![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105263493/rectangle_large_type_2_f836edc1307fc4f3d52c8dea6bc8d6dc.jpeg?width=1200)
身につける学びのありかた:先生から教わるのと独学とのちがい
はじめに
どんなに環境がととのい、めぐまれた環境に生まれついたとしても、ヒトはひとりではなにも身につかない。ひとりだちしていくあいだにどんな「まなび」の機会があるだろう。ヒトをつうじた学習のとりくみかたのちがいとは。
きょうはそんな話。
小学校から
ことば、文字、数字や記号をつうじてまなびの方法や手段とする。もちろんことばをあやつるまでのあいだにはまわりをじ~と観察して「まねる」。小学校のとくに低学年はこうしたルールを身につけるために多くの時間をついやす。このあいだに「先生」の存在を知ることに。
はたして先生の存在とは。ICTの進歩により、ときと場合によってはこのしごとの一部は置き換わる可能性がささやかれている。ほかの多くのしごともそうだが、時代はどんどんさきへいく。
タブレットで一斉に授業のアシストをするのとはべつに、個々の児童・生徒がその各々の理解度に応じて学習する、あるいは操作するしくみすらある。教員のしごとの一部をおぎなっているといえそう。
おとなの先生。小学生の目からみるとサイズが大きいだけでなく、なんでも知っているたよれる存在。当面はそんなふうにとらえられそう。それが尊敬や信頼につながるのかもしれない。先生のほうも信頼にこたえるべくみずからを律しないとつとまらない。
たくさんの児童に日々あらたなことをつたえる。もちろんすすむばかりでなく復習も。教師自身が身につけて真理と認識できたものを用心しながらつたえる。まちがって身についてしまわないように手をかえ品をかえ多面的に教える。
おおかたの児童はペースはちがえど、何年間かでそれなりにまなびのためのルール、方法、考えかたを身につける。時間はかかるがやむをえない。教育とはそういうもの。
独学しようとすると
小学校以降はじわりと教師の存在はかたちをかえる。ひととおりまなびのためのルールを身につけつつある生徒たち。教師はいずれおとずれるおのおのの生徒のひとりだちのため、そのみちびき役にかわっていく。
もちろんこみいった内容や迷いやすい部分についてはしっかりと案内する。そこから先はこれまで身につけたことをたよりに生徒自身ですすんでみなさいとほうりだされる。とくに高校ではそれが顕著かもしれない。つまり「ひなたち」にひとりだちにもとめられる要素を提示、かんたんなものからやってみなさいとうながす。
ここまで書いてきたことをまとめてみる。動物の親が子に狩りのやりかたや食べられるかどうかをおしえるのに似ている。ことばではなく「やりかたをまねなさい。」から、「じぶんでやってみなさい。」へ。高校生でも最初のうちは基本はたいせつ。もっとも効率よく身につけられるように先生はみちびく。
こうした学びの場面では、情報の出どころを明示しないタイプのAIで教師役を代替するのはなかなかむずかしいかもしれない。生徒の理解のようすを表情、しぐさ、意欲や質問の内容などから判断するのはやはり当面はヒトの教師でないとつとまらないかもしれない。
思わぬ指摘
これが独学であらたなことを身につけようとするとどうだろう。それに関してわずかな経験を記す。高校で生物の後半は時間がたりずに独学した。その単元は基本を教師による授業で得た延長線上にある。
学問の進歩に歩調をあわせたあたらしい単元だった。たとえばいまではごくありふれたDNAの転写機構。当時では解明されてさほど時間を経ていないにもかかわらず教科書でとりあげられていた。入試ではこうした教科書の内容の理解を問う。
教師から学ぶあいだはどうにか全国の模試で名前が掲載されていたにもかかわらず独学ではとたんに難解にかんじた。いまとちがい理解しやすい高校生むけの参考書など皆無にひとしい。
問題がおこるのはそれからかなりのち。それは大学4年の卒論がせまるころ。教授から「きみの説明はまちがっている。」と指摘された。大学受験の独学での曲解していた。チェックの目をくぐり抜けてしまっていた。
もちろん教師からまなんでいてもこうしたあやまりはのこるもの。これらをのちに補正すればいい。これを正していくのが教育だし、まなびなんだといっても過言ではないかも。
おわりに
教師から教わるのと独学のちがい。もちろんひとりならばみずからのペースでコツコツやれる。学ぶ時間さえ確保できれば興味のあるところに集中してもいい。
興味がすこしずつひろがり外堀を埋めるようにしぜんとならしていく。独学では曲解しないように、よい問題集のサポートがほしい。問題を解いて理解度をたしかめると誤解に気づける。
よい問題集とはまちがいやすい、誤解しやすいポイントについてわかりやすい解説が示されているもの。ヒトによって解説してほしいところは微妙にことなる。
執筆者はそれらの個所を過去の学習者をつうじて網羅するだけの能力を有している(教師は誤解を回避するすべを知っている)。こうした解答に付随した解説ページのくわしい良書がちかごろはさかんに出版されている。
関連記事
広告
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?