数えると、10冊近くの翻訳本を出版しています。翻訳家として凄まじい仕事量です。

本作はアメリカのベストセラー作家、グリシャム氏のミステリー小説です。村上氏は3年前のポーランド旅行中に原著を「たまたま」発見し「フィッツジェラルドの生原稿がプリンストン大学の地下金庫から盗まれた」という記述に強く興味を引かれたそうです。

フィッツジェラルドが村上氏の最も敬愛する作家の一人であることは、本人からも繰り返し言及されている通りです。村上氏は『「グレート・ギャツビー」を追え』にも「グレート・ギャツビー」と似た小説の構造があることを指摘しています。

2020年12月:早稲田新書創刊

12月には早稲田大学出版から「早稲田新書」という新しいレーベルが創刊されました。

創刊の狙いは「大学にゆかりのある文化人の表現・研究活動の貴重な受け皿の一つ」とすることと「大学の名を高め、低迷する出版業界へ最大級のインパクトを与える」ことの2点です。

早稲田新書の創刊を記念して、3冊の新書が発刊されました。そのうちの1冊が『村上春樹の動物誌』(小山 鉄郎)です。

(『風の歌を聴け』)、(『羊を巡る冒険』)(『海辺のカフカ』)(『象の消滅』)やカンガルーなど登場する動物は枚挙にいとまがありませんが、本著書は村上作品において「動物」がいかに重要なモチーフとして機能していたかが網羅的に解説されています。

「早稲田新書」と「村上春樹の動物誌」については取り立てるほどのこともないのかもしれせんが、早稲田大学が「大学にゆかりのある文化人の表現・研究活動の貴重な受け皿の一つ」として村上氏を推挙しつつ、作品を総括しようとしている背景が、ここに垣間見ることができました。

2021年3月:ユニクロとコラボ

翌年の3月には、村上氏とUT(ユニクロのTシャツブランド)のコラボTシャツが販売されました。日本で先行発売された後、順次海外展開もされました。

Tシャツには村上作品(『1983年のピンボール』『スプートニクの恋人』など)の装丁や印象的なフレーズがあしらわれています。他にも「村上Radio」の公式イラスト(フジモトマサルが描く猫やレコード)を施した「Haruki Murakami / 村上RADIO UT」など、全部で8種類のラインナップが揃っています。

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UT Magazine

Tシャツの他には「村上Radio」公式ステッカー(390円)や、『ダンス・ダンス・ダンス』などの作品をモチーフにした3種類のピンズ(590円)なども発売されました。

この時期のキャンパス界隈ではやたら”村上T”を着ている人が散見された気がします。私はそれなりに村上文学を愛好しつつも、これ見よがしにTシャツを着るほど熱心な読者ではなかったので、購入には至りませんでした。

2021年4月:村上春樹、入学式で祝辞

翌春の4月に村上氏は、早稲田大学(文学部・文化構想学部)の入学式で芸術功労者として表彰を受けると同時に、祝辞を述べました。

入学式に参列できたのは新入生のみでしたが、村上氏の式辞は10月末まで全文公開されています。例えば小説の役割について村上氏は、ワクチンと関連させながら以下のようなメッセージを発信しています。少々長いのですが、引用します。

 だから小説って直接的には、ほとんど社会の役に立たないんです。何かがあってもその即効薬、ワクチンみたいなものにはなれません。しかし小説というものの働きを抜きにしては、社会は健やかに前に進んでいくことはできません。社会にもやはり心はあるからです。意識や論理だけでは掬いきれないもの、掬い残されてしまうもの、そういうものをしっかりゆっくり掬い取 っていくのが小説の、文学の、役目です。心と意識の間の隙間を埋めるもの——それが小説です。だからこそ、千年以上ものあいだ小説は途切れることなく、いろんなところで、いろんなかたちで、人々の手にとられ続けてきたのです。そして小説家という職業は、まるで松明のように人の手から手へと、大事に受け継がれてきました。
 みなさんの中にその松明を引き継いでくれる人がいてくれたら、あるいはまたそれをあたたかく大事にサポートしてくれる人がいてくれたら、僕としてはとても嬉しいです。

社会にも心はあるという言葉は印象的ですね。社会にも心があるからこそ、小説はその心を健全に救い出して提示しなければならない。心と意識の間の隙間を埋めるものとして、小説は人から人へ代々引き継がれなければならない。

村上氏は作家を志す学生にメッセージを発したわけですが、私個人は作家を生業とするつもりはありませんし、片や早稲田大学が優れた作家養成の教育機関だとは思っていません。おそらく村上氏も自身のキャリアの根拠を大学に求めてはいないでしょうし、大学自体それを謳うつもりはないでしょう。

