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【洋楽雑考# 24】 〜 責任はリーダーであるオレが取る?〜Steve Miller Band

皆元気?洋楽聴いてる?

さて、今回、ご紹介するアーティストはSteve Miller Band。


アメリカ西海岸、ベイエリア/ウェストコースト産バンドの先駆者のような存在で、2016年にはスティーヴ個人がR&R ホール・オブ・フェイム、殿堂入りを果たしている。 

ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のミラーは、ブルースの本場シカゴでキャリアをスタートさせている。

キーボード・プレイヤーのバリー・ゴールドバーグらと、Goldberg-Miller Blues Bandを結成。シングルを1枚リリースしたが、直後に脱退、サンフランシスコに拠点を移す。

すぐにSteve Miller Blues Band を結成、Capitol / EMIと契約を交わしたのは1967年のこと。

当時のメンバーは、ミラー(G/Vo)、ティム・ディヴィス(Dr)、ロニー・ターナー(B)、ジェイムス・ クック(G)、ジム・ピーターマン(Key)という編成。

程なくしてより広い認知度獲得を求め、バンド名をSteve Miller Bandと、若干スッキリさせる。


同年6月にピークを迎え、およそ10万人のヒッピーの集団がサンフランシスコに集結した “Summer of Love”ムーヴメントを象徴するイベントで、

The Doors、Jefferson Airplaneらが出演しMagic Mountain Music Festival、また、The Who、ジミ・ヘンドリクスらのパフォーマンスでも有名なMonterey Pop Festivalへも出演。


9月にリリースされた、R&Rの神さま、チャック・ベリーのライヴ盤「Live at Fillmore Auditorium 」ではバンドがそのままバックを勤めるなど、当時からその卓越した演奏能力は評価されていた。


バンド自身のデビューは翌68年、「Children of the Future」アルバム。

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本作リリース直前、その後のウェストコースト・サウンドに非常に大きな影響を与えるアーティストが、意外にも(失礼…)バンド参加を果たしている。

ボズ・スキャッグスである。本作と、セカンド「Sailor 」の、わずか2枚の参加ではあったのだが、アルバムのクレジットを見ると、しっかり曲作りで自己主張している(ミラーとの共作はない)。


5月に行われた日本公演でも、自らのルーツであるブルースをメインにした演奏を行ったようだが、その後の洗練されたスタイルとは趣を異にするスタイルの楽曲は今聴いても面白い。


スキャッグス、ピーターマン脱退後、1969年リリースの「Brave New World」が初期アルバムでは最も成功した作品になった(全米チャート22位)のだが、

本作には ポール・マッカートニーが変名(Paul Ramon)で参加している。


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バンドはロンドンにあるOlympic Studios でのセッション中、そこにちょうど居合わせていたThe Beatlesの面々。

マネージメントとのミーティングだったようなのだが、かなり険悪な雰囲気だったようで、マッカートニー以外のメンバーは中座、かたやミラー・バンドも、ミラー以外のメンバーはいなかったらしい。


2人のセッションからスタートした楽曲が「My Dark Hour」で、マッカートニーはほぼ全ての楽器を担当している。

そして、同楽曲のメイン・リフは、その後1976年に発表されるミラー・バンドの「Fly Like an Eagle」のタイトル曲に流用される(嬉しかったんだろうねぇ)。


その後も火を噴く、このミラー独自の“流用殺法”は、当時だから許されたものなのか、色々面白いので徐々に紐解いていこう。

 いわゆるTop 40バンドとしての認知度はあった彼らの転機となったのが、1973年リリースの「The Joker」である。


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仮面を付けた男をフィーチャーしたジャケットが非常に印象的な本作。

全米アルバム・チャート2位を獲得し、バンドの名前を世界中に知らしめた。

で、表題曲は74年初頭に全米シングル・チャート1位を見事にゲットするのだが、ちょっと待たれよ。

このイントロ、アラン・トゥーサンの「Soul Sister」のまんまではないですか? 

この曲、1990年にはイギリスのシングル・チャートで2週連続1位を獲得。

Levi’sのCMにがっつりフィーチャーされたからなのだが、その他アイルランド、オランダ、ニュージーランドでも1位を獲得している。


3年後の1976年にリリースされた「Fly Like an Eagle」(左利き用のギターを弾くミラーが印象的なジャケット)はアルバム・チャート3位をゲット、タイトル・トラックはシングル・チャート2位、

そして「Rock’n Me」でふたたび1位に!

それは良いのですが、この曲のイントロ…Freeの「All Right Now」に生き写しですよ。

ミラー本人いわく、“Pink Floydのサポートをする際に、誰も注意を払っていない薄暗いステージにオーディエンスの耳目を集めるためには、これくらいのイントロが必要だった”らしいのだが、これ、よくFreeから怒られなかったよな。


1981年10月リリースの11作目「Circle of Love」がオレのバンド初体験だったと(非常に曖昧に…)記憶しているのだが、ジャケットの人物画が、どう見てもビートたけし氏にしか見えないという理由だったと思う(当時の東京ウェストコースト、吉祥寺以西でこのネタは流行していた)。


そして、MTVの時代が訪れ、バンドにとって3作目のナンバー1ヒットが誕生する。PVを実に有効に活用した「Abracadabra」である。


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彼らに初めて接したのがこの楽曲という方も多いと思うのだが、実にアルバムは通算12作目。

バンドのキャリアとしてはかなり後半のメガ・ヒットとなったワケだ。

いかにも80年代アメリカのギター・ポップという感じの楽曲だが、ミラーいわく、60年代にTV番組の収録で一緒になったダイアナ・ロスにインスパイアされたものらしい…よ。


その後は、比較的静かなキャリアを歩んでいるミラー・バンド。

ちなみに、1993年のアルバム「Wide River」って、オレが担当してたんだよな、これ。すいません、愛のないマーケティングで…


17年の時を経て、2010年に「Bingo !」、翌年には同時期にレコーディングされていた「Let Your Hair Down」を発表。

これがスタジオ作品としては最新作となっている。


資料を見ると、2014年には同郷バンドであるJourneyとツアーを行なっているが、同バンドの結成メンバーで、ベース・プレイヤーのロス・ヴァロリーは、ミラー・バンドの6枚目のアルバム「Rock Love」に参加している。

前述したボズ・スキャッグスとの関係を含め、ミラーがウェストコースト・ロックの発展に大きな貢献を果たしたことは言うまでもない。


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で、まったく話は変わるのだが、この“リーダーの名前バンド”って、最近どうなの?と、興味が湧いてしまった。

さっそく最新版10月5日付Billboardアルバム・チャートを見ると、該当するのは、わずか2組だった。

初登場2位を記録しているのが、カントリー・ロックの星Zac Brown Bandの「The Owl」、また、彼らのベスト盤は116位に位置しているが、何とチャートインから230週を記録している。


もう1組は、名前だけじゃないので、厳密に言うとNGな気もするのだが、125位にランクインした、Bob Seger and The Silver Bullet Band のベスト。 

最近は“誰それバンド”、難しいのかしら。

 では、また次回に!

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※本コラムは、2019年10月15日の記事を転載しております。

Steve Miller Band オフィシャルサイト

Steve Miller Band ユニバーサル ミュージック ジャパン公式サイト


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