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みずからの守備範囲をつかむのはわかいうちならばいろいろとできる


はじめに

 体力や気力の限界を知ること。それは多少の無理のきくわかいうちならばやってみるのもいいかも。

そのうえで、行動できる範疇をおのずと知れる。

きょうはそんな話。

運動部で

 中学・高校と運動部に所属していた。小学校ではいわずとしれた運動がニガテな代表格だった。それがなにを思ったか、中学にすすんだら運動しようと思ったから不思議。いまもってそのときの心境を思い起こしてみるが、とんと想像がつかない。

ただひとつ、手がかりと言えるのは近所のある同級生の存在だったかも。この子は小学校のおなじクラスで、わたしと匹敵するほどの運動に無頓着な子だった。

ところが6年生のころ、彼は覚醒する。ひょんなことから放課後に陸上のなかまにさそわれて短距離走の練習をはじめた。

みるみるうちに足がはやくなった。じつは彼は足がおそいわけではなく、短距離走の術を知らなかっただけと判明。まわりがびっくりするほど上達(こういうのは気づきかも)し、あっといまにクラスで上からかぞえるぐらいまではやい方になった。

これはクラス中のおどろきだった。「やればできるじゃん。」と彼の走るのをながめつつ、べつの男の子が言ったのをおぼえている。

きっかけはいろいろと

 それがわたしが中学で運動をしよう、部活ではぜひとも運動をとかんがえたきっかけのひとつなのはまちがいなさそう。彼ができるなら自分も…きっとそう考えたにちがいない。それははんぶん正しく、のこりはそうでなかったかもしれない。

彼のまねをして足をうごかす以上にももをあげてみたり、手のふりをかえてみたり、カーブではからだを内側にかたむけてみたりいろいろしたが、どうもタイムは縮まらない。小学校はそれで卒業。ちがいはなんだったのだろうと疑問符がのこった。

そのかわり中学校で一念発起して運動(卓球部)をつづけてきてあきらかに変化を感じたのは体力。それまではながくつづける運動はとてもむりと、チャレンジすらしないでいた。

ところがどうだろう。練習のおわりに、部活担当の教師はグラウンド5周、インターバル走、階段上り下り、アヒル歩き(足首を腕でにぎり、しゃがんで歩く)やウサギ跳び(いまやひざなどをいためるやってはならない運動のひとつ)を日々のトレーニングとして課していた。

すると最初は先輩や同級生たちのうしろをついていくのがやっとだったが、2年生のなかばにさしかかったころからほぼまんなかに。そしてウサギ跳びや懸垂、腕立て伏せはいちばんになれるまでに。

先輩たちや教師が「よくできるようになったなあ。」とある日、わたしにそう言った。どこかで聞いたような…。そう、小学校のときの足のはやくなったクラスメートへのみんなのことば。

限度を知ること

 あまりの運動神経のなさを克服とまではいかないが、ある面では「そこそこやれるじゃん。」と内心ではまんざらでもなく、体育の授業なども苦痛はなくなり、むしろからだをうごかせて楽しみにかんじられるぐらいになれるほどに。体育の成績もまんなかぐらいに。

この経験は貴重で、そののち高校に進んでからは朝早めに登校してグラウンドを走り(つまり自主練習)すっきりしてから授業を受けた。これはじつに爽快で、このときがいちばんスタミナがついた。試合で最後までバテないで足がかるくおどろきだった。

おわりに

 これは体力面だけでなく、気力にも反映したと思う。それなくしては大学受験を越えるのはむずかしかったかもしれない。わたくしごとばかりになってしまったが、わかいうちならばいろいろやってみずからの「可動域」を知るにはうってつけ。

多少の失敗やなにかも帳消しにできる。それはのちのちになって「これならできる」の自信や段どりをくむうえでいい経験になるはず。


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