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【素人解説#2】アリストテレス~西洋最大の哲人、その果てなき探求の跡を追う

新マガジンの第2弾です!

※マガジンの趣旨はこちらでまとめています

第2記事目は、古代ギリシアの哲学者アリストテレス(B.C.384-B.C.322)です。「万学の祖」といわれる西洋最大の知性であり、本noteでも過去にいろんな記事でさまざま言及してきました。

人物

アリストテレスは、紀元前3世紀に、当時ギリシャ人の植民地であったマケドニアのスタゲイラで、当時のマケドニア王の侍医の父と、同じく医療従事者であった母の間に生まれます。

17歳のときにプラトンがアテナイで主催するアカデメイア(世界最古の教育機関)に入学し、そこからプラトンのもとで20年にわたり研鑽を積みます。

プラトンの死後には学園を離れ、かの有名なアレクサンドロス大王の家庭教師をしたのち、自らリュケイオンという学園を開きました。アリストテレスとその弟子たちを中心とする学派は、その学園の歩廊(ペリパトス)を散歩(逍遥)しながら議論を交わすスタイルから、ペリパトス学派(逍遥学派)と呼ばれます。

万学の祖

アリストテレスの思想の特徴は、なんといってもまず「万学の祖」と称されるほどの広大な学問的射程と、それらすべてに伏流する緻密で徹底的な体系的思考にあります。

彼の時代、宇宙にある万物の起源(アルケー)を探る思考は”自然哲学”と呼ばれ、哲学だけでなく自然科学までを含む、かなり広い概念を指していました。アリストテレス以前の自然哲学者たちも、様々にアルケーの探求に励みます。タレスは「万物は水である」といい、ヘラクレイトスは「火がすべての原理である」といい、エンペドクレスは「あらゆるものは土から生まれた」といい、他にも多くの自然哲学者たちが、各々の原理を唱えました。

アリストテレスは、そうした自然哲学の議論を学びながら、彼らと比べてもいっそう幅広い範囲の物事について探求を進めます。動植物を分類整理する博物学や、それらの原理を調べる生物学、時空間とものごとの法則についての物理学、生命についての霊魂論、倫理学、政治学、などなど、彼が探求対象としたテーマを挙げればほとんどキリが無いほどです。また同時に、それらすべてを学問として成立させるための、いわば「ものごとの考え方」の枠組みについても注目し、論理学として歴史上初めて整備しました。アリストテレスが作ったこうした数多くの学問の土台は、形を変えながら現代にまで脈々と受け継がれています。

本記事では、マガジンの趣旨に照らし、これらのうちで主に現代の意味での「哲学」に関する事柄をピックアップして紹介していきます(これの腑分けだけでもなかなかに難しいのですが)。その一つが、主著『形而上学』を舞台に展開される”形而上学”の考究であり、またもう一つ、『ニコマコス倫理学』で語られる倫理学的考察についても触れたいと思います。

第一の学

上記の諸学をさまざま探求したアリストテレスですが、自身が専門分化した研究テーマのどれにも分類できない考察がいくつかありました。すべての物事に共通する「存在」「実体」「本質」についての探求がそれです。自然科学的なすべての探求に先んじて、その探求する各々のものの”なにであるか”が分かっていないと、真にそれらを認識したことにならないといい、そうしたことがらを「第一の学」と呼び、特別な地位を与えています。

人間について研究する学問は「”人間”とはそもそも何か?」という問いに答えられなければならないし、ボールが描く自由落下の軌道について研究する学問は「ボールが"ある"とはなにか?"空間"とはなにか?」に答えられなければならない、とアリストテレスは考えました。

こうした領域での探求の成果は、主に彼の主催したリュケイオンでの講義用の資料や論文としてまとめられたものが、後に弟子たちによって編纂されて世に出ることになります。哲学史上の金字塔、キングオブ哲学書、『形而上学』です。

原題『μεταφυσικά』(メタフィジカ、ラテン語:metaphysica、英:metaphysics)と題されたこの書物は、自然学φυσικά(フィジカ)についての書の後:μετα(英:meta)に置かれた書という意味ですが、形而下(現実世界)の上の観念的原理を扱うという意味で、日本語には「形而上学」と訳されました。

師匠プラトンのイデア論

アリストテレスは、長きに渡ってプラトンに学びました。師匠であるプラトンは、有名なイデア論を唱えた人です。イデア論においては、「普遍」という概念が問題になります。

我々が犬を見て、「これは犬である」と思えるのはなぜでしょう。世の中にはいろんな種類の犬がいて、更にそれぞれの個体ごとにも、ちょっとずつ違う部分がある。それでも、人がそれらの犬をひと括りにして「犬だ」と思えるには、その背後になんらかの共通したものがあるのではないかと、プラトンは考えました。この共通したものはイデアと呼ばれ、真に優れた”実在”と捉えられました。個々の犬は、最高の犬である「犬のイデア」を、個々の馬は「馬のイデア」を”分有されている”ことによって犬として存在している、と。実際に目に見えて触れることができる感覚的な物体だけでなく、「美しさ」や「勇気」のような観念的なものにもイデアがあるとプラトンは言います。そして、世の中のあらゆる物事のなかで、イデアに最高の地位を与えます。数あるイデアの中でも最高のものが「善」のイデアであり、全イデアは(そして我々の魂は)その善を目指しているし、どうじに個々のイデアはすべて善のイデアから枝分かれして実在している。

