たま

都内在住*30代*うつ病休職中*詞をかいてみたり*絵本をかきたかったり*自分探しという名の記録をつくる

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都内在住*30代*うつ病休職中*詞をかいてみたり*絵本をかきたかったり*自分探しという名の記録をつくる

最近の記事

架空の人物を生きること

今、実体験も織り交ぜた小説を書いている。 ノンフィクションというわけではないが、さまざまな描写は記憶を元にした想像だ。 書いていて思うが、世間の小説家のみなさんは経験もしていないことを、読んでいて頭に映像が流れるほどにリアルに描けるのはなぜなんだろう。 どんなリサーチをすれば、創り上げた人物たちに命が吹き込まれるのか。 感情を自分ごととして感じられるのか。 年齢も性別も自分とは異なる登場人物たちの、それもそれぞれの立場を一人で内在させる術は、どうやったら身につくのだろうと思う

    • 心の引っ掛かりがようやく形を成してきた⑤

      ④はこちら M川さんは相変わらず頻繁にうちにやってきてはわたしにお浄霊をした。 その状況にはなにも疑問を持っていなかったが、仮病なのにわたしの状態が本当に悪いかのように接することに対してだけ、正直ほっとする気持ちと不思議な気持ちが混在していた。 そして今考えると、学校を休みがちなことについて父親に何も言われたことがなかった。 というか、父はTHE昭和の父親という感じで、仕事以外家庭のことや育児にはノータッチだった。 当時はそれが普通だと思っていた。 それしか知らなかったか

      • こころの引っ掛かりがようやく形を成してきた④

        ③はこちら わたしが頻繁に学校を休むようになって、度々訪問してくるようになった人物とは、M川さんという方。 M川さんは正座をして、寝ているわたしの横に正座し、合掌した。 それからわたしにむかって、手をかざした。 そして母に一言。 「あぁ、これはしんどいわね」 どうやらM川さんが体調に問題がある人間に手をかざすと、相手の血流がよくなり、回復するということらしい。 母はいつの間にか、救世教という宗教に入信していた。 キリスト教ではないが、イエス様の教えを尊重している

        • 心の引っ掛かりがようやく形を成してきた③

          ②はこちら それからのわたしは度々仮病を使って学校を休んだ。 だが、正直小学校低学年の記憶はあまりない。 確か母が最初の時ほどすんなりとは休ませてくれなくなっていた気はするが、それでもどんどん欠席日数は増えていった。 そんなある時、不思議なことが起こった。 いつも通り朝起きて、居間に行こうと立ち上がった瞬間、布団の上に崩れ落ちた。 一瞬何が起きたのか分からなかった。 もう一度立ちあがろうと足に力を入れ…られない。 両足のふくらはぎに力が入らず、立てなかった。 そばにいた父

          うつ病がだいぶ回復してきたからこそ陥るコレ

          昨年の5月にうつ病と診断されて即休職。 ニート生活もあと2ヶ月で1年を迎える。 日常生活は安定してきた。 朝起きて夜に眠り、お腹が空いたらご飯を食べることが普通にできるようになったし、 旅行に行ったり友達に会ったりもできるようになった。 ただ、まだ体力の消耗が激しく、寝込んでしまう日もある。 普通の生活ができるようになってきたからこそ、仕事のことを考えるようになった。 これまでやっていた仕事に戻る気持ちにはなれない。 どちらかというと転職を考えている。 でも何をやりた

          うつ病がだいぶ回復してきたからこそ陥るコレ

          心の引っ掛かりがようやく形を成してきた②

          ①はこちら 不登校が始まったのは小学生低学年の頃。 最初はズル休みから始まった。 1年生の頃はほとんど休むことなく皆勤賞の賞状をもらっていたことを覚えている。 しかし2年生になったある日の朝、 「なんか頭痛いかも」 めずらしくシュンとするわたしをみて、母はすぐに学校を休ませることを決めた。 あれ、こんなに簡単に休めるんだ それがそのときのわたしの感想。 今でもはっきり覚えてる。 それから仮病の頻度は上がった。 別にいじめられているわけでも、成績が悪いわけでもなか

