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春の足音を庭先のふきのとうの芽吹きとあじわいで知る


はじめに

 郊外に住んでいる。ひたひたと限界集落に向かいつつあるなあと、集落の役員ぎめの会合の顔ぶれをみわたしあらためて気づく。

そんなヒトのうごきとは関係なく、いつものように季節がめぐり植物がうごきはじめた。

きょうはそんな話。


梅がよく咲く

 庭にはしだれの紅梅と実生の白梅がある。いずれも満開。仕事先の街なかよりは1週間から10日ほどおそい。わたしが住む山と海に囲まれた郊外は街のほうとくらべて南に位置するとはいえ、気温が低め。それでもふもとより標高のすこしだけ高い里山の梅はすでに満開を過ぎている。

品種のちがいかなあと散歩しながら思う。すでに1月末から2月に入りつわぶきを収穫してすでに3回ほど食べた。こうした「あく」をもつ春先のめぐみを食べると、冬にあいだにためこんだものを一掃してくれる効能をもつだろうなと感じる。

毎年のようにそう思う。七草とにているかも。この時期に食べたくなるのもふしぎ。

さっさと調理して、ダイニングキッチンの食卓から窓ごしに、咲きほころぶ梅のようすを見つつ食べる。ずいぶんまえに梅の苗木を室内からいつも見わたせるところに植えた。

目論見は成功。このところ梅の木の成長と四季の変化をながめつつ箸をとる。


そしてふきのとう

 おとなりとのさかいの土手。わが家のわきを流れる小川のほとりにはフキがはえる。そろそろかなとむかうと予想的中。芽吹いたばかりのふきのとう。芽の収穫のタイミングはじつに短い。毎年このごろ、おなじエリアに顔を出す。

根元をぷつんとゆびでつまむときれいに採れる。するとほわんと山と野草のかおりがあたりにひろがる。さっそくキッチンにもちこみかるく水洗いし、そのまま水にほんのすこしつけてあくぬき。3分ぐらい。庭にはえてくることに感謝のきもちをこめながら定番のてんぷらにし、うどんにのせた。


ぱりっとした新葉とほくほくした花芽。いずれもおいしい。わが家の敷地にいつのまにか生えてきたツワブキ、フキ。つぎつぎとこれからあらたな葉柄がのびて収穫がつづく。


つぎは…

 これからはミツバ。すでにたくさん双葉を出ている。いつも年間をつうじて使う。早春時期にはうどんや茶碗蒸し。夏は冷やしそうめんや焼き魚のつけあわせ。料理のいろどりがぐっとよくなる。

ミツバの葉柄部分はしろいとやわらか。生でもおいしい。みどり色に色づいたものでもゆでてあざやかになりやわらかに。

つけあわせのみどりとかおりをそえる。なにより鮮度がいいのでかおりたち主役級の存在感。そしていくらたべても飽きない。和のハーブの代表格といっていい。


おわりに

 ヒトのいる気配は年々うすくなるこの界隈。お世話になった方々もはるか天上へ。昨今の状況がひとけのなさを助長。自然の草木の旺盛な生育のほうがめだつ気がする。

山に入らずともこうしてみじかな庭先で春の足音を知ることのできる喜びはなにものにも代えがたい。

いなか暮らしのメリットのひとつにまちがいない。


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