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「神々のざわめき」のおはなし

原の権現さん

 かつて牧之原台地(島田市)に「原の権現さん」があった。この権現さんは今井信郎ら帰農士族らの尽力によって建立されたのだが、逸話が残る。久能山東照宮にあった二体の「家康像」のうち一体を牧之原の士族たちの郷社にしようと、今井は資金援助を勝海舟に訪ねた。「その木像を祀ると何かになるのかぇ」勝は言った。「東照宮様の御恩に報い奉る一心」と答える今井に、勝は「ソンナ事なら、おれは真平御免だよ」と答えた。今井は火の如く怒って帰った(『海舟座談』)、と伝えられる。こうして家康を祀る原の権現さんは、帰農士族らの手によって建立された。
 後日譚として、キリスト教の洗礼を受けた今井は、権現建立とその際の、勝への態度を大いに後悔していた、と伝えられる。
まさに「どうする家康」である。

八幡さん


大井八幡神社(島田市井口)

 牧之原台地には「八幡(はちまん)神社」は五社あり、神社庁には井口の「大井八幡宮」が登録されている。八幡神社はもともと宇佐市(大分県)の豪族宇佐氏の地方神であったが、この地が外敵に対する日本防衛の要所であったため、朝廷は八幡神を日本国防衛神として信仰し、都に「石清水八幡宮」を分化した。また鎌倉幕府も「武運、戦勝」の神として鎌倉に「鶴岡八幡宮」を建立し、源氏の子孫を任ずる徳川幕府も八幡神を信仰した。そのため、牧之原の八幡神社も帰農したサムライたちによって祀られた。
 その後、八幡信仰は「出世、開運」の神様としてひろく人々に信仰され、現在その数は日本の神社総数の約半数を超えると言われる。また全国の各地に「八幡山(はちまんさん・やはたやま)」が点在し、信仰を集めている。

日本の神々

 「古事記」では天照大御神が「天の石屋戸」に籠った時「八百萬の神」が集ったと記されている。日本の神々はおよそ三種に分けられる。第一に「古事記、日本書紀に登場する神話の神々である。天上から降り、大八島国(日本)を造り、天皇につながる神話の世界を構築する。第二は記紀神話には登場せず古代から祀られ、渡来神なども含めて、人々の生活から生まれて来た神々である。八幡さんやお稲荷さんなどである。第三は歴史上、個々の人物の尊徳や怨霊を祀った神々である。菅原道真の「天神様」、徳川家康の「東照宮権現様」などである。先の大戦で戦死した軍人を祀った「靖国神社」も同様である。
 一方、仏教伝来(六八八年)以降、日本の神々は仏の仮の姿、化身とされ「神仏習合」がなされ、八幡神は「八幡大菩薩」、天照大御神は「大日如来」などと結びついた。しかし明治維新政府による「神仏分離令」によって、神と仏、神社と寺院は区別され、神々は仏のコスチュームを脱いだのだった。

共生する神々


神前結婚式へ歩む花嫁さん

 「まことに日本は酔っ払いの天国であるとともにまた無神論者の天国である(森三樹三郎『神なき時代』)、と言われる。江戸幕府から檀家制度を保証された仏教は「三百年の眠り」(『同上』)につき、キリスト教は頭打ちである。「唯一神」の信仰に乏しい日本人は、無神論者とされるが、実は、日本の神々はこの社会のすべての空間で健在である。日々の吉兆、結婚の相性、子供の成長祈願、様々な安全祈願、運勢判断等々神々への信仰は、実に日本人70%に達し、人々の生きる支えとなっている。日本の神々は、太古から、人々の暮らしの隅々で、人々の祈りを受け止めてきた。「俗信、迷信」と揶揄されながらも、日本の神々がもたらすご利益は図り知れない。結婚式は教会で、七五三や年末年始の安全祈願は神社で葬式はお寺で。
素晴らしきかな日本の神々!


(地域情報誌cocogane 2023年5月号掲載)

[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)

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