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読書記録|養老孟司 『バカの壁』

読了日:2024年5月17日

 2003年の著作。著者の養老孟司氏は解剖学者で医学博士。学者が書く本は硬い内容のイメージが強いが、こちらは肩肘張らずに読めるような文章と構成になっている。
 ”日本語は通じてるのになぜか話が通じない人”は、どうして話が通じないのか、それを「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」の視点から紐解いていく。
 一箇所、とても予言的だと感じた部分があった。

「今後、行政に科学そのものが関わっていくことが多くなる可能性がある。その時に科学を絶対的なものだという風に盲信すると危ない結果を招く可能性があるからです。付け加えれば、科学はイデオロギーでもありません」

 第一章の科学についての段落にある部分だが、これはまるで現在の状況そのものだ。「新型コロナウイルス」で騒いだ数年間、政府や行政の舵を握ったのは科学だった。わかりやすい表現を用いれば”医クラ”だった。政治経済がわからない連中が、己の名誉と私欲のために世間を煽りに煽って恐怖に陥れ、発言権を持ち日本をコントロールした。経済と命は密接に繋がっているのに、「経済よりも命!」と声高に叫び国家の血液とも言える経済を停滞させ、他人をバイキンのように扱う人間を増産し、人々を孤独にした。自殺者も増やした。
 科学とは何を以て”科学”というのか、これは20世紀最大の哲学者カール・ポパーが提唱している。「反証可能性」だ。
 ある事柄が科学的であるかそうでないかは、反証が可能であるか否かによる。反証できないものはただの信仰。その科学そのものを絶対視することもまた科学的ではない。それは宗教であり、原理主義である。「新型コロナウイルス」騒ぎで一億総マスク、一億総ワクチン接種を「お願い」という強制力が含まれた”空気”(山本七平著『「空気」の研究』)で日本を覆い尽くしたことは、まさに医療への信仰そのものだった。”空気”に弱い日本人をうまく誘ったものだなぁと私は当時感じていた。(今でも思う場面がある)
 似たような事案だと「温暖化」や「SDGs」なんかもそうだ。ただのビジネスのために信仰させる側がいて、そして信仰させられる側の間にあるのがマスメディアで、このマスメディアが原理主義の教えを布教していっているようなものだ。科学を疑うことをしないテレビと、ステレオタイプの人々。そして、「なぜか話が通じない人」はこのテレビ教の信者でもあるように思う。

 上記は一つの章について感じだことだが、各章と各節を身近にある様々なことに照らし合わせながら読んだ。
 適度に区切られているので、移動の際や隙間時間に読むのにもちょうど良いかもしれない。
 

 

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