この善のイデアは、<絶対者>としての神に近い存在です。われわれ人間は、感覚的世界からはその存在を完全に捉えることはできず、不完全で”写し絵”のような具体的な世界に踏みとどまらざるを得ないとされました。

個物への眼差し~プラトンとの対決

プラトンの学園に入り、その膝下で学んだアリストテレスも、当然このイデア論に強く影響を受けています。

しかし、のちに”アカデメイアの頭脳”と呼ばれることになるその哲学者は、師匠の思想を継承するのでなく、むしろそれを足蹴にして、激しく対立することになります。

アリストテレスにあって、より鮮明に、疑う余地がなく存在していたのは、"イデア"のような抽象的なものではなく、そこにいる仔馬であり、そこにある草花でした。彼を魅了したのは、冷たく整然とした観念の世界ではなく、生滅変化を繰り返す自然の力強い躍動であり、そのダイナミズムの方でした。

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ルネサンス期に描かれた有名な絵画が、この対決を捉えました。中央左を歩くプラトンが天上の世界(イデア界)を指差しているのに対し、中央左のアリストテレスは地上(現実世界)を示しています。

目の前に確かに息づく”個物”から、彼の哲学が始まります。

アリストテレスは、主著『形而上学』において、様々な角度から繰り返しイデア論を反芻していきます。特にA巻第9章では、実に23項目もの批判を列挙しています。イデア論が論理的に破綻している点、自然物の挙動と整合性が取れない点、人の認識のあり方にそぐわない点、イデアを仮定しなくとも事物に説明が付けられる点。イデアが真に実在するというプラトンの主張は、一つ一つ打ち砕かれていきました。

替わって、彼自身による独自の体系が、語りだされてゆきます。

存在の学、実体の学

アリストテレスの哲学の特徴は、主語と述語の関係で真理を記述していく、というものです。人間理性が行う言語活動に注目したとき、学問の言語はそれぞれの主語がどのような一般的述語(性質)を持つかを探求をしますが、日常言語においては、主語は常に決して述語になりえない”この個物”が基礎になります。

たとえば、「人間は二本足の動物である」という文は、「人間」という主語に適切な述語をくっつけることで、学問的真理を述べており、こうした主語と述語の適切な関係こそが問題となります。

ここでアリストテレスは、「類」と「種差」という概念を用いて、これらの体系を説明しています。類は、種より上位の枠組みで、様々な種を含む区分ですが、それぞれの類にもより上位の類が存在する階層的な系列が意識されており、最高の類は「存在」「一」とされます。種は、類の中に含まれる”最小の”区分で、種ごとにそれぞれ他の種と明確に異なる端的な定義が与えられます。

上記の人間の例では、類は「動物」で種差は「二本足」となります。人間が人間であって他の動物ではない所以は、この「二本足」であるという点にあり、ここに人間の本質がある(ような種差を見つけるべし)とアリストテレスはいいます。この考えが後世に生物分類学として受け継がれ、現代の生物の系統分類は種/属/科/目/綱/etc....とより細かく規定されています、

さて、この例のように、すべての一般的主語は「そのものの何であるか(本質)」を端的にあらわすロゴス(説明言表、定義)を持ち、これを正しく突き止めるのが学問の役目とみなされました。

他方、学問的な認識を離れた現実の世界においては、「この人間」、「あの馬」といった個別具体的な事物が重要になります。こうした個物は、他のものを言い表す述語には決してならず、それぞれが主語としてのみ存するという性質があります。

ここでアリストテレスがすごかったのは、自然と形而上の探求のなかで、プラトンのように”この個物”を捨て去ったりせず、むしろこれを世界の中心に基礎づけたところです。現代の学問でも同じですが、普遍的認識を目指すのが学問の性格である以上、リンゴAとリンゴBの違いは捨象され、「リンゴ」という種の一般的性質を調べるのがリーズナブルと考えるのが普通です。

アリストテレスはしかし、宇宙の真理を”この個物”とその生滅変化のネットワークの中に見出します。

彼によると、目の前にあるこの個物は、上述のような類と種差で表されるそのものの「形相」(本質であり、設計図のようなもの)と、素材(質量)が合わさって、結合体として現実化します。芽吹いたばかりの木の芽がどれも、精確に大きな樹木の形をなしていくのは、素材である木と葉の組織のなかに親から引き継いだ木の形相を含んでいるからに他ならず、それゆえ、どの芽も誰に造形されるでもなくちゃんとした木の形になってゆきます。

日常世界の個物にあっては、これと指し示される質量が、形相的な述語に付け加わることによって、主語である個物が説明されると考えたのです。

まず『分析論』『範疇論』で語られるこうした主語-述語の分析から、宇宙全体の変転が連なるシステムが、次第に姿をあらわしてゆきます。普遍の雄プラトンを離れた巨大な思想が、飛躍していきます。

