見出し画像

高校でかいま見えて大学でさまざまな面を知れる「心理学」はのちにおおいに活用できた

(2023.11.1加筆)


はじめに

 高校や大学では科目の選択の機会がある。そのたびごとに新鮮なおどろきを得た学問分野はいくつかある。

なかでも心理学の領域に足を踏みいれたときにはほかとはあきらかにちがう人間の見方や視点を得られた。いまふりかえるとのちに影響をあたえうる出会いだった。

きょうはそんな話。

さまざま学んで

 高校では基本的に必修のほかに選択科目をえらべる。社会、理科、芸術などに多い。大学にすすむとさらにこまかく選べる。

高校で人間のとらえかたに興味をもったわたしは「倫理」を選択。担任でもある倫理の教師がことばたくみにさそい、この分野にみちびいてくれた。倫理のテキストはごくうすく、たとえば世界史の半分にもみたない。

考えることをつうじて

 この科目はおぼえることにあきたらず、理解することやかんがえることに力点をおいているところも魅力。後半の各思想家たちの人間のとらえかたも多様で対比しながらまなぶと興味深い。

青年心理の単元はほんの十数ページでごくあっさりしたものにすぎなかった。授業はあっというまと言っていい。ものたらないが新鮮な印象が残った。教師のはなしでは大学にすすめばくわしくまなべるとアナウンスされた。

大学にすすんだわたしはそのことばがあたまに残っていて、すかさず「心理学」をえらんだ。

大学の講義

 何十年もまえに受けた各講義。すでにかすかな記憶にすぎない。当時は入学して1年半は「教養部」(いまでいうところの共通教育)に在籍する。各講義の試験に合格してあたえられる単位をおおかた満たすと学部の専門課程に移れるシステム。いってみればリベラルアーツを体現する場。たしかにひろい学問領域から選択できた。

当時は取得単位の上限は設定されていなかったので、すきなだけ受講できた。なかでも心理学はぜひ受けたい講義のひとつだった。サークルの先輩のはなしでは人気科目という。講義室の関係で受講者が殺到すると抽選になるという。

できればそれを避けたいが、願いはかないなんとかつうじて受講できた。しかし最初の講義は階段教室の入り口から奥までいっぱい。ほかの講義は5月の連休が明けると席があきはじめるが、この講義は例外で変わりない。たしかに人気が実感できた。

講義とそのさき

 担当の教授の言葉が印象にのこる。心理学は科学としてあつかうべきであり、学問のひとつにちがいないこと、社会に貢献していること、実験や観察をつうじて人間の本質にせまれることなど説明があった。

催眠術をひきあいにした講義はインパクトがあった。ヒトの脳のしくみで、催眠に似たべつの意識がはたらいてあたかも奇術のようにあやつられてしまうという。それだけヒトとはあやうい存在であり、脳のしくみついて知ることはたいせつなこと。

実用的な学問でもある

 心理学を専攻すると資格を取るとしごとに就けるという。こころの問題をかかえるかたへ専門家としてカウンセリング。医師と協力して精神を安定へとコントロールするしごと。臨床心理士、心理療法士、臨床心理技術者などの資格。

当時のわたしにはいずれもはじめて聞く職業だった。すでにわたしの主催する学習サポートを利用した生徒のなかにはその職業に従事する生徒がいる。

 専門にすすむと教職の単位を上乗せしてとることができた。そこで児童心理学・青年心理学をくわしくまなぶ機会があった。発達を理解したうえでの接し方や指導法を知れて、のちにながく教育をしごとにすることになるわたしにとり基本となった。

おわりに

 ヒトは行動をおこすうえで、その目的や意義を理解して動機づけができようやく意欲がわいて行動にうつせる。

そのプロセスを支援するうえで、ヒトのこころの特徴を知るのはなによりたいせつ。有益なサポート役となりえるかはそこにかかっているともいえそう。

意識しても無意識にでもヒトのきもちを抜きにものごとをつたえていくのはむずかしい。


こちらの記事もどうぞ


広告


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?