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与えられる者から、与える者へ。


好きなタイプは?って聞かれて、「〜じゃない人」って答えてる女(あんまり男では見たことない)に、いまだに飽きもせず、違和感を感じる。タバコ吸わない人、とかいう底辺回答はさておき、浮気しない人、もそうか。あと人のことを悪く言わない人!とかも理解不能。10代とかならまだわかるけど、てめえ何年人生やってきたんだよ、って思う。薄っぺらくて哀しくなる。

「好き」というポジティブ要素を求められている問いに対して、notで応えるこの構造。まじでいつになっても理解できないんだが、こんなこと考えてる奴ってそんないないのかな?

みんなそれぞれ守備範囲は違うしカテゴリーもいろいろあるので、価値観にケチつけるということではないけれど、にしてもその人生の道のりでなんかそれなりに、人間の持つ温かみを感じなかったんか?と思ってしまう。

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私は、「そいつの価値観や個性を尊重しながら、壁を跨いでテリトリーに入ってくるヤツ」が好き。これは男女問わず。というか物心ついた時からそういう人がずっと、羨ましい。俺はそれがとても苦手だから。言っちゃあれだけど、さっそく冒頭でもバカの価値観を尊重してないわけだし。

面白いもので振り返ると人生の各シーンで、そういう人が1人、1人と周りに現れていた。

幼稚園の頃、人見知りをクソほど発揮して心配されてた俺に、チビの俺よりもさらに小さな奴が壁を越えて友達になってくれた。小学1年の頃は、クラスのそいつがいなかったら小学デビュー失敗して引きこもってたかもしれない、とあとで思えるほど隠のおれに潜り込んできた奴もいた。クラス替えをした3年の頃も、5年の頃も、同じ。

中学に進学してからは、序盤に席が隣になった他校のヤツ、中3でクソ合わないクラスに配属されたときに学校に行くことを楽しくさせてくれた奴、高2で骨折したときに、まるで折れた骨を無理矢理治すようにズカズカ侵入してきたダントツで変だった人、大学でできた友人と思える数少ない人たち。

ここに書かなかった人もたくさん、俺みたいなかなりめんどくせえ人間に対して、肯定の言葉をかけたり態度で示したりしながら、ズカズカ踏み込んできやがった。その度、心の中でおれは言葉にならない感謝の言葉を創っていた。

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出会った人の中でダントツにイかれてるなと思った人とは高3の末に別れたので、大学に入ってから2年近く、心のどこかでずっと、イかれた人を待ち望んでいた。しかししばらくしてわかったことは、18歳までに出会う人と、それ以降に出会う人との間には、目には見えないがあまりにも分厚いプレートのようなものがあるということだった。それもそうだが、ずっと受け身の人生だった。18歳までは偶然、というか必然的に出会った学校の同級生に甘えながら生きてこれた。がしかし自分で選んだ大学という世界に存在するのは、おれ含めて良くも悪くも素っ裸ではなく、上質なダウンジャケットのようなアウターを着てしまった人たちだった。大学で出会った人を否定しているわけでは決してないが、やはりこれが大人になるということか。とは感じてしまった。全員、昔はお洒落な重ね着ファッションなどせずとも、寒さを凌ぐ肉の厚さがあったように思う。


おそらく自然と導かれてだとは思うけれど、20歳を越えてから、そろそろ自分から何かをやらねば残りの人生がしんどくなる。というある種の強迫観念からか、塾講師を始めた。対象はキッズ、つまり年下なので、おれは思った。こいつらをアウトプットの対象にして実験的に何かのコミュニケーションを図れば、なんかが掴めるかもしれないと。

実際、2年弱という短い期間で20名ほどの生徒と関わったが、これまでおれみたいなヤツに関わってくれた人たちの偉大さを認識させられた。なんせ、どいつもこいつも大概は受け身なんだよなあ。。

けれども、やはりこの実験は俺にとって大事な選択だった。相手が年下でかつキッズなだけに、嘘は通用しない。というか嘘をつきたくないから、必然的にこの仕事を選んだとも思えた。そもそも昔からキレイな大人がキライだし、おれはずっと与えられてきた立場だから、社会に出てしまう前に何かしらの功績を残さないといけない、と。

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生徒の点数が何点伸びたとか高校に受かったとか、それはあくまで結果であって、それでおれが得するわけではない。まあ嬉しいことは嬉しいがぶっちゃけ、おれにとってはどうでもよいことである。

だけれども、先生に会えてよかったですとか、感謝してますとか、そういう影響を与えられたことは、とても財産となった。おれはずっと、友人達、同期生達に対して、一方的にそう思っていたから。おれもようやく、与える側になれたのかなと。

点数が伸びたのは先生のおかげとか、受かったのは先生のおかげとか、これに関してはちげえんだよなとは思いつつも、まあ実際おれの実力でもあるよな。と矛盾した二項対立問題もあった。まあしょせん世の中は矛盾で成り立っているから、しょうがない。

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いつも通りだらだらとまとまりなく書いたが、結論は「なんか人からもらったと思えるものがあったら、それを元手に実験的にアウトプットしてみるとなんか得られることもあるよね」ということ。なのかな?いや別に結論なんてねえよと思いながらもこうまとめるしかない。おれのnote は読んだ人にわかってもらうために書いてるわけでもなく、読み手に読みやすいように書いてるわけでもなく、ただ文章でアウトプットして思考を整理する目的で暇つぶし的に書いているから。



社会人になって2年間は、一番下の立場だった。

頼りたいと思える「先輩」もおらず、業務進行目的以外でおれの中に介入してくるヤツもいなかった。ただただ目の前に日々現れ繰り返される仕事やめんどい責任を裁くことに手一杯で、社内には味方など誰もいないと日々孤独だった。会社の規模拡大とともに、部署が違う年上社員は年々増えていったが、最初の2年は自分から頼る余裕も、頼る理由もなかった。2年経って後輩ができたり、30代社員の配置換えがあったり、大学生のバイトスタッフが増え古株がごっそり消えて陣容がガラッと変わり、あっという間におれがNO.2になったことで状況が変わった。ここからはおれが、ここで出会った人達に何かを与えたほうがいいと思った。人のためではなく、自分のために。

結果的にこの会社を4年10ヶ月で辞めて今財産として残っていることは、達成した売り上げ数字の栄誉でもボーナスの額でもない。営業は数値で判断される。だからおれは、根本として営業部員に向いていない。

いつもスタッフを1番に考えてくれてありがとうございやしたといった言葉や、東京に来ることになったら遊んでとか、ワイちゃんが辞めるなら信頼できる人がいなくなるので私も辞めるとか、たくさん遊んで楽しかったねとか、とにかく自分が何に価値を感じるのか、実験の結果が得られた。

自分のためにやったことが人のためになる。会社や社会に貢献したいとか、人の役に立ちたいとか、多分本心から思っていない。この3年で自分が好きだと思える人達の中に踏み込んで、年下や経験が浅い人からたくさん学び、何かを感じとって、財産とできた。

近い将来、また小6→中1に上がる時のようにリセットされて新たな環境に飛び込むわけだが、違った角度から、また実験を始めようと思います。

おわり



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