大学教育が作家のキャリアを後押ししているかのような解釈はとても簡単で、図式的な解釈だと個人的には思う次第です。

2021年7月:『ドライブ・マイ・カー』カンヌを席巻

7月には村上氏原作の『ドライブ・マイ・カー』(濱口龍介)がカンヌ国際映画祭で脚本賞(史上初)含む四冠を獲得し、世界を席巻しました。

私は『ドライブ・マイ・カー』を、疑いようもなく村上原作で最も優れた映画であると確信しています。映画は原作の『ドライブ・マイ・カー』他『女のいない男たち』(2014)に収録されている『シェエラザード』『木野』等のモチーフも採用されています。映画評論家の北原圭介氏は、同じ作家の複数作品からモチーフを援用する『ドライブ・マイ・カー』の手法を、黒澤明の『羅生門』的だと解釈しました。

監督の濱口龍介氏は、名実共に現在の日本で最も評価されている映画監督の一人です。『寝ても覚めても』(監督・脚本、カンヌ映画祭出品)『スパイの妻』(脚本、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)『偶然と想像』(監督・脚本、ベルリン映画祭銀熊賞)、『ドライブ・マイ・カー』(カンヌ映画祭四冠)と担当した商業映画全てが世界三大映画祭で高く評価され、映画監督としての評価は不動のものとなりつつあります。

商業デビュー前から濱口監督は、計348分にも及ぶ東北記録映画三部作(『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』)や、演技ワークショップと連動させた大作『親密さ』『ハッピー・アワー』など、挑戦的な映画作りでインディース界を驚かせてきました。

今回の『ドライブ・マイ・カー』は濱口監督のキャリアを総括するような集大成的な趣があったように思えますし、今後も邦画にも燦然と輝く名作として語り継がれるだろうと思います。

2021年9月:開館記念記者会見

2021年9月22日、村上氏は開館が迫ったライブラリーの記者会見に臨みました。

記者会見には田中愛治総長、柳井正氏(株式会社ファーストリテイリング)、隈研吾氏、十重田裕一国際文学館館長らが参加し、各々が開館への想いを語りました。*スピーチは未発表

会見ではライブラリーの理念・概要が改めて紹介された上、七里圭監督が担当したイメージ映像「物語を拓こう、心を語ろう」がお披露目されました。

ドローンを駆使した空中撮影に加えて「人/人」「人/文学」に向き合うライブラリーの空間性と、白光に陰影が刻み込まれて幾重にも交差する静謐な映像に、見入ってしまいます。

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また近々には、特設サイト「早稲田大学国際文学館アネックス」も開設されました。このサイトでは「アクセスしたい時にいつでも、どこからでも、ここで物語との出会いがあるだろうと期待していただける」サイトを目指しているそうです。

村上春樹ライブラリーの紹介はもちろん、隈氏はじめ設計を担当した方々のインタビューや資料、村上文学を研究・翻訳している方がの寄稿などが掲載されています。

現時点でサイトでは「 Interviews:現代日本文学を英訳する」「Essays:村上春樹文学に出会う」の二つの連載が始まっています。どちらも一回分だけしか掲載されていませんが、今後も継続的に記事を発展していく予定だそうです。

(未)2021年10月:「Authors Alive! ~作家に会おう~」

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10月から年末にかけて、村上春樹ライブラリー開館記念イベントとして「Authors Alive! ~作家に会おう~」が開催されることが既に発表されています。このイベントは「物語を拓こう、心を語ろう」のコンセプトを具現化するべく、村上氏が直々に提案した朗読企画です。

*コーディネーター:ロバート キャンベル早稲田大学特命教授
10月 9日(土)小川洋子、村上春樹
10月16日(土)村治佳織、村上春樹:村上作品とのコラボレーション
10月23日(土)川上弘美、ロバート キャンベル
11月13日(土)村上春樹:音楽について
11月27日(土)伊藤比呂美:ポエトリーワークショップ
12月18日(土)村田沙耶香、朝井リョウ

小川洋子氏、伊藤比呂美氏、朝井リョウ氏など早稲田にゆかりにある作家から、ギタリストの村治佳織氏、著名な日本文学者であるロバート キャンベル氏など、バリエーションに富んだ方々ですね。

まだ企画の詳細は発表されていませんが、声を出しにくいご時世だからこそ「朗読」が持つ力を再定義することは必要なのでしょう。村上氏は「村上Radio」も始めましたが、いかにして自分の声を相手に届けるか、ということを最近は特に考えているのだと思います。

私は今春、大学の講義で伊藤比呂美氏や谷川俊太郎氏の声を拝聴したことがあります。その後のワークショップでは、多くの詩人がコロナ禍における<声の可能性(あるいは不可能性)>について思い巡らせていることがわかりました。