          心の引っ掛かりがようやく形を成してきた②

          自由ってなんだろう*「母という呪縛 娘という牢獄」を読んで

           「母という呪縛 娘という牢獄」というタイトルにとてもドキッとした。 この時代に男だから女だからというようなジェンダー論を発言するのはどうなんだろうという気持ちもあるが、あえて言う。  母と娘の関係性は特別だ。  わたしには子供がいないので身を持って感じるのは娘側の視点のみではあるが、 娘にとって母親とは、母であり、友達であり、先生や師匠であり、目標であり、憧れであり、反面教師であり、呆れや憎しみの対象であり、安心であり、気をつけないと境界線がなくなってしまうほど一体であ

          自由ってなんだろう*「母という呪縛 娘という牢獄」を読んで

          心の引っ掛かりがようやく形を成してきた①

          今年の5月にうつ病の診断を受け、即ドクターストップ。 10月くらいには復帰できるだろうと思っていたが今も絶賛休職中! 何種類も抗うつ剤を試して、現在はセルトラリン最大量の25ミリを飲みながら、だんだんと回復を実感している。 最初は、スマホをいじる以外のことはできなかった。 テレビも見られない。 音楽も聴けない。 本も読めない。 そんな中で考えるのは… なぜわたしはうつ病になったのか 心療内科の先生には「生まれつきなりやすい脳をしている人もいるから考えない方がいい」と言

          心の引っ掛かりがようやく形を成してきた①

          「自分には関係ない」という難しさ

          どの国も、これまで積み上げてきた自国の歴史を学ぶ。 昔の人々がどうにか記してきた書物や壁画などから、誰が国を治め、どのように文化が発展し、今日の日本になったのか。 武勇伝ばかりではなく、目を覆いたくなるような残虐な出来事も。 例えば、慰安婦問題。 わたしも女なんで、国ぐるみでなんてひどいことをしたのかと、呆れや怒りのようなものが込み上げてくる。 慰安なんて生ぬるい。 実態は性奴隷だし、英訳もSex Slavesだ。 ただ、わたし個人に対して、責任は一切感じない。 日本軍

          「自分には関係ない」という難しさ

          社会的評価を上げることで失ったもの

          昔からよく「たまちゃんはいつも一生懸命だよね」って言われてきた。 みんながなるべくサボる教室掃除でさえ、時間いっぱい汚れを見つけた。 部活でも一番声出しをしていた。 社会人になってからも、先輩の話をよくきいてメモを取り、必要な勉強をした。 でも、同じくらいの歳や境遇なのに能力の高い人がたくさんいる。 わたしは不器用で緊張が高く、結果を出すまでに時間がかかる。 ただ、「たまちゃんは頑張ってる」というイメージが実力以上にわたしの評価を上げた。 わたしはどのように振る舞えば社会

          社会的評価を上げることで失ったもの

          自分が何者であるか知るために

          ちきりんさんが書いた「自分の意見で生きていこう」を読んだ。 この本は間違いなく私に大きな影響を及ぼした。 これまでやったほうがいいよね〜と思いつつ手を出していなかったnoteにアカウントを作成したからだ。 自分の意見を考え抜いた上で言語化することがいかに大切かを説き、それには訓練が必要であることを実感させ、大仏であるかの如くわたしの重い腰をあげさせてくれた。 わたしは今、うつ病の治療中だ。 なぜこの病にかかってしまったのか、心療内科の先生は考えない方が良いと言う。 今は思考

          自分が何者であるか知るために

          はじめてのnote

          自分が何者であるのかを知りたい。 その一心から、始めます。 本当はジャンルを絞った方が良いことも、 プロフィールをしっかり作った方が良いことも、 なんとなくわかっているけれど それすらも 今、ここから。

          はじめてのnote