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牛乳びんのふたをあつめるのと推しのアイドルのチェキをほしくなる心理はすこしにている


はじめに

 コレクションする行為に関してふと思う。わたしならば「石」だろうか。ひたすら惹かれる。鉱物や化石などといえばすこし聞こえはいいかもしれない。

大部分のヒトビトにとってはそのへんの石ころとなんら価値のちがいはないし、関心はごくうすいもの。むしろ重くて場所をとるやっかいもの。ミニマリストへの道を邁進中にどう整合性をつけるかなやましい段階にきている。収集物のもつ両面性。

きょうはこんな話。

はやりもの

 小学生当時、時間のあゆみは永遠にちかいと思えた。このままずっとこどものままなんじゃないかと思えたぐらい。それほどゆったりしたもてあますほどの時間があった。ちいさいころからスケジュールに追われる現代のこどもたちとはあきらかなちがい。

当時の「ひまな」小学生のひとりだったわたしとて、さまざまなあそびの流行の波を追うことがあった。道具やなにかが必要で、たとえば野球用具に関しては当時の男の子ならば、グローブとバットぐらいはあった。人数がそろうとまずは野球をやっていた。自転車で遠乗りしたり、つりの道具を一式そろえたり。

まだまだある

 遊び用具といえばそのほかにもビー玉、さまざまなこま、ヨーヨー、メンコ(パッチンとよんでいた)などなど。そのほかにもローラースケートなども一時期流行った。

わたしはやらなかったが、仮面ライダーのカードなどをあつめるのも流行。スナック菓子にいっしょについていたので、カードあつめにはまったおとうとの菓子をいつもたべる役目を担った。

いずれもそれなしではあそびなかまにはいれないし、いったんくわわるたのしさを知るととたんにはまってしまう。

家のなかでは

 雨の日などの家遊び。もちろんいまのようなゲーム機はない。そのかわりにボードゲームは基本的にいまとさほど変わらない。おもちゃといえばプラレールなどのおもちゃはいまもかわらずおなじ規格で売られている。

そのいっぽうで身近な生活のなかで得られるさまざまなものをあそびに使っていた。輪ゴムとわりばしでてっぽうにしてまとあて。牛乳びんのふたをあつめて、息で吹いたりてのひらで裏返してあそんだり。後者はわたしも一時期はまった。

母の職場で

 日々づかいの牛乳びんの紙ふたなど当時はごくありふれたもの。ところが流行となると、とたんにねこもしゃくしも集めはじめて、意外とみわたす範囲にない。毎日接する給食の牛乳びんのふたはもっとも見慣れた絵柄であり価値が低いとされた。集めはすれど将棋でいえば「歩」のやくわり程度。

ところが学校の振替休日、おとうととわたしは母親の勤めていた高校の食堂についていった。母はここで食事づくりをしごとにしていた。食堂うらのあき地でおとうととふたりであそぶ。

食堂の一角にある購買部では牛乳やヨーグルトなどのびん入り飲料が売られていた。生徒たちが休み時間や昼休みにここでおもいおもいに買い、びんの紙ふたを差してあけている。わたしたち兄弟でそのようすをじ~とながめていた。機転のきく弟がさっそくたずねた。

「もらっていい?」とほかの従業員にごみばこにはいったばかりのたくさんのふたをゆびさしている。好きなだけもっていいと許可が出るやいなやふたりでひろいあげて水洗い。ひなたにならべて乾かした。

見たことのないめずらしい絵柄のふたばかり。商品の飲料の種類だけ色とりどりのふたがならぶ。もちろんあそびなかまのなかで価値がたかい。

おわりに

 牛乳びんのふたなどふだんならば見向きもされないしろもの。流行のまっただなかでとたんにたからものに豹変する。モノの価値なんてそんなもの。

推しのアイドルのチェキに群がるヒトビトのきもちがすこしわかる気がする。写真なんてデジタルデータで永久に不変のものとして入手できる時代。それにもかかわらず、チェキで撮影した写真をならんで手に入れようとする。アナログな機器のチェキだからこそ。これをつかう撮影ではひとりのためにポーズした唯一無二の1枚。2度と手にはいらない。

だいじにチェキ帳にしまい、交換などする機会すらないたからものになるのだろう。小学生のわたしにとって見たこともなかったコーヒー牛乳のふたとおなじ。もう2度と出会う機会が訪れないだろうからこそ給食の牛乳のふた100枚あっても交換したくない。

そんなはやりものの魔法にかかってしまった小学生当時を近ごろの流行とともに思いおこした。


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