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【自由と幸福】依存と不眠の克服

◆不眠について

[不眠]=[眠れない]

そもそも
眠れない人など
いないだろう。

一般の不眠症とは、
眠ることが
十分にできない人
のことを示す。

解釈され難い
かもしれないので、
伝わりやすいように、
ここでは、
[眠れない]=[十分に体を休めることができない]
とする。

今から記す話は、
変わり者と
言われ続けて来た私が
体験した
経験則であって、
誰にでも
当てはまるものではない。

◆眠れないことに気づく

ある日突然、
身体と精神は
共に疲れ果てている
のにも関わらず、
眠れない。

それと同時に、
何に対しても
幸福を
感じられなくなった。

思い当たるのは、
基本的に、
人を信じられなくなった後、
自分に自信がなくなった後、
である。

しかし、
本質は
わからなかった。

わからないから、
眠れない
が正確である。

◆原因

原因は、
【探求】
であった。

人のことが
わからない
と感じた。

自分すらも
わからない
と感じた。

それまでは、
自分の理念や目的を
理解していた。

しかし、
私は、
私が信じていた人、
私が信じていたこと、
私自身すらも、
信じれなくなった。

つまり、
道に迷ったのだ。

私は考え続け、
探求し続けた。

迷ったまま、
夜道に一人、
武器もなく、
周りは敵だらけで、
それでは安心して
眠れないのだ。

気づけば、
体を休めるために
眠ることよりも、
安心できる場所へ
辿り着く可能性を考え、
納得できるまで
行動することを
優先していたのだ。

比喩表現は
分かりづらいので
この位に。

◇眠れなくなるまでの流れ↓↓↓
探求する。
気になる。
理解しようとする。
どうでもよくなくなれなくなる。
わからない事に悔しくなる。
焦る。
心音が早くなる。
深呼吸をする。
考えるのをやめる。
どうでも良いと思おうとする。
何も問題ないと思おうとする。
やっと意識が和らいだと勘違いする。
金縛りや幻覚に近い夢を見る。
怖くなったり悲しくなって目が覚める。
自分の愚かさに嫌気がさす。
考え方を改める。
考える。
探求する。
どうでもよくなくなる。
疲れる。
また考えるのをやめる。
深呼吸をする。
金縛りや幻覚に近い夢を見る。
寝たのか寝てないのかさえわからなくなる。
自分の愚かさに嫌気がさす。
探求する。
繰り返す。

以上が
一般的に伝わりやすい
原因です。

◆症状

探求を繰り返し、
答えがでないまま、
3日間眠れていない
ことに気づいた。

疲れ果てている自分に
気づいた。

3日間経って、
疲れ果て、
気付けば、
気絶するように
眠っていた。

しかし、
小一時間眠れても、
すぐに目が覚めた。

疲れは
取れていなかった。

頭痛と目眩による
気絶のような睡眠を
繰り返す。


◇不眠による主な症状↓↓↓
目が疲れていく。
頭痛がする。
耳鳴りがする。
目眩がする。
体が怠い。
幻覚を見る。
幻聴がする。
心拍が速くなる。
吐き気がする。
立ち眩む。

