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最近ようやく気づいた冗長な言いまわしの数々 はぶくと読みやすい文になった


はじめに

 なんどか自省をこめつつみなおす文章。どれだけ書いてもむだでおかしな部分がみつかる。これらを駆逐するといったいどうなるのか。

きょうはそんな話。

おかしいし、必要ないなあ

 このところやみくもに文章を入力すると出るくせ。それは「~しようとしている。たとえば「散歩にカメラを携えようとしながら…」と書いてしまう。

シンプルに「散歩にカメラを携えて…」となおす。ひとつの文に動詞をいくつも入れがち。もっとシンプルにしようと思うのだが…。

「興味をしめすものを身近におきたくなる性格のようだ。 」ではおかしいな。「興味の品を身近におきたがる性格だ。」でいいじゃん。

冗長でムダな語ばかり。

 「薄板を使って工具箱をつくろうという実習だった。」
 ➡「薄板をつかい、工具箱をつくる実習。」

でいい。気になるところがいくつもある。もういやになる。「使って」は、促音をとりのぞきひらがなで「つかい」でいいのに。「という」は口ぐせだな、これは。「だった」はいらないし。

なんかもう数かぎりなくでてきそう。

文をシェイプアップ

 おそらくこうだろう。たとえばリフォーム。以前の不便さやつかい勝手のわるさに慣れ、デメリットや劣化に気づきにくい。そのままつかいつづけてしまう。プロのアドバイスで手なおし。ビフォー・アフターをくらべるともはや以前の不自由さにもどる気にならない。

文章もおなじで、ブラシをかけて手なおし、もとのつたなさにようやく気づける。これってやっぱり経験なんだろうか。それとも…。

アタマのなかでつらつら考えるままを文にすると冗長になる。そのスピードのまま一気呵成にかきつらね、ちょっと休憩したのち2、3度読みなおす。ヒトの文章だと思いつつ添削。するとでるわでるわ。たくさんのムダのオンパレード。もとの文はたいていすっきりみじかくなる。

書きやすく読みやすく

 読みやすいと書きやすい。ふりかえるとそう。なんだ、じゃあはじめからアタマでそう考えればいいじゃんとタンジュンなわたし。デモソンナニタヤスクナイ。ヒトのアタマは思いどおりにはたらいてくれない。

こどものころ近いことをやろうとした。「ヒトって起きているといつもなにか考えてる。なにも考えないようにしてみよう。」とやってみた。いくたびもチャレンジ。

あっ、できるかなとおもいきや、「あっ、できるかな。」って考えちゃった。「あれっ、ーあっ、できるかなって考えちゃった-と考えちゃった」…。結果はおわかりだろう。そう、できない。ヒトってそういうふうにできている。

おわりに

 ヒトの思考はまだ解明できていない部分が多い。そこでみずからにさまざま課してみる。それはざせつの連続でいばらのみち。それでも興味はつきない。

わたしがnoteで文章を記すのもはんぶんはその興味から。どれだけみずからの文章をマシにできるか、いまやそれだけ。


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