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実家という壁

年始は夫と息子たちとともに5日間、東北の実家で過ごした。

実家家族には、電話であらかじめ長男の凸凹傾向や個別療育について説明していたつもりだった。しかし、結論から言うと、なかなかこちらの思う通りには理解してもらえなかった。

環境づくりから注意の仕方など、いつも自分たちで調整していることが実家という「他人の家」では難しく、私と両親互いにストレスの溜まる帰省になってしまった。

凸凹長男 vs 実家の環境

まず前提として、私から両親に対して、もっと丁寧にお願いしたり調整するべきところが想像以上に多くあった。しかし同時に、齢70を迎える両親にとって自宅環境や自らの振る舞いについて、娘からの細かいオーダーに対応することが煩わしいであろうことも伺えた。

たとえば、晩ごはん。両親はテレビやラジオをつけながら食事するのが習慣だが、極端に気が散りやすい長男にとってそれが障害になる。

また、実家ではすべての家電にスイッチ付きの延長コードを噛ませていた。長男はこれを見ると、つけたり消したりして遊びたくなる。

歳をとると「使うものは手元に置きたい」という発想になるのだろう。居間の壁という壁に棚が据え付けられ、家電やら本、文房具などとにかくモノが多く常に雑然としていた。

あれこれ触りたくなる長男が「叱られるための環境」として、実家はかなりよくできていた。そんな中でご飯が進まなかったり、家のものをいじったりで、長男がしょっちゅう実父に叱られるのを見ているのは忍びなかった。

実父の短気な気性も仇となった。

長男は、同世代の子どもと比べてしゃべり言葉の理解に時間がかかる。大人が注意するときは、本人が納得するまで繰り返し同じことを伝えなければならない。

あるとき、長男が居間の壁に掛かっているコードレス掃除機のノズルで遊ぼうとしたのを私が注意した。すると、実父が横からことさら大きな声を被せて叱りつけた。これでは長男が混乱し、学習の機会を台無しにするうえ余計なストレスを感じるばかりだ。

私も、ただでさえ長男を注意するときは神経を使う。実父の行為に黙っていられず、返す刀で食って掛かってしまった。実母の仲裁でその場は収まったが、大人になってこんなことで親子喧嘩をするなんて。どうにも情けない。

理解されない苦しさ

長男の発達凸凹に関する説明を家族に理解してもらえなかったことも、私の気持ちを暗くさせた。

地元で看護師をしている実姉には1対1で、長男の発達課題や療育センターの体制などできるだけ丁寧に話したつもりでいた。しかし2日後、彼を病院で診断してもらうべきだという主旨の長文メールを頂戴した。

仔細は省くが、かつて姉の息子(私の甥)のクラスにいた発達障害の子がたびたび授業中に癇癪を起こしていたらしい。そのような他人の迷惑にならぬよう、小学校に進級する前に医者に診断をしてもらったほうがよいという。

甥の同級生のケースについて詳しくは知らないが、癇癪の時点で長男の抱える発達課題とは異なる。そもそも、これまで何度も姉と長男は長い時間を一緒に過ごしていたが、彼は一度だって癇癪を起こしたことはなかった。それどころか、いつだってニコニコしながら伯母に愛想をふりまいていた。

赤の他人ならまだしも、よく互いを見知った家族からこのような誤解を受けるのはなかなか衝撃だった。彼女はいったい誰のことを心配しているのだろうか。ともすれば、長男どころか親である私のことでもなく「他所様に迷惑をかけるな」が一番の懸念に見えるではないか。

もちろん、彼女なりに私たちのことを気遣っているつもりなのだろう。だが、18歳までこの家族と過ごしてきた私にとっては、一事が万事だ。彼らの「田舎らしい」やたら身内に厳しい態度と配慮を欠いたコミュニケーションに、改めて辟易してしまった。そうだった、私はこれがどうにも苦手で実家を離れたのだった。

なお長男の凸凹で医者の診断を受けるかどうかについて、私と夫との間で現状の結論は出ている。保育園の生活で大きな支障があるわけではなく、療育センターの支援も始まったばかり。いま「病名をもらう」ことにあまり意味はないと考えている。

幸い、療育センターのスタッフも「焦って診断を受ける必要はない」と私たちの考えを後押ししてくれていた。区の療育センターは、長男の通っている保育園の巡回指導も行なっている。私たちの相談内容だけでなく、園での長男の様子を直接見たうえでの判断なので信頼している。

他所のことは良く知らないが、長男が受ける個別療育では半年に一度、支援内容の成果が出ているか評価するためのスクリーニングを行う。その結果次第で、適宜医療機関の受診を受診するかどうかを判断するつもりだ。

実家を通じて「世の中」との距離感をはかる

今回の実家滞在によって、なんとも後味の良くない年始になってしまった。

正直、このnoteを纏めている最中も実家での出来事を思い出し、何度もイライラした。しかし、発達凸凹の子供とその家族をとりまく課題がいくつか見えてきたのも事実だ。

自分も30代半ばを過ぎ、今さら実家家族に何も期待していないつもりではあった。実際には、無意識下レベルで長男の凸凹について「家族だからわかってほしい」と期待していたのだが、これは大人として甘えだろう。

彼らには彼らの生活のリズムがあり、良くも悪くも決まった価値観がある。寄る年波に身を任せながら、年に1・2回やってくるやんちゃ盛り-さらに発達凸凹という未知の存在-の孫と娘夫婦たちに掻き回されるという立場だ。

私が事前の説明や調整を尽くすべきという考え方も、もちろんある。それでも実感として、たまにしか会わない家族から完璧に理解、協力してもらうのは難しい。少なくとも、今回の5日間という滞在期間はお互いにとって長過ぎたし負担であった。孫と祖父母の交流なら2、3日で十分だ。

実家家族は、発達凸凹の長男に対して世間がするであろう反応をリアルに表したのだと思う。今は家族と保育園、療育センター、週2回の公文教室が彼にとっての「社会」だが、小学校に上がればより多くの人たちと、より強い規範の中で生活しなければならない。寛容さを求める姿勢では、あまりに楽観的すぎるだろう。

これから長男と私たち夫婦が社会と折り合いをつけるうえでも、実家家族との距離感の取りかたやコミュニケーションは引き続き模索していく。

ただ、もうしばらくは帰省しない。やっぱり疲れた。

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