原因と存在~生滅変化の運動方程式

こうした個物が現実に存在するのには、4つの原因があるとされます。物理学にあたる主著『自然学』の中で示された、有名な「四原因」説です。

最初に、”このもの”としての存在の基盤をなす「質料因」。つぎに、そのものの何であるかを示す設計図である「形相因」。さらに、そのものの生成を起動する原理である「始動因」と、そのものが向かう動機を示す「目的因」が加わります。

「家」を考えてみます。質料因は、素材となる木材や鉄、ガラスなどで、形相因は家の設計図や家という概念です。これが生み出される目的としての推進力は家の機能(”住む”という機能、役割)であり、そこに向かってこれを生み出す始動因は、建築家(の技能)です。

この哲学体系のなかでは、家のような制作的なものと自然物は明確に区別されており、制作物は自然を模倣している(ミメーシス)とされます。なぜといえば、自然物、とくに生命あるものの生滅は目的と始動の連続性のなかで生まれては完成し、そして次なる生成の可能性を準備しながら消滅しゆく精巧な秩序を織りしているからです。

血や肉、組織などの各素材は、”このもの”として現実化する可能性をはらんだ「可能態」と呼ばれ、いのちある個物として実現した「現実態」は、同時にそのうちに精子/卵子や胚など、次の世代への「可能態」でもあります。現実態として優れた「実在」「存在」の基盤を与えられたすべての個物は、無限に連なる始動の系列の一番初め、一個の永遠的な”第一の動者”=神に押し出されながら、最高の目的たる純粋形相=神を目指します。

自然の全体が生成の相のもとにあり、絶え間なく繰り返される生滅変化の運動と秩序の哲学が、そしてすべてが目的論的に統一された哲学が、ここにはありました。アリストテレスにとって「存在」とは、すべての個物に共通する普遍的属性である一方で、実世界の運動連関と切り離しがたくある、能動性としての原理でした。

習慣が運ぶ幸福~『ニコマコス倫理学』

アリストテレスは、幸福を、人間の可能性が十分に発揮された状態としての人徳(アレテー)によって得られる、”神的なものの観想”と考えました。

そしてそれは、”論的な理性”による真理探求だけでは十分ではないといいます。ソクラテスは善を知ること即ち徳であるとする「知徳合一」を説きましたが、アリストテレスはこうは考えませんでした。知識は知識としてあれど、やっぱり状況に応じて様々な判断がありうる。

そこで、”行為の理性”を重要視し、都度の状況判断としての思慮(フロネーシス)を育む必要があると考えました。具体的な状況ごとに、過度な価値判断に陥らずに中庸を取り続ける実践のなかでそれは磨かれ、人徳は育まれる、と。アリストテレスにあって、そうした日々の習慣が、幸福の実現において少なくない地位を占めていました。

正義や公正についても言っています。法にかなう一般的正義と平等に向かう特殊正義を峻別し、後者をさらに財産の配分や等価交換、利得の均衡といった社会的活動の中での具体的な行為の基準のなかに見出しました。

個物から決して離れない彼の思想においては、「幸福」や「正義」という普遍も、決して個別具体的な日々のものごとから離れては存在しえないものだったのかもしれません。

影響

アリストテレスの思想は、キリスト教などの神の概念とソリが合わずに異教として排斥され、実に500年以上に渡って西洋では忘却の淵に落ちていました。しかし難を逃れたアラブの世界の優れた解釈者によって再度西洋中世に持ち込まれ、一大センセーションを巻き起こします。現代のほぼ全ての学問が暗に明に彼の考えを基盤にしているといえますが、学説として直接的にはそのかなりの部分が現在までに否定されています。アリストテレスの大きすぎる影響力を振り払い、乗り越えようとしてきた知的努力が、現在の諸学の発展を形作ってきたとも捉えられます。

終わりに

この一個の巨大な思想群をうまく取り扱うのはとても難しく、かなり端折った部分も多いです。また、主著『形而上学』においても、かなり多義的で重層的な用語法と複雑な論旨を、簡便のためかなり大雑把にまとめていますが、その意味するところの骨格だけは、ある程度なぞれたと思います。

現存する文書が飛び飛びで、かつ書かれ方も入り組んでいることから、学会でも解釈が定まらない部分も多いアリストテレスの体系とその探求方法は、しかしとても豊穣で壮大な知への愛を垣間見せてくれます。

どこか現実から遊離した深遠なる真理を語ったそれまでの自然哲学者たちと比して、目の前にある捉え難く複雑な現実に背を向けず、どこまでも説明可能なものとして掴み取ろうとする彼の知的態度に、自分はなによりも感銘を受けるのです。

リファレンス

論文を除くと、基本的には以下を参照しています。

『西洋哲学史-古代から中世へ』熊野純彦
『図説・標準 哲学史』貫成人
『哲学用語図鑑』田中正人
『岩波哲学・思想事典』
『形而上学<上・下>』アリストテレス(出隆 訳)

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