(未)2021年11月:開館記念国際シンポジウム「物語を拓こう、心を語ろう」

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(「物語を拓こう、心を語ろう」公式フライヤー)

11月20日(土)には、ライブラリー開館記念シンポジウム「物語を拓こう、心を語ろう」も開催されます。

参加対象は主に早稲田の学生、教職員みたいですが一般の方も参加可能で、Youtubeでのオンライン配信も予定されています。

第1部:対談
「物語と心」ストーリーが生まれ人々に届くことをめぐる一つの語り合い
小川洋子(作家)
ロバート・キャンベル(早稲田大学特命教授、国際文学館顧問)
第2部:鼎談
「越境する文学」創作と翻訳
李琴峰(作家)
由尾瞳(早稲田大学准教授)
榊原理智(早稲田大学教授、国際文学館副館長)

第1部では小川氏とキャンベル氏が、小説家として生きる意味や、物語が誕生しそれが読者に届くプロセスについて検討し、第2部では翻訳を生業としているお三方が、越境する文学や翻訳について討論します。

村上春樹ライブラリーは「国際文学館」を謳っていますが、日本の物語に秘めた可能性や、越境する文学・翻訳の研究することは喫緊の課題であるようです。第1部で登壇する小川氏の作品は各国に翻訳されていますし、キャンベル氏も日本で最もポピュラーな日本文学者の1人です。

第2部で登壇する台湾人作家・李琴峰氏は日本語の創作と母語への翻訳も手掛けていて、先般の芥川賞を受賞して話題を呼びました。大学内では多和田葉子氏の名前が度々上がりますが、村上文学はじめ国を「越境」する文学がいかに重要であるかは、今後も尽きることのない話題であり続けるでしょう。

おわりに〜螢を追い求めて〜

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以上で、村上春樹ライブラリーの紹介を終えたいと思います。

ライブラリーの構想やコンセプトについて、直接運営に関わっていない私がわざわざ代弁し、紹介する必要もなかったのかもしれませんが、たまたまこの瞬間に立ち合えた現役の一早稲田の学生として、所感を残してみたかったのです。

今後も暇があったら、村上春樹ライブラリーに顔を出してみたいと思います。予約はだいぶ先まで埋まっていて、在学生だけが入館できる<12:00-13:00>時の枠では、じっくり本の世界に浸かるのは難しいものがあります。開館したてということもあり、私含め入場者やスタッフも浮き足立っている印象もありました。

10月7日には毎年恒例のノーベル文学賞の発表が控えていて、今後しばらくはイベント・シンポジウムが続きます。本来の意味でこの文学館が機能するのは、だいぶ先のことなのでしょう。もしかすると私が卒業した後、ようやっと腰を据えて読書に耽ける空間になっているかもしれませんね。

最後に、少々個人的な話をしたいと思います。私にとって村上春樹はどのような作家であるか、もとい村上春樹を巡る個人的なエピソードについてです。

前提として、早大生の私含め文キャン生(戸山キャンパスに通う文学部・文化構想学部)にとって村上春樹は、否が応でも話題の共通項として挙げざるを得ない作家として位置付けられているといえます。話題として触れざるを得ない、考えまいとしても考えてしまう、といった感じでしょうか。あるいは好きな作家で盛り上がるという営みの幅が村上春樹で限定されてしまうくらい、”本離れ”が進んでいる証左でしょうか。

村上作品は多く語られるように好き嫌いが分かれる上、「ハルキスト」を高らかに自称するのは——少しでも天邪鬼の気質を兼ね備えている学生ならば——憚られるものがあります。

ただ今も世界で名を轟かせる、夏目漱石・太宰治に匹敵する日本の国民的作家といえば、擁護するまでもなく「村上春樹/HARUKI Murakami」一択です。大学内では多和田洋子や小川洋子の名も頻繁に挙がりますが、やはり知名度や注目度の点において、村上氏が日本文学の大きなムーブメントを率いていることは疑いようもありません。

村上氏は早大生時代、日本でも最も有名な男子学生寮の一つである和敬塾に住んでいました。『』(『ノルウェイの森』)の「学生寮」の舞台ともなったと言われていますが、和敬塾は目白の小高い丘の上にあって、当時は新宿や池袋の都会が見渡せたそうです。

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』(中国版表紙)

和敬塾には私の友達も何人か入居していますが、3週間に渡る体育祭や、演劇を行う塾祭、武道の実践など、男子寮らしい旧来的な雰囲気を感じさせます。

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『螢』(『ノルウェイの森』)で描かれている学生寮は現実と同じく白いコンクリートで囲まれており、雑木林が豊かに繁っています。

