ふだんのこだわりのない食事づくりにまつわるとりとめのないさまざま・あれこれについて
はじめに
毎日、家族とのふたりぶんの食事づくりを担当。するとさまざまおこる。しごとやなにかで予定変更などざらにある。そしてズボラできまぐれなわたしの性格に由来するあれこれ。
きょうはそんな話
仕事で…
このところ年度末が近づきなにかと気ぜわしい。あっ、確定申告をしあげるのをわすれているとか、メールをしごと先に返しておかなくちゃとか。
昨今の状況が3年あまりつづいて、基本的に家族での食事はべつべつに。朝はつくりおき。わたしが昼間に外出先でしごとのときにはふたりぶんの弁当を同時につくる。
勤務から帰って夕食。この段どりを基本的につづけている。後期高齢者を隣家にかかえ、自身も基礎疾患もち。市中の病院の混雑をこれ以上高めたくはない。いまのところ、かのはやり病にはかからずに済んでいる。
さて料理に話をもどそう。するとじっくり腰をすえて料理をつくろうとは思わない。基本的にふだんつくるものの材料はそなえている。その場で気ままに、疲れぐあいなどを勘案してすくないレパートリーのなかから選んでつくる。
きめたらすでに冷蔵庫に手がかかっている。いそぐときはその手が冷凍庫にかかる。フリージング品のほうがそののちの作業のすくないものが多く、もう1品つくる余裕ができる。
たいてい1品は帰りに買いものして得たさかなが多い。このところ脂ののったさかながびっくりする処分品のねだんで出ている。きのうもそうだった。カレイのソテーは外はパリッとなかはふっくらやわらかだった。
それでも
いそぎながらもうつり気のときがある。これは可能なときとそうでないときが。たとえば肉じゃがをつくろうと豚肉とたまねぎをいためはじめたころ、そんなきもちがわいてくる。
シチューもいいなあ、カレーも2週間ほど食べてないなあ。カレー粉はあるし、さいわいいちばん大きななべをつかっているしと、カレー粉をとりだしかけてはっと気づく。ああ、しまったじゃがいも、にんじんといっしょに糸こんにゃくを袋からとりだしちゃったんだ。とカレー粉のなかぶくろをあやうく開けかけて気づく。
あるいはこんなことも。ゆで卵をつくろうとして小なべに湯をわかす。沸いたなあと思いながら卵を手にとり、まないたの上で割ってなかみをなべにほうりこむ…。
しあげも用心しないとやらかす。このあいだパンケーキをつくり、あつあつのうちに食べようとした。なにを思ったかメイプルシロップを冷蔵庫からとりだしてかけるつもりが、しょうゆをかける一歩手前であやうく気づいた。未遂でおわった。
日課として
料理とともに、noteに記事を書く作業も日課として料理とよく似た側面がある。毎日ならばむしろ2, 30分をそれにあてるのはなんとかなる。フレックスの職場ではしごとの前に。
その日のしごとのまえの体操をやりおえたあとのようできぶんよくしごとに入れる。料理をするのもnoteを記すのも日々の生活にメリハリをつけられる。
おわりに
毎日のこんだてを考えてつくる家事。これをつづけているとつねにアタマがはたらいている気がする。
わたしにはバグがあってたまにそうした暴走をしかけるが、なんとか踏みとどまれている。ほぼたべられるものをつくれている。
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