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哲学史の不滅の金字塔~アリストテレス『形而上学<上>』

哲学史に燦然と輝く大著で、「存在」「実体」「本質」を扱う形而上学の学問としての始まりの書。バラバラな論文や講義ノートを一冊にまとめた、全14巻から成るもので、岩波版上巻には、1-8巻までが収録されている。

精読/写経しつつ1日平均2pずつ読んで、上巻が終わるのに8ヶ月ほどかかった。概説書や入門書の類は特に読まずに、いきなり原著に当たったのだけど、これまで読んだ本の中で一番じっくり読んだ本になった。ズブの素人で本書を一字一句漏らさず精読した人、自分以外に過去ほとんどいないんじゃないだろうか。

過去記事で何度か触れているが、著者アリストテレス(B.C.384-B.C.322)は、「存在」や「本質」について体系的に思索を展開した(史実として現存している)初めての哲学者である。むしろ「哲学者」という言葉は、西洋中世においてそのまんまアリストテレスのことを指す言葉だったほど、哲学史の成立に深く関わっている。だが、その偉業はそれだけにとどまらず、物理学、生物学、論理学、心理学、政治学、博物学、などなど広大な範囲に及び、そのすべてを史上初めて学問的に定義してまとめたことにより、「万学の祖」と呼ばれている。徹底的な「体系」化が、彼の全思想を性格づけており、この体系がその後2,000年に渡るあらゆる学問を基礎づけた。生涯に著した本は500冊以上に登ると言われており、その中で特に本書『形而上学』は、彼の学院リュケイオンでの講義のための自分用ノートを、後に弟子たちが編纂したもので、上記の学問すべての最上位にある”第一の学”として論じられ、特別視されている。原題『μεταφυσικά』(メタフィジカ、ラテン語:metaphysica、英語:metaphysics)は、自然学φυσικά(フィジカ)の後:metaに置かれた書という意味だが、これが形而上学を表す言葉になった。

アリストテレスは哲学史上ではかなり序盤に登場するので、それ以前の思想の系譜をそこまで追わずとも、じっさい本書はなんとか読める。とうぜん優れた理解には程遠いし、日本語論文も適宜たくさん参照したけれど、そうした努力を惜しまなければ、全くもって字面が追えないレベルの近現代哲学のように最上級に難解な部類ではない。アリストテレス自体が過去の古代哲学者たちの思想まとめを序盤にしてくれていたり、彼自身による哲学用語集にもまるまる1巻が割かれているのも、理解を助けてくれる。これを読むためにプラトンも大半読んだが、イデア論について『パイドン』『国家』、一者・数の議論に関わる後期『ティマイオス』『パイドロス』以外はあまり必要ないかもしれない。ただ、彼自身による『自然学』『分析論』『分析論後書』『霊魂論』(いずれも大著)との連続性が強くあり、これらもあわせて読むことで、(5年ほどかかってしまう点を脇に置くと)彼の思想の真の深みに達することができるだろう。

また、岩波版の文体がものすごく古く、「しかるに、これなるものとしてのこれが存するところのこの個物が~」みたいな表現がずっと続くため、丹念に論理と構造を追っていくのに骨が折れる。

こうした困難を乗り越えていくと、本書の汲み尽くせないほどの豊穣な思索の道ゆきを追走し、味わうことができる。

上巻の内容としては、自然哲学者たちの思想まとめに始まり、イデア論批判、有名な四原因説、存在-実体論に至る。内容は別途まとめるが、これほど緻密に思考を積み重ね、苛烈に、徹底的に多面的に形而上の概念を思弁のみで切り刻んでいくのは、もはや完全な狂気といって良い。また、そういった思考様式の道具立て自体をも同時にみずから作り、現在まで続く論理学の礎石としたというのも完全に頭がおかしい。本書は冒頭、

すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。

というあまりにも有名な書き出しで始まるが、彼ほどに知ることを欲した人間は、人類史を見渡しても他にいないかもしれない。

生物の器官の複雑さにやどる神秘の観察が、アリストテレスの学問的興味の端緒であった。この形而上学における洞察にも、そうした神秘が余すところなく反映されている。生成消滅を繰り返す雄大な自然の運動を捉え、その原理を鮮やかに描き出す思考は、プラトン流の”現実から離れて存するイデア”としての「普遍」を一切認めない。彼にあって、あらゆる「実在」とその本質は、目の前にありありと見られ、止まることなく運動しつづける一つ一つの神秘的な個物(この仔馬、この机)へと還ってゆく。

読解にあたり最もキモとなるのは、入り組み、交絡しあう超多義的なキータームをしっかり押さえつけ、文脈ごとに意味を確定させていく作業だろう。自体的-付帯的、可能的-現実的、同一義的-類比的-異議的、などと錯綜する位相を、局面局面でしっかり腑分けしていかなければならず、相応の分析的な読みが求められる。

前述通り訳は堅苦しいが、訳者注解はわりと充実しているし、プラトン以前の断片集も適宜引いてくれるので後が辿りやすい。またそれ以前に、論文を漁っているなかでも訳語にだいぶブレがあったりするので、術語・訳語の整理が大々的になされないといけないと感じるが、色々見ている感じだとアリストテレス研究者は日本に数えるほどしかいなそうなので、これはしばらくは望め無いだろう。

下巻も読み終わったら、上巻の具体的な内容とあわせて、別記事で概説したい(半年後ぐらいになるかも・・)。

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