学習サポートなどでせわになった大量の資料の整理をしつつふりかえる
はじめに
ようやく見えつつある。なにかというと紙類を中心にした資料の整理。
自宅にほとんどを置いてあり、これまでたずさわってきたしごとに付随したものばかり。そのほとんどは紙で出力したものや購入した本、テキスト。
その多くは何度も手にしてなかにはよれよれになったものも。思いいれがある。そう言ってもいられないかたづけないとこの家には来年はいないかも。
きょうはそんな話。
ひたすらかたづける
きのうecomoの数字のカウントをたしかめた。すでに350キログラム。
それだけの紙資料をここへもちこんだ。わたしが自宅でつかったものばかり。そのときどきに取捨選択して、のこすか捨てるかすべきだったもののうち、「のこす」としてきたもののはず。それまでもこの何倍と処分してきたはず。ところがときとともにつもりかさなりこれほどに。ところがのこす価値基準は変わった。
5年まえならばなくてはならないはずのものが、いまではなにも紙で出力せずともあたまにはいっている、あるいはすでにクニのお役所が必要ないといい、もはや教えなくてよい内容に。後者はまた朝令暮改でふたたび日の目をみることがたびたびだったので、うのみにせず残しておいたり、あらたにつくりなおしたり。こうして時代の波にほんろうされつつ生きのびた資料たち。
再発見
すると、いろいろ出てくる。なくなったと思い、わすれていたものがぽろりとでてくる。ほんのかたときそれをながめる。「ああ、そういえばこういうのあったな。」もはや過去のできごと。
いまや代替する手法がある。当時はこれしかないとみずから手づくりした教材などがそう。PCが何台もおきかわり、そのつどすべてのデータをうつしかえてこれたわけではない。
なんらかの拍子にうつしそこない、紙で出力したものだけしかのこっていないとかたびたび。意外とそれが多いと10年ほど前に気づいた。むかしの教え子にアルバイトで手伝ってもらい、再度入力するといった効率のよくないことをやっていた。
そんな「非効率のかたまり」すらいまや過去の遺物。いずれもつかおうと思えば記憶媒体をつうじていつでもとりだせる。若い方々へひきつげればつかってもらえるものもある。とくに数学などは数式の入力などはほかとくらべて特殊な入力法をとるので苦労してマスターした。
できなかったこと
話は脇にそれる。生徒たちに教えていて不便だなとかんじて結局うまくできなくて断念したことがある。それは漢文の表記。白文➡書き下し文とする際にもとの縦書き漢字の左右にふりがなやレ点などの返り点を打ちたい。しかも両側・上下ともにそれを付随させたいときは至難の業。MS系のワープロソフトでは、たいていどちらか片側の文字列がずれていく。
それをわりと効率よくできると知ったのはごく最近のこと。なんと大むかし、一時期つかっていた「一太郎」の進化バージョン。縦書きでそうした漢文に対応できる書式設定がわりと容易にできると知った。ああ、もうすこしはやく気づいていればとくやんでもしょうがない。
おわりに
資料の整理はやま場を過ぎた。こんどは教具などのかたづけ。つかえるものは必要に応じてまわりの方々につかっていただこう。そのために声をかけていこう。
これからわたしのやろうとしてすすめつつあるコンサルタント関係のしごとはいずれもレンタルスペースで用がたる。つくえ・いすなどはてもちで必要ない。文字どおりこれから身軽になれる。
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