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どの学校でも理科室の独特な雰囲気にひきこまれるものがあった


はじめに

 どこがはじまりだったのだろうか。なにがきっかけで理科に興味をしめしはじめたのだろう。やがて科学者への道を歩むことになる。もはや数十年まえのことなので明確でない。

たしかなことは学校の理科室の雰囲気が好きで、この場所は学校内のほかのどんな場所よりもいごこちよく、特別教室のなかでもとくに「しっくりくる場所」という感じだった。これは小・中・高・大学、どの段階でもおなじ。

きょうはそんな話。

来る場所

 なにがそこまで好きにさせたのか。家といちばんかけ離れたものめずらしい備品や薬品、掲示物などがそんな興味をひいたのか。たしかに理科室には独特の雰囲気がある。どこかなぞめいてふしぎな空間。よく学園ドラマや映画ではそんな場面にうってつけの場所。

とはいえ、ふだんはごくありふれた実験や実習のための場所にすぎない。そうわかっていてもどこかわたしにはなじめてこころ落ち着ける場所。ふだんから知りたいと思っていたなぞを実験をつうじてひとつずつ解いて示してくれる場といったほうがいいのかもしれない。

根っからの…

 たしかに理科少年の一面をもちあわせていたと思うが、そこまでではない。中学と高校は運動部だったし科学部の友人の誘いにはのらなかったし。なんとも中途半端。おそらくそんな距離感のままをたのしみたかったのかもしれない。もの珍しさのままどこかあこがれのような存在としてその場を見ていた感じ。

それでも理学部にすすもうと決心したのはかなりあとのほう。むしろ美術か技術家庭科の教師になろうかと進路を選びかねていたほど。そのいずれも特別教室を使うことが多い。わたしには非日常の空間が必要なのかも。そこから派生して画家の才能がないと気づいていたし、家具づくりなど工芸家になっても食べていける感じがしない。

だから教師の立場でお茶をにごすという選び方。だからけっきょくその両方とも選ばずに、さらに職業選択を先へと伸ばせる大学の学部として理学部へと逃げたのかもしれない。

逃げたわりには

 理学部とはいわばいたるところ高校までの理科室ばかり。こちらもあちらもドアをひらけばなにかしらひそやかな実験、観察、そして呪文めいたことばをあやつり討議をしている。まさにどこへいってもどっぷり理科の世界に浸れる。

ところが理学部に来てわかったのはクラスの同級生がそこまで理系の話題やしごとに首ったけというわけではないと知ったこと。これは大きい。もちろんなかにはその道の…という趣味にしているほどの友人はいたが。大部分はふつうのどこにでもいるような学生たち。なにも進路を適性や興味以外で選ぶヒトがこれほどいようとは思わなかった。これは入ってみると意外とそんなものかと。

それ以来むしろしごとをえらぶのに気負わなくてもいいと納得。大きなストレスにならなければもっと広範なところからえらんでいけばいいと知った。

4年生になり教員免許を得るまであと一歩の教育実習さえ果たせば免状がとれるところまで来ながら、大学院のほうがおもしろそうだとあっさり教員免許取得をあきらめ、院試の勉強1本にきりかえた。高校教師(同級生に多い)になるのもいいなとは思っていたが、意外と未練はなかった。

大学院に進んで

 ここまでくるとさすがに理科少年のおもかげを追うというよりも、職業としての理科(わたしは化学だったが)という見方になる。世間は大学院をでているという接し方。当時はいまよりも大学院進学者は多くなく、どこの企業も歓迎してもらえた。だが地元の中小企業には学卒とおなじ条件というところも。

公務員の面接試験でも「どうして大学院まで進んだの」とか、「研究職のほうを選ぶ意志はないの」とさかんに聞かれ、上に記したようなことをこたえた。それほどめずらしい存在だったようす。

おわりに

 理科への興味がどれほどあったのだろう。世にいう理科少年ほどの熱心さはもちあわせていなかった。むしろ何にでも首をつっこみたがり、ものめずらしさをたえずもとめる性質だけはつよかった。

それがたまたま理科へと拡がったにすぎない。いまはそう捉えている。はたして自然に対する興味や関心はおさないころほどもちあわせているだろうか。自問自答の日々。

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