作中には寮長と助手のような立場の学生が「代表」の面構えをし、寮生同士の上下関係を保ち、女子学生へのホモソーシャル的な視線を注ぎます。「僕」は寮生の一人を陸軍中野学校出身だから「中野学校」、学生服を来ているから「学生服」と名付けたり——『坊ちゃん』で描かれていたような——旧世代的なものへの、否定的な眼差しを向けています。

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私が住んでいるのは、和敬塾に隣り合う文京区の関口という区域です。

地名の由来はわかりませんが、私の地元・福島に通ずる奥州街道の「関所」だったから、という一説を信じてみると、奥深いものがあります。新目白通りを隔てた早稲田キャンパスに近い区域で、数十メートル先には和敬塾があります。ちなみにそこから少し西に進むと豊島区に入ってしまうので、早稲田大学は三つの区を跨ぐような位置に所在していることがわかります。

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関口には江戸川公園一帯が広がっていて、中にはいかにも”文京”的な「肥後細川庭園」や「芭蕉庵」「永青文庫」などが点在しています。

私は時々公園周辺を散歩したり、ランニングコースを走ったりするのですが、中でも「椿山荘」と呼ばれる老舗の旅館と、和敬塾が目に触れる度に、『』を思い出してしまいます。

椿山荘では人工的に螢を飼っていて、敷地内の庭園に放たれる様子は夏の風物詩となっていました。

『螢』で「僕」は、おそらく寮に迷い込んだ螢一匹を、ルームシェアをしている寮生から「女の子に渡すといいよ」と言われ、譲り受けます。今にも途切れそうな螢の光を眺めながら「僕」は、こんなことを思います。

瓶の底で、螢は微かに光っていた。しかしその光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。僕の記憶の中では螢の灯はもっとくっきりとした鮮やかな光を夏の闇の中に放っているはずだ。そうでなければならないのだ。

「僕」はかつて見たはずの螢の、燃えるようにくっきりと黄色く、夜闇に鮮やかな光を放っている情景を思い出しています。ただその時は既に、大切な幼なじみであった「彼女」が京都の療養所へ発ってしまった後でした。

「僕」の中で「そうでなければならない」螢の光は、あまりに衰弱し、淡く熱りが冷めています。そのまま螢は「僕」の元から飛び去ります。

蛍が消えてしまったあとでも、その光の軌跡は僕の中に長く留まっていた。
目を閉じた厚い闇の中を、そのささやかな光は、まるで行き場を失った魂のように、いつまでもさまよいつづけていた。

螢の光は、いつも「僕の指のほんの少し先にあった」筈だったのです。しかし「僕」は、本来ならば気付いていました。いくら「彼女」が届きそうな所にいたとしても、決して「僕」の手は届きようもないということを。それでいて「僕」は「彼女」に触れずにはいられないほど強く、「彼女」が放つ光に魅せられていたのです。

結果、「彼女」は螢が飛び去るように消えました。ただ光の淡い残滓だけが心に刻まれ、行き場のない喪失を抱えて「僕」は彷徨うように生きてゆくことしかできなくなってしまうのです。

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どうして私は、あの光を忘れてしまったのだろう?

私も近頃、そのように思う機会が増えています。

学生寮のような閉鎖的かつ旧来的な空間、例えば学校の教室や体育館、同年代の仲間が一堂に介して、同じ情報を共有し、同じ何かを目指すというような……あの場所は確かに光っていた筈なのです。

十代を染め上げてきた共同体主義的な、平たく言えば集まってなんぼの青春の光を、私は忘れることができずにいるのでしょう。例えばそれは、応援団に鼓舞された野球観戦であり、部活のインターハイ予選であり、学園祭であり、夜通しのスマッシュ・ブラザーズであり、キリスト教でいうミサ——つまり仲間との対話を乞い唄う——ハレの儀式です。

私は大学に入ったら六大学の野球観戦を行い、各校の学園祭を巡り、学術的なシンポジウムに多数参加し、休日には好きな映画を観て、東京の美術館やレストランを巡る、といった晴れやかな日常が送れるものだと確信していました。

COVID-19でアクティブラーニングが失われ、対話が失われ、スキンシップが失われ、不可逆的に学びが損なわれてしまった大学という場所で、もしかすると——私はこういう予感に打ち遣られてしまったのです。

私は生きる時代を誤り、人との接し方を誤り、所属するコミュニティの立ち位置を誤り、多くの学ぶべき分野と、多くの体験されるべき文化を取り違えてしまったのかもしれない。

螢のように無数に私を照らしていた筈の光は、当初描かれていた計画が崩れるにつれて、今にも途切れそうで弱く、淡い光へと変わっていきます。

やがて螢が飛び去るように私たち同年代の大学生活、その青春は終わりを迎えます

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私は今もこの街で、螢が迷い込んでくるのを待っているのです。

いつか光が戻ってくる、その日まで……





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