仕事にもっていく自らつくる弁当はなぜおいしいと感じるのか
はじめに
時間の都合で仕事先での食事なので、夕食の弁当を自分でつくりもっていく。そろそろ3年になる。
昨今の状況になる前から仕事の拠点を増やしていたので、なにもあわてることではなかった。むしろ楽しめている。
移動する機会が増えたため。そのメリットのいくつかを中心に記しておく。
仕事先が増えた
中学、高校生を中心に学習を支援する仕事を、本業の学習塾とかけもちでおこなっている。夕方からいそがしい塾とは違い、朝から昼間はあいているのでできる。こちらはべつの広いエリアを対象にしていて、ほぼボランティアに近い。
生徒たちは困り果ててさまざまな理由でわたしのところへたどりつく。学校に行けず昼間のほうが体調が良いというときには、臨機応変にわたしのほうが日時を可能な範囲で変更して合わせている。
遠くまでは気力がもたないとか、家から近いとなんとかなる生徒もいる。希望に答えるためにさまざまなところにご理解や協力をあおぎ、事業所の一角を借り拠点をふやしてきた。空きスペース、空き時間の有効活用。
それは住宅展示場だったり、NPOの空きスペースだったり、古民家だったり。なかにはそういう生徒さんたちのためならと無償で貸してくださるところも。
そのほかの弁当にする理由
依頼者がふえてくるとこちらは車での移動をともなう。食事は移動のあいま。食事制限を医師から指導されている身なので、なるべく外食はさけたい。
というよりも塩分とタンパク質の関係で外食では偏ってしまい、ほとんど食事にならない。1日のうちで外食が1回入ると、極端なときにはその日ののこりの食事は無塩かほぼ無タンパク質を覚悟しないとならない。こうなってしまっては食事制限を20年つづけてきた身でもなかなかしんどい。
そこで弁当をすきま時間でつくりはじめた。そんなにたいそうなことはない。ふだん3食とも家でつくるので、その分を弁当箱につめているだけに近い。もちろんしばらくあとに食べるので生のものは入れずに火を通している。
朝昼晩の3食をほぼ2回にわけてつくり、朝は家で口にして、昼か夜が弁当、残りは帰宅してからになる。移動がともなうので朝5時、昼11時、夕16時と多少変則的な時間に食べる。
そのため自宅ですごしている家族の分は弁当にはせずに作りおきとなる。冷蔵庫が活躍する。
弁当はたのしみ
なんとかこれで3年つづいてきた。このスタイルの仕事、つづくだろうかと最初は半信半疑だったがなんとかなっている。そんなにいそがしいとも感じていない。このようにのんびりとnoteを書き記すぐらいだから。
弁当をつくるのもたのしい。とくに残り物を組み合わせてつくる日はおもしろい。いかに弁当箱のおかずのスペースをうめるか苦心する。それを考えつつ実行する。なんとか30分以内で家の食事と弁当を作り上げると、さあ、出発。
自分でつくったもの。やはり安心。たいてい移動中の車を公園の脇に停めてあじわうか、職場の空きスペースになる。もともとひとりでやっている仕事なのでひとりで。公園の季節の変化をながめつつ、だれにもじゃまされずにゆったりした気分で食べられる。
なぜか家と同じもののはずなのにおいしく感じられる。これはなぜだろう。もちろんごはんに味がしみたり、味がまとまっておちついているのもあるだろう。
それ以上に、おなじみのものを口にする「安心感」だろうか。これでいつものパフォーマンスが出せるというのが大きい。
おわりに
弁当を口にすると、いつもの自分にもどれる点が大きいと思う。そして確実にエネルギーを充填できる。これなしにはガリガリのやせのわたしは動けない。食事を抜くのはなによりつらいし、ろくなことにならない。
卵焼きのかたちがおかしくても、弁当箱のなかで煮物と揚げ物の味が混ざったとしても、それは気にならない。
自分がつくったやさいで作っていた頃は体力もあり、たくさん摂れていた。いまはそれよりも少なくても動けている。体重は変わらない。体質がかわったのか、むだにエネルギーを使わないようにからだがなりつつあるのか。どちらにしても弁当はこころづよい。
そしてなんとか弁当を持ち歩けるだけ、食べていけてるだけありがたい。いずれにも感謝しないと。
さらに今月から仕事が増える。自重しつつ自分のペースで弁当作りをつづけたい。
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