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東京のテンポ、オランダのリズム

この夏でオランダに住んで6年、日本を離れて6年が経った。
自分自身が大きく変わったという感覚はあまりない。

でも、久しぶりに日本に帰ると、何かにつけて自分が「遅い」と感じる。特に東京では、そのスピードや流れに自分がうまく乗れていないが分かる。テンポがどこかで少しズレている。

海外かぶれをぶりたいわけじゃない。でも、私の身体はオランダのリズムに慣れてしまったようで、東京のテンポと若干噛み合ってないみたい。自分が周りから浮いている、と感じる。


けれど、この、街や周りの人々から少し遅れている、置いてかれている感覚は、決して悪いものではないなと思う。相手をイラつかせたり、戸惑わせることもあったかもしれないけど、そのリズムの違いが「個」を呼び起こすというか、人間同士の交流みたいなものが生じるキッカケとなる、場合もある。

例えば、地元のガソリンスタンドでスタッフのおじさんが窓ガラス越しに尋ねた「現金ですか?」が、私には「元気ですか?」に聞こえてしまい、真顔で「父ですか?」と応えたことがあった。(地元だから、てっきり、そのおじさんがうちの父のことを知っていて、私の車を見て、世間話的に父の様子を聞いてきたのかと思ったのだ)

その瞬間のおじさんの困惑顔と言ったら・・。私も会話が続かないから意味が分からず混乱。それを見ていた周囲のツッコミにより、止まった時の流れは戻ったけれど、家族からも集まってきた他のスタッフさんからも大爆笑をされた。そのおじさんは去り際に「ごめんなさいね、私の滑舌が悪くて」と苦笑いを浮かべていた。やさしさ〜。

でも、ほとんどはマニュアル対応でコトは流れていく。日本、特にメガシティ東京は、ものと人で溢れかえっていて、街をスムーズに機能させるためには、システマティックに物事を進める必要があるから、迅速なコール&レスポンスが求められる。

「え、どういう意味ですか?」なんて聞いてはいけないし、雑談を交わす余裕もあまりない。個性を抑え、一律で安定した、機械的な対応に人間らしさの風味を加えることが正しい対応とされているみたいだ。

そんなスピードに少し疲れてきた滞在後半、東京で代官山から三軒茶屋までタクシーに乗ったとき、「東京は全てが早いですよねぇ」とつぶやいた私に、タクシーの運転手さんが「なんでも慣れですよ。少しいたら慣れちゃいますよ!」と励ますように言ってくれた。多分、その通り。

たとえ今はズレていると感じても、しばらくすれば私もこの街のリズムに順応し、自然と求められる反応ができるようになる。私は結構そういうの上手な方だし。

でも、できればこのスローなままの自分でいたい。周りの空気から少し浮かび上がり、若干ピントがズレたようなレンズ越しに眺める東京の景色は悪くはなかった。優しかった。

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