以上が
一般的に伝わりやすい
症状です。

◆睡眠薬/眠剤

私は疲れ果て、
助けを求めるように
眠剤を
飲み始めた。

眠剤を
飲んで眠ろうとして
目をつむっているだけでは、
意識は飛ばなかった。

つまり、
薬の効能によって、
気絶するレベルに
酔わないといけないのだ。

眠剤を
少し飲んで、
量が足りないと
眠る事ができず、
余計に体に
負担がかかり、
体調不良が
強くなった。

私は
弱めでは効かず、
強めの眠剤が
必要だった。

さらに、
強めの眠剤を
飲むだけでは
眠れない日も多く、
毎日のように
空腹に
お酒と共に眠剤を
大量に飲んでいた。

もちろん
医者からすれば、
これは
とても良くないのだ。

しかし、
私には
そうするしか
楽になれる方法は
なかったのだ。

眠剤やお酒を飲んで、
8時間以上眠れた日は、
とても晴れやかな
目覚めを感じた。

毎日苦しめられていた症状が
いくつも取れたのだから。

眠剤を
飲み始めたことによって、
身体は回復できた。

疲れが取れると、
少しポジティブに
行動できるようになった。

美味しいご飯や、
お酒を求めてみたり、
始めはそんな
小さな楽しみだったが、
正直言って、
眠剤に
とても救われた。

もう一つ救われたのは、
通っていた
精神科の先生が、
とても良い人だった
ことである。

今思えば、
仕事として
当たり前だった
のかもしれないのだけれど、
当たり前に
誰かの為の行動ができるほど
感謝できることはない。

お酒やタバコなど、
不眠治療には良くないと
教えてくれたが、
決して
否定はされなかった。

私の場合は、
自分に劣等感を
強く抱いていたので、
私が自発的に
望んでする行動なら
何でも肯定してくれたのだ。

そして
私が自他ともに
人に嫌気が差し、
人間不信になった理由を
聞いてくれた。

人に悔やみ、
絶望し、
人間関係で苦しんでいることを
理解してくれた。

そして、
この世の中で
人を受け入れられないと、
これからも
苦しみ続けると
教えてくれ、
人を理解する練習として
仕事を勧めてくれた。

◆不眠と仕事

強い眠剤を
大量に飲んでいたので、
朝はだいたい
遅刻して仕事をしていた。

罪悪感はなかった。

始めは
人にも仕事にも
無関心だった。

しかし、
仕事は全力で
取り組んだ。

自分が
仕事で評価されるかを
試したかったのだ。

何より自分に
価値があってほしかったのだ。

仕事内容に関しては、
ありがたいことに、
とても期待してくれていた。

遅刻と人間関係が
課題だった。

眠剤を
上手くコントロールするのは、
とても難しかった。

探究心の強さは、
その日によって
変わるのだから。

眠れなかった日の仕事は、
朝風呂に入ったり、
エナジードリンクを飲んだり、
無理やり目が覚めたと
思い込んでいた。

眠れなかった時でも、
自分はよく眠れたと
言い聞かせた。

今日も仕事が楽しいと
思い込んだ。

いつも素敵でいようと
心掛けた。

余裕を持った姿を
見せるようにした。

自分が頑張る事で
誰かを幸せにできる事を
考えた。

誰かの支えになれていると
思い込んだ。

自分を肯定できるなら、
何でも良かった。

それからずっと繰り返し、
感情を殺し、
ロボットのように取り組んだ。

求められることを
全力で取り組んだ。

気づいたら、
仕事において、
自分が必要とされていることに
気がついた。

自分の価値を
認められたのだ。

◆目的地へ向かう

少しだけ、
自分に
自信が持てるようになった。

私は、
何のために
頑張っているのだろう、
何がしたいんだろう、
目的地はどこだろう
と考えた。

今なら
目指す場所への道が
わかると思えた。

改めて、
暗闇の中で、
迷い、
苦しみ続け、
ずっと辿り着けなかった
目的地への道を
探究してみた。

驚いたことに、
目的地への道へは
辿り着いていて、
既に
立っていたのだ。

道は、
自信だった。

ずっと、
自信がなくて、
自信を探していたのだ。

その時、
目的地が
ハッキリと
見えていたのだ。

私はその時、
眠剤を
飲むのをやめた。

5年間の
眠剤生活に、
終止符を
打ったのだ。

断薬後、
すぐに
十分に眠れた
わけではない。

眠剤を
飲むのをやめれた時、
ずっと考える事を
強制的に誤魔化していた
自分の悩み、
苦しんでいた事が、
次々と
襲って来た。

難問だったので、
また一睡もできない日が
続いたが、
自信があったので、
時間をかけながら
解決できた。

考える事に
前向きで、
望んで考えて、
解決したくて、
全く苦しくはなく、
むしろ楽しかった。

考えたくないのに考えるのと、
考えたくて考えるのでは、
精神的な負担は
変わってくる。

それまでは
眠剤によって、
精神は不安、
身体は安定。

眠剤をやめた後は、
精神は安定、
身体は不安定。


眠剤を
やめた後の
身体は
一時的に
不安定だったが、
問題解決後は
安定した。

眠剤を
やめて
しばらく経って、
考える必要もない位に
目的地が
明確になり、
道に迷う事もなく
過ごせている。

今、
探求することが
あるとすれば、
新たな目的地や、
既に複数ある目的地への
近道くらいだろう。

自分のペース自由
余力がある時に探せば良い
と感じられ、
焦ることもなく、
落ち着いていられる。

また、
過去と同じように、
目的が
自分の思っていた理想と
違っていたとしても、
もう
絶望する必要なんて
ない。

◆共依存のジレンマと克服

以前の私は、
あまりにも
愚かだった。

幸福は一つ だと
勘違い し、
失いたくない 
必死 になり、
臆病 になり、
依存 していたのだ。

幸福を委ねて来た
相手との関係性を
失ってしまえば、
「自分が大切にしている人こそ幸福の全て」
という
たった一つの幸福論は
一瞬にして
消滅する。

共依存の危険性は、
自分が
幸福でなくなる事を
恐れ、
相手が
間違っていると
責めること。

最終的には
相手を責める自分、
幸福を失った自分を責め、
幸福を求める自信はなくなり、
幸福とは何なのかさえも
わからなくなるのだ。

私が
共依存だったと
気づいたことは、
傲慢に
自分の幸福の全てを、
他人に委ねていた
と知れたからである。

◆自由と幸福

今は、
沢山の
幸福を感じられる自信
沢山の
幸福を求めらる自信
私のことは
私が決める
自信がある。

自信
得られたのは、
私が
自他共に
自由を肯定
したからだ。

自分の幸福自分で決めるもの。
自分の意思自分で決めるもの。
自分の価値自分で決めるもの。

自分が
心から良いと
思えるものを
求めれば良い。

それが
世間や常識で
間違っていると
言われようが、
自分が良いと
感じられれば
それで良い。

人間関係において、
大切にしている相手との
意思決裂は
少なくともある。

自分を尊重
さえできれば
幸福
感じられる。

そもそも
一つのものに
依存する必要性は
全くなく、
人間関係も大切で、
沢山の人が大切でも良くて、
仕事も大切で、
趣味も大切で、
大切なものは
沢山あっても良い。

一つのものに
依存する
ということは、
それが
世界における
絶対的な
一つの正義だと
決めつけてしまう、
あまりにも
強引な行為なのだ。

そして私は
ずっと探求し続けて、
全ての人が一人として
同じ価値観である必要はない
と心得て、
それぞれが全く違う正義を
尊重しても良いんだと、
自由の尊重
へと辿り着いた。

自由を尊重できるようになったことで、
他者が自由でいられることさえも
幸福に感じられるようになった。

だから今、
私が向かいたい目的地/幸福は、
数えきれない程にある。
どうすれば
より多くの幸福へ
辿り着けるのかを考え、
進み続けることが
何より楽しく
感じられている。

幸福とは、
不変的なものは一つもなく、
とてもありがたいもので、
この世の中に溢れている。

決して
一つではない。


そして、
沢山の幸福が
溢れている
この世界で、

常に私たちは、幸福の上に立っている

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