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高校時代にあれほど理解がすすまなかったはずの数学をいつのまにかつたえられるようになって


はじめに

 中学までは難なくできていたはずの数学。それがどうも高校で進学校に入ってしまいおかしくなった。手をつけられずに未消化のまま大学受験。

いま、学習サポートで数学を高校生におしえる立場になり、数学に悪戦苦闘した日々をふりかえってみる。

きょうはそんな話。


数学をおしえて

 学習サポートを主宰。中学生や高校生を中心に学習の場でささえる。数学もまた教える科目のひとつ。にがてにする生徒が多くもちろん避けてはとおれない。

するとこちらも生徒に接する時間の何倍か時間をかけて予習する。すでに人生なかばをすぎて旧式となったあたまでは理解に時間がかかるが、解けたときの爽快感はひとしお。数学っておもしろいなあといまさらながらに感じる。

それもそのはず。現役の高校生だったころにはほぼそういう機会は数学では訪れずじまい。高1の夏休みにはすでにどうしようもなくなるほどについていけなくなった。

それからの日々

 数学が足かせなのはまちがいない。なぜならばおなじ勉強しないままでもほかの教科はなんとかヒトなみについていけた。英語がすこしずつ脱落しかけたけれどもなんとかしがみついた状態。数学は予習して授業を受けても途中から教科書の理解すらおぼつかない。

あつかう数式がかんたんで、過去の資産と読解力のいかせる確率などの単元をどうにかこうにかやりくりしてそのまま大学受験をむかえ、地方の大学にもぐりこんだ。やっぱりやりのこし感をぬぐえなかった。

卒業してから

 それでも裕福な家庭でないので4年間で卒業するため、せっかく合格したのだからといままでにないほど勉強した。高校でサボっておいて大学でなんてあまりにタイミングの合ってない行動かも。

それでも時間だけはあったので、家庭教師をやりながら教える生徒といっしょに中学レベルからもう一度やりなおしていく。これがさいわい。わかっていなかった関数の考え方などをあらためて知る。けっきょく中学校の基本ができていないまま、高校へすすんでしまったと露呈。

わかってみるとああそうだったのかと気づいた。とはいってもあとのまつり。この作業を高校生のうちに気づくべきだった。いまさらしかたがない。このまま大学院へすすみ、理系でありながら数学とはいささか距離のある生命科学の分野の学位をとるまでに。

おわりに

 生命科学といえども高校数学レベルの必要性を痛感した。さらに職をかえて学習サポートをはじめて、根本からの理解が必要と知り、ふたたび中学レベルから厚い参考書の問題を解き、高校入試問題を時間をかけて解いた。

試験時間内で合格点をうわまわるにはどうすべきか、生徒たちと試行錯誤。いまようやく希望校をめざせるまでに教えられる。あらためて思うに高校時代の学習のタイミングの貴重さを思い知る。


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